2015年12月14日月曜日

大西巨人著「神聖喜劇」第一巻 光文社刊pp.221-223より抜粋

私の「学生一般の精神には、「永遠の形而上的憂愁」か「世界苦」か、「シェストフ的不安」か、あるいは「時代閉塞の現状にたいする慨嘆」か、何か名状しがたいような物の鬱憤がある。」という少々気取ったような科白は、それでもたぶんたいてい事実に叶っていたであろう。
また私の「そういう鬱憤は、いつどんな小さなことでも契機にして爆発するかもしれないのですよ。」といういくらか示威的な言いぐさも、たぶん多かれ少なかれ事実に叶っていたであろう。

しかしそういう鬱憤は、何者かの「マルクス主義的策動」ないし「左翼的アジ・プロ」類による組織的・団体的・連帯的爆発への具体的可能性を概して持っていなかった。

生徒主事が言ったようにたしかに「その後(1931、2年以後)時代は大きく変換し」ていた。
そういう鬱憤が孕んでいたのは、むしろ主としてそれがたまたま個人的・孤立的・亜流ラスコーリニコフ的異常行為へ爆発することの具体的可能性であった。
如上の状況一般と、たとえば当時ある人文主義的思想家(谷川徹三)が青年学生(の教養問題)に関して「ニヒリズムの無関心」、「デカダンスの痙攣」などの語句をも用いつつ書いた一批評文章中の次ぎの部分などとは、内容上おおかたたがいに見合っていたのである。

新しい文化の可能が指示されている。新しい文化理想が掲げられている。そこから在来の個人主義的教養が蔑視せられるのである。さういふ意志と情熱とに生きる者にとっては教養は有閑的な社交的装飾的なものと考へられるのである。
それは生活の必需品ではない。食べられない人が沢山いる時そんなことは問題ではない。

フランス革命の当時、展覧会出品の絵を前に一市民が、それらの作品の「革命の偉大な原理を十分に表現していないことを遺憾とし」更に「彼らの兄弟達が祖国のために血を流しているその時に彫刻に従事しているとは一体何といふ人達であらう!」と嘆いたことをかつてプレハーノフの本で読んだがさういふ感情である。
そこからしてまた当時の一愛国者は、最もよい画家は国境に於いて自由のために戦っている市民達であることを熱心に証明しようとしたといふが、この感情が文化否定となり教養否定となるのである。
数年前われわれの国の若い人達の間にもこの感情を私は見た。

今日(1936年)も尚ほかういふ感情はどこかに何かの形で生きているのであらう。
従って若い人達に教養がないといふ場合には、彼らに教養への意志がない場合のあることを知らねばならない。
彼らは、できないのではない、しないのである。他の情熱と意志によって教養への意志を塞がれているのである。
最近あらためて教養の問題が取上げられているのはそれに対する反動であらう。
歴史的事実としてもフランス革命やロシア革命の直後に於ける文化否定的言動はやがて訂正された。
さういふ大きな情熱と意志とによって教養への意志が塞がれることさへ必ずしも正しくないとすれば、さういふ大きな情熱と意志とのない教養蔑視は一層正しくないであらう。
現代の青年達の示している虚無的な感情には、青年の理想家的情熱の凡て塞がれている鬱屈から由来したものがあるにしても、その表れ方に人々は好意を示さないのである。
それをもってわれわれの国にヒューマニズムの堅い地盤の欠如しているためと考へている者がある。
私もまたそれに賛する者であるが、この見地からすれば今日あらためて教養の意義が説かれなければならない。

20151214 想像・創造と想起および文体について・・

A「これまでに作成した対話形式のブログの大半は大体2000字以上になりますけれども、このくらいで適当なのでしょうかね?」

B「うーん、君のブログを読んでいて特に疲れるとか、面倒という程でもないので、そのくらいで良いのではないかなあ・・。」



A「はあ、そうですか。
あと、それに加えてこれまでに投稿した対話形式のブログとは、何といいますか、まだ自分自身の文体になっていない様な感じがするのですが・・?」


B「自分の文体ですか・・しかし、そもそも自分の文体とはそんなカチッとしたものがあるのでしょうかね?
私も一応これまでに色々と書いてきましたけれども、それでも果たして自分の文体とはどういったものであるかは特に意識はしていないと思います。
しかし、とはいうものの、どこかで自分の文章を見かけたら、これは自分の書いたものであると分かるとも思いますけれどね・・。」


A「はあ、そのようなものですか・・。
そういえば私の一連の対話形式のブログは、言文一致に近いものを意識して書いているのですが、この言語の層みたいな状態で色々と考え、想起してみますと、文章が比較的スムーズに湧いてくるような感じがします。
ですから、はじめに大まかにテーマを決め、そしてそこから、どの様な会話が展開されるかを想像することにより、記憶が刺激され、想起がはじまり、それに合わせて文章が作成されてゆくのではないかと思います。
そうしますと、はじめのテーマ決めの段階で、自分があまり経験したことのない事柄を選びますと、その後の想像と想起の結節により生じた流れ、勢いが弱くなってしまい、文章の作成が困難になってくるのではないでしょうか?
一方、この想像と想起の結節により生じた流れ、勢いが強ければ2000字程度は割合容易に書けるような感じもします。
また、はじめのテーマ決めの段階で、それまであまり書こうと思わなかった分野のことを考えてみると、案外良い文章の鉱脈?が見つかることもあるのではないかとも最近思うようになりました。
もっとも、こうしたことには何かしら、きっかけみたいなものが必要ではないかと思います。
それは外部の状況、あるいは自身の内部から生じるのでしょうが、それらは必然であるのか、偶然であるのかはよくわかりません。
そして、こうしたことは他のことにおいても同様であり、自分が強い影響を受けた著作の殆どは、大体立ち読みをしていて偶然手に取ったものであり、あるいは、このブログをはじめたきっかけもほぼ同時期に複数の方々から勧められたからです。
しかし、こういったことは、ただ受動的に待っているだけではどうやらダメなようでして、何かしら能動的な活動を続けることにより「バタフライ効果」あるいは「風が吹けば桶屋がもうかる」といった具合に何かが生じたり、そういったことを感知できるようになるのではないかと思います。
それ故「機が熟す」という言葉には、意外と深い意味があるのではないかと思うようにもなりました。」


B「・・・なるほどねえ。
また少しAさんの熱弁に呑まれてしまいそうになりました・・()
しかし、たしかにいわれてみるとイマジネーションの想像と想起の結節によりクリエーションの創造がはじまるという意見はなかなか面白いと思います。
これを言い換えると、イマジネーションの想像とは、知覚を与えられていないものを思い描くことであり、想起とは、知覚が得られているものを記憶から思い起こすことですよね。
そしてこの二つが合成されたところで創造がはじまるということでしょう。
そうすると、何だか弁証法止揚(アウフヘーベン)だとか西田哲学絶対矛盾的自己同一の概念を想起させますね・・()。」


A「・・はあ、どうもありがとうございます。
ともあれ、センスの良いクリエーションの創造を行うためにはやはり、想像と想起の双方が必要なのではないかと思います。
一般的にはクリエーションの創造とはイマジネーションの想像だけで出来るのではないかと思われますが、実はそれは違うのではないかと思います。
私がこのように思うに至った主要なきっかけとは、幼い頃から好んで読んでおりました歴史小説から得られた感覚によるものなのです。
たとえば司馬遼太郎は、その著作を書く際に膨大な資料をあたるという話は割合有名です。
そしてそれら資料より得られた詳細な歴史的事実を基に物語、小説を書き進めるわけなのですが、その中での作中人物の会話などは概ねイマジネーションの想像であると思うのですが、同時にそれは歴史的事実を知覚した上で、その流れに沿う形で為されるものです。
そしてそれらはクリエーションの創造といっても良いものなのではないかと思います。
それにより、同一の歴史的出来事を扱った幾つかの著作、小説を読んだ場合、描かれる登場人物の人物像、性格あるいはそこから派生する会話などは微妙に異なりながらも、概ね同一の歴史の流れを辿って行くことが理解できます。
そして、そこで得られた解釈、感覚を統合することにより歴史への理解が深まってゆくのではないでしょうか?
一方、こういった歴史的事実を基軸とした小説とは、あくまでも、その著者の解釈した歴史像であり、本当の歴史ではないとする考えも根強くあります。
では、そうしますと歴史を理解するとは、一体どういうことなのでしょうか?
出来事、年号などを暗記することも大事であるとは思いますが、それよりも歴史の流れを活き活きと想起出来るということの方が重要なのではないかと思います・・。
そうすることにより、主体が自身の人生にて経験する様々な規模の出来事を歴史上の出来事と重ね合わせて考えることが出来るようになるのではないかと思います。
また、我々日本人はこういったことを何故だかよくわかりませんが、あまり好まない様な傾向があるのではないかと思います・・。
言い換えると、様々な出来事の歴史的な意味での普遍化を避けるような傾向があるのではないかということです。
そしてそれは、我々日本人のクリエーションの方の創造性、あるいはその知覚できる視野の範囲に対して何かしらの影響を与えているのではないかとも思います・・。」


B「ふーん、なるほどねえ・・。
歴史小説はたしかに私もよく読むけれども、それで私が想起するのはロバート・グレイヴスの「この私クラウディウス」に出てくる古代ローマ帝国の軍団兵などに関するリアルな描写ですね。
そしてそれは同じ著者の第一次世界大戦での従軍記録でもある「さらば古きものよ」と、かなり共通する基盤があるのではないかと思います・・。
あのような秀逸な描写が出来るということは、著者が実際経験した記憶に基づき、文献資料などによる知識を加味して物語を創造しているということなのだろうね・・。
そして、それが少なくとも歴史を扱ったものである場合は、やはり君のいう通りイマジネーションの想像ばかりではどうも難しいのかもしれないね・・。」


A「はあ、どうもありがとうございます・・。
そうしますと、記憶された経験に加え、それを想起する力、そしてそれを的確に表現できるということが大事なのでしょうかね?」


B「うん、それだけではないと思うけれども、まあ、とりあえずはそうだろうねえ・・。」

加藤周一著「日本人とは何か」講談社刊p.197より抜粋

思想は体験から出発するものである。

体験が変らなければ、思想が変るということは決してない。
その意味で思想は輸入できないものだ。
たとえば「押しつけられた」民主主義思想などというものはない。
それは日本にないか、あるとすれば「押し付けられた」のではなく日本の土から生まれたのである。
本来の思想が日本の土に、生活とその体験に、超越するのも、それが日本の土に生まれたからである。
その他に思想上の節操ということの意味もないだろう。


  

2015年12月12日土曜日

20151211 マンガ・映画と神話・古典について・・

A「どうです、最近何か面白い本や映画を見つけましたか?」


B「そうですね、書籍に関してはここ最近はずっとこれまである本を読み直すことが多いですが、先日用事があって行った神保町の書店で何か面白そうな本がないか色々と見ていましたら数学者で哲学者のラッセルの生涯を扱ったマンガがありましたが、これはかなり面白そうでした。
機会がありましたら是非購入したいなと思いましたね()
しかし、それで思い出すのは以前、そのラッセル著の「西洋哲学史」全三巻を読破できずに現在本箱の奥にあることですね・・。
あれはたしか6年前のことですが、また機会がを見つけてこれを精読、読破したいです。
また、映画に関しては、これも特にここ最近は観ていませんが、観てみたいのは「ワーテルロー」という映画ですね・・。
あの当時の大規模なロケを行った映画の迫力は現在のCGを多用したものとは大きく違うと思います・・。
こうした意見は今となっては時代遅れなのでしょうか?」


A「ラッセルの著作はたしかに面白いのが多いですからね。
しかしBさんがマンガを話題に出すのはなかなか珍しいですね、購入されたら是非読ませてください。
あと、映画に関しての御意見は私も大体同じですね。
私も本当の戦争は大嫌いですけれど、若い頃に観た面白い戦争映画はまた機会を作りゆっくりと観てみたいと思うことがあります。
私の場合はそうですね「空軍大戦略」やドイツ映画の「Uボート」などはまた観てみたいですね・・。
しかし君がさきほど云った「ワーテルロー」は、ちょっとマニアックですね(笑)。
もちろん私も以前観ましたけれど・・。
ちなみに私はあれを見るとどうもそこから40年後の世界を舞台にした「遥かなる戦場」を思い出してしまいますね。」


B「・・お言葉を返すようですが、私などはAさんに比べましたら、まだまだそういった映画等の趣味に関しては青二才であると思いますが・・()
それでも「Uボート」は私も今Aさんからお聞きして思い出しましたが、その後のハリウッド映画「U-571」の出現で少し人気が後退した様に見えましたがストーリーの重厚さなど全体的には「Uボート」の方が勝っているのではないかと思います。
また、あのストーリーはホメロスの「オデュッセイア」に通じる様なものがあるのではないかと思います・・。
ちなみに同じ監督が後年「オデュッセイア」の前の物語である「イーリアス」を映画化した作品を制作していることは何だか少し面白いですね・・。」


A「・・なるほど、それは面白い意見ですね。
私も「オデュッセイア」、「イーリアス」は以前読みましたが、確かにそういわれてみるとそうかもしれませんね・・。
ところで、ああいう物語は日本でいうところの記紀平家物語太平記などに相当するのですかね?」


B「ええ、多分その様な感じであると思います。
しかし背景の時代が大きく異なりますが・・。
ともあれ半分神話といってもいいそれらの舞台が、実際の遺跡として発見されたことは、発掘された当時としては画期的なことであったのではないかと思います。
その意味で、そういった古代の神話などは単なる物語やロマンではなく、何かしらの史実の痕跡を示すものが多いのではないかとも思います。
そしてこそれは我が国の記紀についても云えることであり、神武東征の際に九州を出発し瀬戸内海を通り大阪での在地の酋長勢力との戦にて受けた傷がもとで亡くなった神武天皇の兄である五瀬命が紀伊に葬られたと記されていますが、これは竈山神社として和歌山市に現存しています。
もっとも、これは記紀の記録に合わせて造営されたものであるのかもしれませんが、ともあれ同時にそうした遺跡は他にもありますので、少なくとも神武東征とは全く架空の物語でもないのではないかと私は思います。」


A「うーん、たしかに神武東征などは記紀における「オデュッセイア」に相当するものなのかもしれません・・。
また、戦前はそういった記紀の神話を題材にした絵画なども割合多く描かれたから、それらはもしかしたら欧米において多く存在する聖書物語あるいは「イーリアス」、オデュッセイア」などの場面を題材とした絵画に触発され描かれたのかもしれないね。」


B「いわれてみますとたしかにそうですね。
そういった神話の場面を絵画として描き可視化する行為とは、その国の持つ神話文化を明晰化する意味があるのかもしれませんね・・なるほどです。
そして、そう考えますと、ある国が持つ絵画文化の発達とは、その普遍的題材となり得る神話などといった物語の存在が案外重要なのかもしれません・・。
またそれは丁度、音声言語と文字言語の様な関係であるのかもしれませんね。
その様に考えますと、現在我が国で盛んなマンガ文化とは一体どの様な系譜に立つものなのでしょうか?」


A「我が国のマンガ文化の系譜ですか・・。
その直接的な起源とは江戸時代の浮世絵なのでしょうか?
しかしそれ以前についてはどうも思いつきません・・。」 

2015年12月10日木曜日

20151210

ABさんのブログも150回を超えましたけれど、最近はどうですか?」

B「ええ、おかげさまでどうにかここまできました・・。
それで最近不思議なことに知らない方々からメッセージをいただくことがあります・・。
求職サイトからのオファーでもないようですし、また、最近流行のサギまがい、ウィルス添付のものでもなさそうなのですが、それでも手の込んだそれである可能性もありますのでとりあえずこわいので削除しております・・。
こういったものは一体何なのでしょうか?」

A「うーん、まあ何もメッセージが来ないよりかはマシであると思いますけれど、多分それらは何かしら新手のサギまがいのものではないかと思いますよ・・。
そういうのはここ最近多いからね。
私のところにも時折そういったメッセージが来るけれど、ああいうのは若い女性っぽい名前を使ってくるよね() 
何故だかよくわからないけれど・・。」

B「ええ、たしかにそういった感じはします。
ああいうのに書かれている名前とは実名なのか芸名、源氏名みたいなものなのかよくわかりませんね、まあ、かといってその真偽を調べようとも思いませんが・・。」

A「うん、SNSの普及によってだろうか、そういたバーチャルなやり取りの世界で、架空の名前、人格などを持つのが現在の流行なのかもしれないね。
それでも私の世代から見れば、そういったものはあくまでも架空の存在であって、その根底には動かしがたい自己というものがあり、それだけが実際に何かを為す、行動するというような考えが強いですね。
しかし現在の若い方々はそういった考えばかりではないのかもしれません・・。
よくはわかりませんが・・。」

B「ええ、実在の重要性とは私も同意します。
また、現在若い方々の間でコスプレが流行している様ですが、それは多分本来の実在の自身から一時的に逃避したいという心の底にある願望と、それをある程度容易に為させる道具立てがそろった社会により招来されたものなのではないかとも思います。
また、それに加えて最近電車などに乗っていて思うことは、特に男性一般がオシャレになり、その着るアイテムの装飾性が高くなり、ある意味女性化しているのではないかということです。
そしてこの二つの現象は似たようもの、あるいは同根なのではないかと思います。」

A「ふうん・・まあ、そういった意識的に外見のカッコよさを目指すような傾向とは、手軽に出来て、そこそこの効果が望めるものだからね・・。
まあ、コスパがいいのではないでしょうか・・()
加えて、そうした考えの延長線上にボディビルや美容整形などがあるのではないかなあ・・?
ともあれ、そういった外見のカッコよさ、美しさを強く志向することの目的は究極的にはやはり「異性にモテたい」というのがあるのではないかな?
たしか九鬼周造の「いきの構造」で「粋とは異性に対する媚態である。」といった意味のことが書いてあったけれども、まあ、そのような感じではないかな・・?」

B「ええ、多分それが主な動機であると私も思います・・(苦笑)
それでも特に女性の場合に関しては、途中からカッコよさ、美しさそのものが自己目的化していくような感じを受けることもありますね・・。
女性の美への執念とは際限がないとはよくいわれることですし・・。
まあ、美に関してだけでなく女性の執念とは、我々男性にはなかなか真似できない一種の強さがありますからね・・。
もっとも、そういった女性の特徴から恩恵を受けることも少なからずあるとも思っていますけれども・・。」

A「・・・君も部活動の帰りに私のところに寄って駄弁っていた頃と比べると大分世慣れた、進歩したのではないかな()
たしかに今の意見は私も賛成できますね。
ともあれ、それだからこそ日本の近代化、特に教育面においてそれを実行してきた人達は女性教育の重要性に思い至ったのではないだろうかね・・?
その結果としての現代社会とは、果たして明六社の方々あたりから見るとどのように映るのだろうかね?」

B「・・・それは大変難しい質問であると思います。
無論当時に比べてそうした状況は全体的には良くはなっているとは思います。
しかし同時に当時では思いもつかなかった状況、問題が発生しているのではないかとも思います。
それ故、明六社の方々がどのような評価を現代社会に対して下すのかは、残念ながら見当もつきません・・。」

A「まあ、そんなものかねえ・・。
ともあれ、現在、女性研究者を国策として増やそうとしている様ですけれども、それもそうした状況の一つなのかもしれない。
まあ、それは改善された状況の一つであり、それに加えて私は個人的には医療専門職なども女性の方が向いているとは思うけれども、今後そうした状況はどのように変化していくのだろうか・・?」

B「ええ、それは私も同意見です。
た、そうすることにより、そうした女性に負けないように男性側が自身の職務に励むようになるのではないかと思いますし、また、そこから良い意味での緊張感が生じるのではないでしょうかね・・?」

A「うん、何も欧米社会の全てが進んでいるとは思わないけれども、その点に関して欧米社会は、先行して既にその様になりつつあるのかもしれない・・。
しかし一方、我が国はそれまでの経緯つまり歴史が異なるからね、果たしてそれは普遍的に良いことなのかどうかはわかりませんね・・。
たしか遠藤周作の「沈黙」のなかで「日本とは父権的な一神教がオリジナルに近い状態で根を下ろすことが困難な何かがある。」といった意味のことが書いてあったけれども、これは何か示唆的ではないかな・・?
そして、それは我が国の社会根底における圧倒的な母性、女系的な要素の強さがその原因ではないかと思うけれども、こういったことはたしか河合隼雄に書いてあったと思うけれども、まあ、たしかに日本社会根底の母性、女系的な要素の強さとは今後も変化することはないと思うね()。」

B「ええ、私も両著作共に以前読みました。
そして、それと関係あるかどうかわかりませんが、女性とは一般に理屈だとか観念を好みませんから・・。
また、好んだと見える場合においても、何かしら実際的な利得と結び付く可能性が強い場合が大半ですから・・。
あるいは、そういったことを好む女性とは、子を生さない傾向があるといったようなことを丸山真男がどこかで述べていたと思います・・。
これに関しては「女性の識字率、高学歴化が進行すると出生率が低下する」という見解をこれまでに数度見聞きしたことがありますが、これらは何かしら関係があるのではないでしょうかね・・?」

A「うん、その意見は私も以前聞いたことがありますね。
しかし、そういうのは国内の状態あるいはそれまでの経緯などによっても解釈が変ってくると思いますので、科学の実験のような普遍的な見解を求められるのかどうかはかなり疑問ですね・・。
また、一言で識字率といってみても、世界には文字文化も色々ありますから何ともいえないのではないかと思うけれども・・。

B「・・まあ、そうですね・・。
日本などは表意文字、表音文字を併用しているかなり珍しい文化を持つ社会ではないかと思います。
それに加えて、これはどこでもそうですけれども、音声言語、文字言語がありますからね・・。
あ!それで思い出しましたが、少なくとも我が国における音声言語と文字言語とは、それぞれ女性的、男性的と考えられるのではないでしょうかね?
漢字を簡素化して表音文字化つまり音声言語対応にしたものがひらがなですよね・・。
そしてそのひらがなとは古来より女文字とされてきましたけれど、こうったものの背景にはやはり男女の性質の相異があるのではないでしょうか?」

A「うん、それは面白い意見だね・・。
しかし、そこから議論をはじめるとまた先が長くなりそうですね・・()。」


2015年12月7日月曜日

20151207 先祖のハナシ

A「最近また少し寒くなりましたが、どうですか?
その後求職活動は進展しましたか?」

B「ええ、お陰さまでしょうか、少しずつ動いている様な感じはします。
今後また何か動きがありましたらお知らせします・・。
それで最近思ったのですが、私はその職務内容が自身にとって魅力的であるかどうかをどうやって判断しているかということです。
多分私はその職務が何かしら人の役に立っているという実感がないと、自分を鼓舞することができないのだろうなと思います。純粋に利潤追求の仕事などは、私には到底出来ないのではないかと思います・・。また、私の周りを見渡してもそういった仕事で成功している人というのはいませんし、また、幼い頃より影響を受けた方々も、どちらかというと、そういう仕事に向いていない様な方々が多かったです(苦笑)。幼い頃に色々と聞いた面白い方々がいるのですが、多分皆どこかしら前時代的な小市民士族の面影を引きずっている様な感じがしますね・・。ちなみに私が幼い頃に聞いた寝物語は保元平治治承・寿永の乱などが多かったですね・・。その時に以仁王の令旨で重要な働きをする摂津源氏の長、源頼政のことを「げんさんみよりまさ」(源三位頼政)といっていましたが、何のことかよくわからずに、ただその音を鵜呑みにしていましたね・・(笑)。そして平等院の戦いで敗れた源頼政の遺児が三河国岡崎に逃れ、土着し、その後の北条執権、足利時代を河内源氏嫡流に近い吉良氏などに仕え、その後、徳川親藩といってもいい水野家に仕え、維新を迎えたというような話しを聞かされたことをなんとなく憶えています・・。あと黒船来航、維新の時の話は結構リアルなのをいくつか聞きましたが、大正生まれの祖父母の代からすれば、幕末もそんなに遠くない過去であったのでしょう・・。ともあれ、彼等にはその様な、今となってはどうでもいい過去のことに固執する様なところがあり、また私も無意識のうちにそういった観念に縛られていた(る)のかもしれません・・。そして、それが前に出た私の傾向、性質に何かしら関係があるのかもしれません。単なる後付の理屈であるのかもしれませんが、同時にそういったことが全く自身の性質に対し影響力を持っていないともいえませんから・・。」

A「そうですか・・昔気質の方々は特に御先祖の伝説をとても大事にしますからね・・。
また、そういった伝説とは多少の誇張を含んでいたとしても、気概を持ち続けるための燃料ともなりますので、それはそれでいいのではないかと思います。また、柳田國男もどこかで「日本人はせいぜい三代前までくらいの御先祖しか知らないのが多い。」と書いていましたが、そういった意味ではまあ、貴重なものであるのかもしれませんよ・・。それでもBさんのその御先祖の話もなかなか面白いですね・・。しかしそうなるとBさんのルーツの一つは、その伝説通りであれば、岡崎そして京都あるいは摂津あたりにあるということになるのですか?」

B「ええ、まあ、そういうことになるらしいのですが、多分岡崎あたりまではある程度史実に基づいているのではないかと思います。しかしそれ以前に関しては若干誇張が入っているのではないかと思っています(苦笑)。まあ、そこら辺は記紀でいいましたら神代の時代みたいなものですね(笑)。ともあれ、そういったことが現在、私が何かしら人の役に立つ仕事に就きたい、純粋な利潤追求の仕事はできないのではないかという様な傾向と何かしら関係があるのかもしれないということです・・。」

A「人の役に立つ仕事ねえ・・。まあ、大抵の仕事は何かしら人の役には立っていると思うけれども、たしかにそういう要素も人によったら仕事を選択する上では案外大事かもしれないね・・。」

B「ええ、端的に自身が「これはいい!」と納得することができなければ、たとえ人から勧められた、あるいはオファーを受けた場合においても、最も大事な何か気力、気概のようなものが削がれてしまうのではないかと思うのです・・。それは、その職務に対し何かしら胡散臭い要素を感じ取ってしまいますと、どうも興味、関心を失ってしまうということかもしれません・・。これは少なくとも私にとっては、なかなか大事なことでして、最近ではたとえば不図聞くテレビなどでの会話においても同様の感じを受けてしまうのです・・。こうしたことは国際資本主義が進展した現代においては、ある意味厭世的、ペシミスティックなあまり好ましくない傾向であるのかもしれませんが・・。」

A「うーん、それはどうだかわかりませんが、一般的な見解としては「世の中そんなものだよ。」とか「世の中はそんなに甘くない!」などになるのでなないでしょうか?
しかし一方において、そういった気持、感受性もまた大事であると思いますよ。
私はある程度の期間、研究をしたり、人にそういったことを教える様な仕事に就いてきましたけれど、そこからの経験から、今Bさんがいった様なこともわからなくもないです・・。つまり、それは自分が相対している相手の言動、挙措動作あるいはその作成した文章などから、ある程度普遍的な評価ができてしまう(苦笑)のではないかということです。無論、その評価結果に絶対の自信があるわけでもないけれどね・・(笑)。」
B「ええ、それは私にも何となくわかるような気がします・・。それは、自分が話している相手が多少無理して、わざと難解な言葉を用いているのではないか?そしてその背景となる知識がどの程度その話し手自身に定着しているのか?とは、話しをしていると、その内容、挙措動作などの全体像、それこそ雰囲気、オーラみたいなものから何となく読めてくるということであると思います。また、以前ブログに記した高い女子力が妖刀に近いということの意味とは、一つにそういったことを女性特有のある種の感性の加味により、かなり精確に近い判断が出来てしまうということからくる悲劇?ではないかということです・・。ともあれ、以上の様な理由により、私は一連の対話形式のブログを記す際は、出来るだけ難解な表現、言い回し、言葉を避けているようにしているつもりです。そちらの方が虚飾を廃し、伝えたい意味、内容が通じると思いますし、また簡潔明瞭とは、そういうことではないかと思います。そして、そうした上で意味、内容が的確に表現され、相手に対し通じる言葉、文体こそが良いのではないかと思うのです。」

A「うん、まあそれはそうですね。しかし、御承知とは思いますが、そういった考えとは特に新しいものではなく、そうですね・・それは正岡子規の俳句論あるいは小林秀雄の芸術評論などにおいても類似した考えを見出すことができると思いますよ。つまりそれは、言葉を用いた事物、現象の写生、描写などにおいても同様に大変重要なことであるということですね。」

B「ええ、もちろんそういったことは重々承知しており、また自分のそういった意見も結局のところ、それら先人の肩車に乗った意見であるとは思います。しかし同時に、現在の傾向、時代の潮流とは、どうもそれとは異なる方面に向っているのではないかとここ最近思うのです・・。といいますのは、以前のブログにて記しましたが、現在の傾向、時代の潮流がどうもかつての日本浪漫派と類似した様なものを持っているのではないかと考えさせられるからです。」

A「ああ、私も日本浪漫派については少しは知っていますよ。しかし皮肉なことに日本の将来を憂いて衝撃的な最期を遂げた三島由紀夫もまた、日本浪漫派から強く影響を受けたか、あるいはその流れを汲む一人として目されていたのではなかったかな?」

B「ええ、そうですね。しかしそれに対し反論させていただくならば、三島由紀夫はその背景に膨大な知識、教養を深く、幅広く持っていました。それはホンモノといっても良いものであったのではないかと思います。そして、その様に考えますと、真似、類似とは特に悪いことではないのだと思います。大事なことは、そこに含まれている考え、観念を主体が咀嚼、消化し完全に自己のものとしているかどうかということではないでしょうか?
そうでない場合はオリジナルのエピゴーネンの氾濫を招き、ひいては当初その文化的事物が持っていた瑞々しさ、新鮮さが損なわれ、陳腐なものに堕していってしまうのではないでしょうか?また、こういったこともさきの小林秀雄は勾玉に関して述べていましたし、また他では、ゲーテも詩作に関連してこれと類似したことを述べています。」

A「それは心情的にはとても理解できるけれども、しかし一方において工業化された大量生産、大量販売、消費も基盤とする現代社会においては、多少そういった考えも妥協、譲歩した方が都合が良いのではないかなと思うけれどね・・。また、蛇足になるけれど、それは教育についても同じ様なことがいえるのではないかな・・?」

B「ええ、おっしゃることは私もよく理解できます。それは極論しますと普遍性と特殊性との葛藤であると思いますが、はじめから普遍性一本槍で物事を断定して推し進めてしまいますと、その後の様々な創造性、持続可能性が徐々に損なわれてしまうのではないでしょうか?そしてその結果、カチッと出来てはいるが伸代のない様な未来になってしまうのではないでしょうか?私としてはそちらの方がこわい様な気がするのです・・。」

A「・・ううむ、なるほど、そうかもしれないね。持続可能性という言葉もここ最近よく聞くけれども、その意味に関してはあまり考えてみたことがなかったかもしれない・・。
一体どういったことが持続可能性なのだろうかね?」

B「ええ、前のブログにて引用したフランクルの「夜と霧」の「人間は如何なる状況にも適応できる。しかしどの様に適応するかは問わないで欲しい。」とは、こういったことにおいても適応できるのではないかと思います・・。」


20151205 勾玉および道具の使用法と演繹、帰納法

A「相変わらず寒いけれど、どうだい、元気でやっているかね?」

B「ええ、どうにかお陰さまでやっております。
しかし、こう寒い日が続きますと読書の方はどちらかというとはかどる様です。先日、写真集ですけれど「勾玉」を中心とした古代の装飾品のものを見ていましたら「あのデザインは一体どこから来たのだろうか?」と不図、考えてしまいましたね。あれはデザインで大きく分類しますと、大和型と出雲型になり、大和型は尾の部分がシュッとしており、二つ合わせると丁度陰陽の文様になり、それに対し出雲型はアルファベットのCの字に近いものです。ともあれ、この勾玉の祖形はどうやら弥生時代以前から東アジア及び南洋の方にも存在することから、この分岐、差異は日本列島に伝播した後に生じたものの様ですね・・。」

A「ふうん・・勾玉ねえ。
そういえば私も君からお土産で勾玉をいただいたことがあったかれど、そういわれると、あれは出雲型だったね。」

B「ええ、それは一応意識してそうしたのです。
先ほどの大和、出雲双方の勾玉の相異とは、それを敷衍してみますと、それぞれ天津神、国津神にも分類することが出来るのではないかと勝手に考え、そして我々日本人の多くは国津神、つまり天孫の末裔ではないと思われるため、出雲型の方が適当なのではないかと考え、そうした次第です。」

A「ああ、なるほど。
そういわれるとたしかに天津神、国津神は勾玉の形状のルーツにも何かしら関係あるのかもしれないね。それで私は国津神系と判断されたわけですか?(笑)
まあ、たしかにそういわれると違うともいえないね・・。
しかし考えてみると勾玉とは、もしかしたら二千年以上にわたり我々日本人が抱いてきた何かを象徴する形状なんだろうね・・。
あるいは欧米の十字架よりも古いものなのかもしれない・・。」

B「ええ、その通りではないかと私は思います。
また勾玉とは琉球、沖縄において神器として現在尚存在しておりますし、また、北方のアイヌ、蝦夷などの文化においても見られることから、少なくとも日本列島を包括する文化なのではないかと思います・・。」

A「はあ、それは知りませんでしたね・・。
そしてそれが三種の神器の一つでもあるのはなかなか面白いことですね。」

B「ええ、しかしその勾玉の持つ意味なのですが、これは先ほど少し申しましたように諸説あるようでして、統一した見解というものは未だ得られていないようです。
また、それはそれで面白い現象であると思うのです。といいますのは、この勾玉の意味についての諸説とは、日本人と神輿についての丸山真男渥美勝などによる見解を想起させるからです。この場合、勾玉と神輿との類似点とは、双方共にある明確な物質的存在があり、それについての見解は諸説あってかまわない。しかし、ともかくそれらの物質的存在が基軸となっているということではないでしょうか?そして、そういった物質的存在を基軸とした、ゆるやかな形而上的な世界とは、日本文化の中で割合多く見られるのではないかと思います・・。こういうのは欧米社会における十字架の意味合いとは大分毛色が異なるのではないかと思います。つまり十字架の場合、その背景にキリスト教、そしてそれを成立させる観念、書物などが権威を持って存在します。
また、時代によってはその権威がリゴリスティックに過ぎることもあります。
これは宗派によって異なると思いますが「薔薇の名前」の時代背景が丁度そんな感じであったと思います。ともあれ、その点、日本における勾玉、神輿などはどうも物質的存在の方が観念などよりも先行している様な感じさえ受けるのです。つまり、欧米のキリスト教などとこれらを比較した場合、ニワトリ、タマゴの順序が逆になっているのではないかという様な感じですかね(笑)。」

A「はあ、モノが先か観念が先かでそれら内実の性格も大分変ってくるからね・・。
そうすると私が思い出すのは鋸の使い方について誰かが書いていたのだけれど、西洋だと鋸を押す時に切れて、日本だと引く時に切れるという様なことだね。その著者は「西洋と日本では何でもそういったものが全て逆さになっている。」と書いていたけれど、私はそれはさすがに短絡的であると思ったけれど、まあ面白い意見ではあるよね・・(笑)。」

B「道具の使用などは正しく身体性に属するものであると思います。そして案外こうした観念の出発点からの思索の方向性なども身体性に基礎を置いているのかもしれませんね。
まあ、よくはわかりませんが・・。」

A「うん、身体性はなかなか面白い視点であると思いますが、あとは言語の構造なども特に観念などに関しては強く関連しているのではないかな?たしか山本七平がどこかで「日本語は元来戦争などの遂行などには不向きの言語である。」と書いていたけれど、そういったことに関係あるのかもしれないね・・。」

B「なるほど、言語の構造ですか・・それもまた面白い発想ですね。そういわれますと加藤周一もどこかで「日本語とは叙情的な散文を書くのには適しているけれども、これを用いて思考する文体を書くことは簡単でなない。」といった意味のことを書いておりましたが、それも類似したものであるのかもしれません・・。」

A「叙情的な散文ですか・・なるほど。たしかにそうかもしれませんね。
そうすると今度は私は帰納法演繹法の違いを思い出してしまうね。
つまり日本語とは、特殊、個別的な事象を詳細に多少の情感を込めて記録する帰納法における一要素の叙述などに適していて、印欧語とは、総合的、演繹的な記述に適しているのかもしれないね、少なくとも各々言語の根本においては。」

B「はあ、それは現代においては確証を得ることが難しいと思いますが、一方において、前の私のブログにおいて取上げました加藤周一が書いておりました歌舞伎シェイクスピアの劇における科白の傾向の相違なども想起させますね・・。」

A「うん、辞書の名前で有名なgenius(ジーニアス)とは、元々言霊などの意味らしいけれども、そういったレベルにおける何かしらの違いとはやはり何かしらあるのだろうね・・。」

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2015年12月4日金曜日

20151204 自身のブログと記憶、創造について【初期の独白形式】

私のブログもこれで150回目の投稿に近くなってきましたが、最近はどうもそのネタを何にしようかと考えてしまうようになってしまいました・・(苦笑)。

これまでこういったものは、その時の思いつきでプラっと書いてしまう方が良いと考えていたのですが・・。

あるいは単にネタがなくなってきた、枯渇してきたと思う様になったのかわかりませんが、とにかくブログのネタについて考えてしまうようになりました・・。

しかし、よく考えてみますと、これはここ最近にはじまったことではなくて、実は内心無意識に行っていたことを徐々に意識化するようになった結果であるのかもしれません。

その様に考えますと、こうした多少の創造的要素を伴うことを行うことは、自分自身が何か新しいことを気付くためにはなかなか良いことであるのかもしれません。

そして、この場合、気付いたというよりも、むしろ、これまで何となく継続して行ってきたことを省みて、そこにどういった軌跡、轍が見えたかということであるのかもしれません。

それは、同時にこれまでの自身の継続してきた行為に何かしらの価値を感じた、見出したということでもあります。

それ故、これを更に継続して行うために、新たなネタを探すということになるのです。

もし、現在このブログに対しある程度明確な意識を持たない、価値を認めないままでいたら、ネタがなくなれば単純に止めればいいと思ってしまうところでしょう。

しかし、そう考えないことには悪くいえば、あきらめが悪い、良くいえば、一種、自助努力の様なものということにもなりましょう。

そして、おそらくこの二つの評価には明確な差異はないのではないかと思います。

それを判断するのは、このブログを読んでくださっている方々か、あるいは後の自分自身ではないかと思います・・。

とはいいましても、実のところ、これまでの主に対話形式のブログでの会話とは、その内容の7~8割方は、かつて実際に私が様々なところで経験したもの構成を色々と変化させているものであり、その意味では、何といいますか創造的要素の部分は案外少ないのではないかとも思います・・(苦笑)。

しかしながら、以前のブログにて述べました通り、実はその会話の記憶こそ、そしてそれを呼び起こす力こそ精神力であり、それがもしかしたら創造的要素というものの異名であり、あるいはそれと類似したものであるのかもしれません。

そして、もしそれがある程度妥当であり、正しいといっても良い考えであるならば、それはそれで全体的には創造的行為と呼んでも差し支えないのかもしれません・・。

また、私はこれまでにそういった機会、時間にある程度恵まれてきたことから、書籍、文献などを割合多く読み、映画などもそれなりに多く観てきたのではないかと思います。

そして、それらに関しての記憶を機に応じて(それが当を得ているか、センスが良いかどうかはわかりませんが)呼び起こすことの出来る精神状態、意識とは、無意識に近い層にまで達しているのではないかと思います。

丁度、大岡昇平の「俘虜記」の冒頭近くにおいて、朦朧とした意識状態の主人公が、あるフランス文学の一節を想起し、そうした自分自身を自嘲気味に描く様なことではないかと思います。

無論、私はそこまでの深度(?)、教養レベルに達しているかどうかは、かなり怪しいと思いますが、しかしモデルとしては類似したものではないかと思われます。

また、そうなると実際の会話であれ、書籍などを読む時に自然に行っている著者との対話であれ、その根本もまた類似したものであるのではないかと思います。

そして、その様に考えてみますと、いかなるものであれ、能動的な知性を駆動させる活動とは全て、その主体が意識したものを再度無意識化してゆく過程そのものではないかと思います。

そうしますと、創造的行為とは、一面において、精神、心の中に予めあるものを機に応じ適宜想起し、それらを主体の流儀、好みにより調整、再構成することではないかとも考えられます。

もちろん、それ一辺倒ではダメであると思いますが・・(案外ここが大事であるかもしれない。特に自分を含めた日本人の場合。)

ともあれ、そうすると、より純粋に近い創造とは、精神、心の中にあるものが少ない幼少期におけるものがそうなのではないかと思います。

その後、様々な知識、技術等を得てきますと、創造的要素は一時的に減少し、さらにその後、それらが主体の中で安定して定着してきますと、それらが咀嚼、消化され、より無意識に近い状態において、それまで得てきた様々な知識、技術を自由自在に使用することが出来るようになるのではないでしょうか?

そして、それこそが、次の創造のための種子となるのだと思います。

また、こうしたことを英語でincarnation(血肉化)と称するのではないかと思います。

かつて、このincarnation(血肉化)とは、学問を行う上で極めて大切であったということは当然であり、また、現在尚同様であると思います。

しかし、その一方において、昨今続々と登場している一連の便利な機器とは、人間が様々な知識、情報そして技術を血肉化させる必然性、必要性を省き、ある意味大変合理化はされたのでしょうが、同時に精神、心を駆動させる機会を奪い取っているようにも思えます。

ともあれ、こういったモデルは私のこれまでのブログにて繰り返す様ですが、特に新しいものでもなく、様々なところで類似したものを見受けることが可能です。

具体例として、マンガ「どらえもん」の様々な便利な道具にまつわる話、映画「2001年宇宙の旅」あるいは多少古典的なところでは人造人間の「フランケンシュタイン」などもそうではないかと思います。

また、そこに怪奇的要素をより濃厚にしたものが西洋怪談の古典であるジェイコブスの「猿の手」がそうではないかと思います。

ともあれ、こうした一連の物語が示すものは、新規の発明、現在の困難な状況を改良、除去すると一見思われるものには、遅効、速効の相異はあるかもしれませんが、案外毒が含まれていることが多いということであると思います。

そして私が分不相応にも危惧することは、こうした便利な機器が、我々が得意な「なあなあ」「なし崩し」により、結果的には創造性、精神の力、活力が損なわれてゆくのではないかということです・・。

そういえば、フランクルの「夜と霧」の中で「人間はどんな状況にも適応できる。しかし、どの様に適応するかは問わないで欲しい。」といった意味の記述がありましたが、こういったことにも、もしかしたら適応することができるのかもしれません。

しかし同時にそれが将来において「事実、ナンセンスな危惧であった。」と評される未来の方が私は望ましいと考えております。