2018年10月28日日曜日

20181028 木下順二『子午線の祀り』およびコンラッド『闇の奥』のオマージュ? 妄想シリーズ其の2

『僕は12世紀の後半期、この阿波国の豪族・在庁官人であり、(阿波)国内での勢力争いに痺れを切らした田口成良が、都にいる新興の権力者である平清盛を訪ねるため、主だった一族郎党を引連れ、この港に着いた時のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そして、あとの時代、この眉山麓にある港から大輪田泊、現在の神戸(当時は福原)に向けて、人員や資材を積んだ多くの船が出航し、さらに時代が少しくだると、今度は太刀を穿き長刀を抱えた在地の田口成良配下の武士たちが、かねてより平清盛に対して反抗的な南都の仏教勢力を鎮静化させるために出航していったのも多分この辺りだったのだろう・・。察するに、彼らは自分達を富ませるためとは到底思うことが出来ない、こうした他国へ赴くことをあまり歓迎していなかったに違いない・・殊に大将である田口成良の官位が上がっていくにつれて・・。けれども当時の彼等は生活のため、あるいは自らの勢力を強めて阿波国内での対抗勢力を黙らせるためにも、こうした活動をしなければならなかったのだろう・・。

現在の神戸の繁栄の礎には、平清盛に随った田口成良そしてその一族郎党達がいたことは、現在ではほぼ忘れ去られていることであるけれども、まあ、それであれば、現在の我々も大差はないのかもしれないね・・(笑)。畢竟、こうしたものは青々とした水田、あるいは蓮根畑を走る一陣の風のようなものなんだ・・。われわれ人間の生なんてはかないものだ・・せいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを願おうじゃないか・・。
しかし一方で、我々が未だ知り得ない世界は、現在もこのあたりを覆っているんだ・・。

まあ想像してみてくれ給え、古くから、この辺りに蟠踞していた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば平安時代末期になっても、我が国の戦船は、外洋航海が可能な構造船はとても少なくて、古代以来の丸木の刳り船の両側に舷側板を立てた、いわゆる準構造船がメインであったらしいけれど、そうした船で瀬戸内海を転々と西に抜けて、今の下関あたりに向かっていた時の気持ちをね・・。

おそらく、そうした気持ちの背景には、昔から盛んに交易をしていた紀伊水道を挟んだ紀州熊野別当配下の連中が、最後の最後まで源氏を推す新宮方と平氏を推す紀伊田辺方とで揉めていたが、結局、白旗の源氏方に与して敵になってしまったことや、難波津から出航した源氏方大将の源義経が、よりにもよって阿波国の勝浦【現在の小松島市】に上陸し、国内対抗勢力の手引きにより防御が薄かった阿波国内が制圧されたこと、さらには、この一連の四国での戦で、主である田口成良の実子・兄弟・親戚が源氏方の捕虜となっていたようなことがあったのではないかな・・。

そして、彼等がこの決して頑丈とはいえない戦船に兵糧・武器その他色々を積んで出航し、瀬戸内海を転々として西に抜け、そうだな現在の関門海峡が目の前に広がる光景を目にした時は、どんな気分だったのだろうかね?
『かねてより見知った鳴門海峡と似たようなものがここにもあるのか?』といった感じだったのだろうかね?まあ、他にも瀬戸内海には潮流の早いところがあるけれどもね・・。
しかし、この関門海峡の潮流は、鳴門海峡のように、かねてより慣れ親しんだものではなく、突然の潮流の変化によって味方の敗北をも予感し、気を揉むこともあっただろう・・。
だが、それでも彼等は死力を尽くして戦い、そして最後に平家方の敗北が濃厚になった頃、大将の田口成良に対して、ヒュダスペス河畔の戦いの後で更なる東方への進撃を企図するアレクサンドロス大王に対する部下達のように、おそらく、戦中の船内で要請というか懇願をしたのではないだろうか・・?

田口成良は、かつて故郷の阿波を発ち、その人生を全て賭けてきた英雄 平清盛の後継者たちのこうした戦ぶりには、おそらく思うところも少なからずあったのだろうが、さすがにこの時は、意を決して源氏方に投降し、その計略を暴露したのだろう・・。それが田口成良にとって良かったのかどうかは分からないけれども、少なくとも、それにより死なずに済んだ彼の一族郎党もいたのではないかな・・。』

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【20181028再投稿】ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」三交社刊pp.19-21より抜粋

『僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ。』
闇の奥
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625
ジョセフ・コンラッド


20181027 【対話形式】昨日の1111記事到達に関連して・・理想・夢について

A「Bさんのブログも1111記事まで到達したらしいですね。それでその日の読んで頂いた方々、PVと云うのですか? は伸びましたか?」

B「ええ、金曜日ということもあってか、割合とPVは伸びました。また、昨日、一昨日投稿分記事は特に伸びまして、ここ最近では珍しいほどでした・・。」

A「へえ、そうですか。そうしますと、また、ある程度は記事作成を継続しなければならないですね・・(笑)。それで、次にキリが良いのは1200記事ということになりますか?」

B「・・そうですね。次は1200記事を目指して記事作成を行います。また、総閲覧者数も一つの目安となりまして、つい先日、これが40万人まで到達しましたので、まあそうですね、今後はこれが50万人くらいになるまでは続けてみたいですね・・(笑)。」

A「ほお、これまでに40万の方々に読んでもらっているのですか・・。それは少しスゴイかもしれませんね・・。しかし、そう考えてみますと3年半程度で40万人ですので、これが50万人にまで到達するためには、また1年近く記事作成を続けなくてはいけませんね・・。その目途というか、目算は立っているのですか?」

B「どうでしょうか・・。こうしたものは予め大きな目標を立てて行うようなことではないと思われます。どちらかというと、継続していたら自然にそのようになっていたという方が良いのではないかと思われます・・。なぜならば、このブログ自体、基本的にはそのようにして続けてきましたので・・。」

A「ああ、たしかにそうですね。それでも、何と云いますか理想とか夢みたいなものも、Bさんのブログにはあるのですよね・・?」

B「ええ、そうですね。しかし、それは漸進的にこれまでの過程で生じてきたものであり、明瞭ではありませんが、それがさきほどの1200記事および50万人の到達ですかね・・。」

A「ああ、そういう具体的な数値のようなものですか・・。また、それと同時にブログに縛られないような理想や夢といったものはあるのですか?」

B「・・ああ、この先の理想や夢ですか・・?それでしたら、つい先日も聞かれまして、また以前にブログにて述べたことがありますが、あくまでも数年先ではありますが4年制歯科衛生学部・学科にて教養科目を担当しつつ、他方で就職・進学の支援などを季節毎に行う、あるいは最近よく耳にするクロス・アポイントメントにて複数の大学で、そうした仕事に関与させて頂きたいと考えています・・。くわえて、これも以前ブログにて書きましたが、歯科衛生士と歯科技工士双方免許の受験資格を付与する4~5年制大学の設立に関与してみたいといったところでしょうか・・。まあ、この後の夢は、今現在あまり現実感がないそうですが、同時に、この先、労働人口が全体的に減少していく社会を合理的に考えてみますと、それは自然な流れではないかと思うのですが・・。」

A「そういえば、たしかに歯科衛生士のことは以前に何度か書いていましたね・・。しかし今回のもまたエラく具体的ですが、何故それが歯科衛生士なのですか?」

B「ええ、それは以前勤務していた医療法人での経験がもとにありまして、まあ極端に云いますと歯科医師は、そのまま放置安定でもどうにかなると思われるのですが、歯科衛生士に関しては、その職務は、これから高齢化が更に進み、そして在宅医療の必要性が増す社会では重要度が増すはずであるのですが、どうも社会での認知度がイマイチであり、また、その卒業後の就職事情も以前と比べれば良くはなっているのでしょうが、それでも未だ不安定であると思われますので、歯科衛生士全体は当初は困難であるのかもしれませんが、1つ2つの大学学科に関しては、色々と調べて動いて、わずかではあるかもしれませんが改善することは出来るのではないかと思われるのです・・。まあ、そこにも難しい要素は色々とあるとは思いますがね・・。」

A「・・そうですね・・。私も歯科衛生士が4年制大学でも養成されていることを、つい最近まで知りませんでしたからね・・(苦笑)。」

B「ええ、そうなのです。こうしたことは世間で知っていそうであまり知られていないことですので、今のこのハナシ自体も周知のため、ブログ記事の題材にさせて頂こうと思います(笑)。それと、さきのような職務を行うことが出来るのでしたらやはり九州・西日本が良いですね・・(笑)。」


ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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前掲著作の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはある歯科材料に集中した勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

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