pp.219-222より抜粋
ISBN-10 : 4006031807
ISBN-13 : 978-4006031800
日本人は日本語の中に閉じこもって、いちばん端的には「大和心」という言葉で、なんとなくわかったような感じを共有してしまいがちですが、よく考えるとわからない。まして、それを外に説明しようとしたときに、大きな困難が伴います。本居宣長は大和心ということをいきなりいった。このことを考える上では、ハンガリーの作曲家バルトークの研究が面白い。彼はハンガリー心とは何か、音楽にどうハンガリー心が反映しているかということを考えて、外国の影響がないハンガリーの民謡を収集した。それが音楽的にどういう特徴をもっているかを明らかにすれば、ハンガリー心がわかるだろうと彼は考えたわけです。
それを分析して出てきた音楽的特徴はどういう言葉でいえるかといったら、それはハンガリー語でないといえないという話ではなかった。それは簡単な音楽用語です。拍子についていえば、どういう特徴を持っているかを構造的に、音楽を論じる人なら誰でもわかる概念を使って、ハンガリー心を突き止めた。
そのあとで彼は、そういうものを関連のある作曲もしています。
宣長はそういうことをしていない。大和心というものがもしあるとすれば、それは普遍的な言語で表現することができなければいけない。どこが中国心と違うか。どこが朝鮮・韓国心と違うか。
私が「文学史」のときに使った方法は、中国大陸からの影響のない前の大和心というのは、どういうものだったろうかということです。ところが文献が限られていてあまりにも少ないので、はっきりしたことが掴めない。
それでは、どうやって大和心を普遍的な言語で掴むかです。大和心というのはなんだかわからないけれど、仮にそういうものであって、そこにはっきりしたもの、たとえば天台宗あるいは真言宗の仏教が入ってくると、仏教が変わる。変えた力は大和心が作用したからだろうと仮定するわけです。仏像が入ってくると、仏教建築が少し変わる。
密教でもそうです。朱子学が入ってくると朱子学が日本化される。日本化する動力は大和心だろうと考える。日本に渡来する前の仏教とは何か、中国の寺院と仏教彫刻とは何か、朱子学が何かということは明瞭にわかる。
それが日本でどう変わったかというと、これは観察できるわけです。そうすると、わかっていない大和心なるものがわかる。たとえば、朱子学プラス大和心が日本的朱子学になるから、日本的朱子学から原朱子学を引けば出てくる。実際はプラスというよりもヴェクトル合成みたいになっていると思いますけれども、とにかくそういう方法で、大和心が中国大陸思想をどう変えたかを観察すれば、かなりの程度までわかる。
どういうふうに日本で変わったかは、時代が少し下がってくればいろいろな文献があります。きれいに出てくるのは、いわゆる説話集です。日本霊異記、今昔物語から沙石集にかけての説話集には、中国にものがかなりある。その中国の種本は残っていて読める。
だからどこが違うかということは、比較検討すれば明白に出てくる。一回出てきても何もいえないけれども、変わり方に一種の方向性があれば、その方向性を生み出しているものが大和心だということで、そのイメージはかなりはっきりしてくる。説話集で確実につかまるのは、何が主要なメッセージかということをいうために、必要にして十分な手段を取るという傾向は中国のほうが強いということです。
日本に入ってきて何が加わるかというと、趣旨は変わらないけれども細かい部分が変わる。ある男が山の中で狩りか何かの落とし穴に落っこった物語があります。長い間そこに一人でいたけれども、猟のために山に入った猟師たちが、その声を聞いて彼を引き上げて助かったという話です。その元の話が中国にあって、なぜそこで、そんなに長い間生きていられたかというと、穴の中で法華経を唱えていたから、その力で彼は助かったということになっている。日本人がその話に何を加えたかといったら、狩りの一行が男の法華経を唱える細い声を聞いて、発見して引き上げるときにどうやって引き上げたかという点です。どういう材料で網を作って、それを結びつけて滑車まで利用して引き上げたかという技術的説明を詳しく物語る。そんなことは中国では一行もない。日本で発明して付け加えたのです。それが実に面白い。説話の大筋は全然変わらないのだけれど、そういう部分だけ日本では無闇に詳しい。そういうことがほかにもあって、大和心の一つの特色がわかるということです。