そうした宣伝、ポスターなどを見ますと明治近代化以降、現代に至るまでの我が国とは、諸外国との関係において自国『Japan』をどのように認識し、イメージしてきたのだろうかと考えさせられます。
徳川時代の我が国とは、多くサムライ、浮世絵、力士、芸者などによって象徴化されるようですが、はじめのサムライとは明治近代化以降は、文武の役人、教師などとなり我が国を支え、そして動かしました。
中でも特に職業軍人は往古の武士道を唱え、それをある種の理想・規範としました。
しかし1945年の敗戦の結果、これら職業軍人は廃され、文の方の役人と実業界の商工業者が残りました。彼らは敗戦後の平和を是とする社会において新たに力を注いだ富国政策の実施にあたりました。そして彼らは朝鮮戦争の勃発により生じた特需景気の波に乗り『Japan』を代表する顔ともなりましたが、そのがめつさから世界中にてあまり良い顔をされていなかったことは、現在の我が国、特に首都圏あるいは著名な観光地周辺に在住していれば自然と理解することが出来るのではないかと思われます。
一方、徳川時代の農村・農民は、ある程度保護されてきましたが、後の明治近代化以降、富国強兵政策の踏み台、犠牲となってきたのは、常にこの地域・階層であったと云えます・・。
戦争が勃発し、兵士として多く召集されるのは、主にこの地域の青年達であり、また経済的不況ともなれば、そのしわ寄せを最も多く被るのもまた、この地域でした。
その一方で、経済的好況の恩恵は都市の方により多く齎され、地方・農村へは最も遅く、そして少なく齎されます。
こうした状況にあっては農村地域が長い歴史を経て築いてきた文化・伝統・活力などは次第に衰頽していき、また同時に我が国文化の根幹を支えてきた何か(規範・モラル?)もまた衰頽していったのではないかと思われます【昭和11年(1936年)に都心部にて発生したクーデターの指導者たちは、そうした状況を抜本的に変革し得る存在として帝を恃んでいたのではないだろうか・・?】。
おそらく明治近代化以降、現在に至るまで、この点においては変わることなく概ね歴代の政治はこれを食い潰し、無駄なエネルギーに変換させ発散するように導いてあるいは強いてきたのではないかと考えさせられることがあります・・。
おそらく、こうした精神の中にあると云える何か(規範・モラル?)を護ることを知らなければ、もしくは護ることをよしとする規範のようなものがなければ、たとえ表面的には繁栄を遂げようが、それは決して長く続くものではないようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
近年、日本列島各地にて生じた地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。
~新刊書籍のご案内~
師匠による新たな著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。著作名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』