2016年2月18日木曜日

Laurence Van Der Post著 「The seed and the sower」Vintage classics刊 pp.33-34より抜粋 20160218

Even when I have had to punish you, I felt you understood it was not I, Hara, who wanted it, but that it had to be, and you never hated me for it.
Please tell me now: you English I have always been told are fair and just people: whatever other faults we all think you have; we have always looked upon you as a just people.
You know I am not afraid to die.
You know that after what has happened to my country I shall be glad to die tomorrow.
Look, I have shaved the hair off my head, I have taken a bath of purification, rinsed my mouth and throat, washed my hands and drunk the last cupful of water for the long journey.
 I have emptied the world from my head, washed it off my body, and I am ready for my body to die, as I have died in my mind long since.
Truly you must know, I do not mind dying only, only, only, why must I die for the reason you give?
I don’t know what I have done wrong that other soldiers who are not to die have not done.
We have all killed one another and I know it is not good, but it is war.
I have punished you and killed your people, but I punished you no more and killed no more than I would have done if you were Japanese in my charge who had behaved in the same way.
I was kinder to you, in fact, that I would have been to my own people, believe it or not, than army rules and rulers demanded.
 If I had not been so severe and strict you would all have collapsed in your spirit and died because your way of thinking was so wrong and your disgrace so great.
If it were not for me, Hicksley-Ellis and all his men would have died on the island out of despair.
It was not my that the ships with food and medicine did not come.
I could only beat may prisoners alive and save those that had it in them to live by beating them to greater effort. And now I am being killed for it.
I do not understand where I went wrong, except in the general wrong of us all.
 If I did another wrong please tell me how and why and I shall die happy.

The Seed and the Sower

ASIN: B005F3GKTC

Laurence Van Der Post

20160218 求職活動時におけるカバンのハナシ

A「先日求職活動で出た際、ビジネスバッグを持っていたのですが、普段私はデイパックばかり使用しているためか、帰宅しましたら変に肩が凝っていました。
やはり、バッグなども普段使用しているものから突然変えると、何か違和感を覚えるようですね・・(苦笑)。」

B「・・はあ、求職活動での外出となりますと、背広を着ていたということになるのですか?」

A「・・ええ、そうでしたが、それが何か?」

B「うん、背広を着ている時はやはり一般的にはビジネスバッグというか、手提げカバンを用いますので、それはまあ、仕方ないのではないでしょうか?
あるいは、求職活動時の緊張によって肩が凝ったのではないですか?」

A「・・ああ、たしかにそういった要素も多少はあると思います。
しかし私のこれまでの経験から、この肩凝りの原因とは、求職活動時の対人的な緊張によるものよりも、慣れない手提げカバンを持ち、ある程度の時間歩いたことに大きく因るのではないかと思います・・。
このあたりは体感、実感的なことですので、客観的にうまく立証することは難しいのですが・・(苦笑)。」

B「まあ、それはAさんがそう仰るのでしたら、そうであると思いますが、それでも求職活動時で背広を着用している際、デイパックを背負うのは、やはり少し似つかわしくないような気がするのですが・・。」

A「・・ううむ、それはどうでしょうか?
たしかに首都圏サラリーマンの方々などを見ておりますと、そうであるかもしれませんが、大学、特に理工系の分野では学生も教職員もデイパック率が高いように思います。
ですからそれはBさんが仰るほど特異でないとも思います。
また、さきの求職活動において私がデイパックでなく、手提げカバンを用いたことには、一種そうした首都圏の傾向を私が何となく感知したことに因るのかもしれません・・(笑)。
とはいえ、より広い視野で考えてみますと、背広にデイパックとは、そこまで特異なことではないように思われますが、どうでしょうか・・?」

B「・・たしかに理工系の先生や学生はデイパック率が高いかもしれませんね・・。
では、それはどのような理由に因るものなのでしょうか?」

A「・・これはあくまでも推測ですが、理工系の学問においては特に合理性を求める傾向が強いと思います。
そして、この傾向を携帯するカバンの種類に適用してみますと、デイパックの場合、荷物を持ちながらも両手が空いているということが合理的と認識するのではないでしょうか?」

B「はあ、そうですか・・。
しかし、ひと口で理工系といいましても工学部理学部それに加えて農学部医学部薬学部歯学部看護学部などと様々あると思いますが、それらの中においても同様な傾向が認められるとAさんは考えるのですか?
そして、それがもしわからないのであれば、文系諸学部のそれと共にデイパック使用率を調べてみるとなかなか面白いいかもしれませんね(笑)?」

A「ああ、それはたしかに面白い試みですね()
また、それに関連して考えてみますと、降雪地帯ではさきほどの理由により、手提げカバンよりもデイパックを日常において用いる可能性が高いのではないかと思われます。
あるいはまた、こうしたことは、男女といった性差においても随分異なってくるのかもしれません。
そして、そうした学問分野のみならず、地域、世代、性差などといった要素に基づいて調査してみますと、なかなか面白く、何かが見えてくる可能性もあるかもしれません。
 
B「・・ええ、それはたしかに面白いかもしれませんね。
また、同時に海外においてはそうした事情はどうなっているのでしょうかね?」

A「なるほど、そこまで考えてみますと、それはまたそれで面白いかもしれませんね・・。
しかし、それはいいとして、こうした携帯するバッグ種類の傾向を調べて得られた結果のデータとは、一体どのような役に立つのでしょうか・・?」

B「・・そうした調査とは、何も目先の何かに対して役立つから行うというわけでなくても良いのではないでしょうか?
また、どのような学問分野においても基礎研究とは大体そういったものではないでしょうか?
昨今の社会的傾向とは、実学重視であるといいますが、一方において実学と虚学?との明瞭な境界線、マージンラインなどといったものは実際に存在するのでしょうか?
また、もしも、そうしたものが実際に存在するのであれば、それを平易な表現を用いて説明して多くの方々に納得して頂くことは可能なのでしょうか?
加えて、そうした現在の我が国における実学重視という価値観および傾向も、今後割合簡単に変わってしまうことも充分に考えられるのではないでしょうか?
そして、そうであるからこそ、実際その時代に存在した様々な傾向を資料、データとして残すということには、多くの映像資料などと比べてみても、勝るとも劣らない大きな価値があるのではないかと思います・・。
また、まさしくそこに、さきほどいいました基礎研究の価値があるのではないかと思いますが・・。」

A「・・そうですね、結果的に日の当たりやすい実学的な研究分野において大きな成果を上げられた研究者の方々の多くもまた、基礎研究の価値、重要性を説かれますね・・。」

B「ええ、ですから多分、自らの内面から湧出する知的好奇心を堰きとめたままにしておかないということが大事であるのではないかと思います・・。
また、そうした好奇心とは、当初において即物的な実利と結び付かなくとも、何かしらの形で研究、探求し続けるのが良いのではないかと思います。」

A「・・はあ、なるほど、それでしたら私が現在継続して書いている一連のブログにもそういった要素があれば良いのですが、最近はどうもよくわかりません・・(苦笑)。
ですから、今の私にできることは、とりあえず書き続け、また求職活動を続けることではないかと思います・・。」


「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」