2024年10月11日金曜日

20241010 株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.232-234より抜粋

株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.232-234より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4794204914
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4794204912

 十九世紀の世界の力関係の変化をみると、「西側の人間のもたらした衝撃」がありとあらゆる面に影を落としていることがわかる。この衝撃は、多くの経済関係ー沿岸貿易業者への「非公式な影響」から海運業者、植民者を直接に管理する総督、鉄道建設業者、鉱山会社などーを通じてあらわれたばかりでなく、開拓者、冒険家、宣教師の侵出にも、西側の疾病の伝染にも、西側社会の思想の伝播にもみられるのである。西側の衝撃はーミズーリから西へ、アラル海から南へー大陸の中心部にまで波及し、さらにはアフリカの河口から上流へさかのぼり、太平洋の島づたいに広がっていった。この衝撃の置き土産の一つが、(たとえば)イギリスがインドに残した道路や鉄道網、電信、港湾、都市建築などがあるとするなら、この時代の植民地戦争につきものの流血、暴行、掠奪といった悲劇もその一面である。事実、力と征服にはコルテスの昔からつねにこうした両面があったが、それに拍車がかかったのがこの時代だった。一八〇〇年にヨーロッパが占領し、あるいは支配していた地域は世界の陸地の三五パーセントだったが、一八七八年にはそれが六七パーセントに増え、一九一四年には八四パーセントを超える。

 蒸気エンジンと機械でつくられた道具に代表されるテクノロジーの発達によって、ヨーロッパは経済的にも軍事的にも圧倒的な優位をかちえた。先込め式の銃が銃(撃発雷管、銃身の施条など)の改善は、まさに不吉な前兆であり、元込め式の銃が出現して発射速度が大幅に高まったことは大きな前進となる。そして、ガトリング機関銃、マキシム銃、軽量の野砲が最後の仕上げとなって新たな「火器革命」が完成し、旧式の兵器に頼っている原住民は抵抗しようにも、まったくそのすべがなくなってしまった。そのうえ、蒸気エンジンを搭載した砲艦が登場し、すでに公海を支配していたヨーロッパの海軍は、ニジェールやインダス、揚子江などの大きな河川づたいに内陸部にまで入り込むようになる。こうして、移動性と火力とすぐれた甲鉄艦「ネメシス」は一八四一年と四二年のアヘン戦争で活躍し、中国防衛軍を惨憺たる目にあわせて、蹴散らしてしまった。もちろん、物理的に進出の難しい地域(たとえばアフガニスタン)では、西側の軍事帝国主義の侵略が阻まれるし、非ヨーロッパ軍のなかにもーシーク教徒や一八四〇年代のアルジェリア人などのように―新しい兵器や戦術を採用して戦い、激しく抵抗したものもあった。だが、ひらけた地形の国で戦闘が行われれば、西側は機関銃や重火器を配備することができるから、結果は考えるまでもなかった。この戦力の差を最も如実にみせつけることになったのは、十九世紀のオムドゥルマンの戦いだったろう。この戦争ではマキシム銃とリーエンフィールド・ライフル銃を装備したキッチナー軍が、夜が明けてわずか数時間のうちに一万一〇〇〇人のデルウィーシュを倒し、味方はわずか四八人の損害しか出さなかった。この戦力の差と産業の生産性の格差とがあいまって、先進国は最も遅れた国々にくらべて五〇倍から一〇〇倍の力を手に入れたことになる。西側諸国の世界支配は、ヴァスコ・ダ・ガマの時代以来の趨勢ではあったが、ここにいたって、その前に立ちふさがるものはほとんどなくなったのである。