pp.311-313より抜粋
ISBN-10 : 4122072778
ISBN-13 : 978-4122072770
きみは、1500年ころからローマでは、ルネサンスの教皇たちが聖職者であるということよりも華やかさとか権威とかを大切にし、有名な美術家を使って豪華な教会を建造していたことをおぼえているね。とくに、すでにフィレンツェで芸術に贅をつくしていたあのメディチ家のふたりの人物が教皇の地位についてからは、ローマでは、まるで奇跡とも思える巨大な建物がつぎつぎと天を目指して築かれていったのだ。コンスタンティヌス大帝が創建したと伝えられ、かつてそこでカール大帝が皇帝の冠をさずけられたあの古代のサン・ピエトロ(ペトロ)大聖堂さえも、もはやものたりなく思えた。そこで、それに代わる途方もない規模とこれまでにないうつくしさをもつ、新しい教会を建てようとしたのだ。もちろん、それには莫大な費用を必要とした。それをどのようにしてあつめるか、それは当時の教皇たちにとってはたいした問題ではなかった。方法はどうでもよい。豪華な教会を建てる資金があつまればよかったのだ。そこで司祭や修道士たちの多くは、教皇に気に入られるため、教会の教えとは合致しないやり方で資金をあつめることをはじめた。
彼らは、罪の赦しを金にかえた。「免罪符」とよばれるものを売ったのだ。たしかに教会は悔いた罪は赦されると教えた。しかしこの「免罪符売り」は、その教えと合致するものではなかった。
そのころドイツのヴィッテンベルクに、アウグスティヌス修道会に属するマルティン・ルターという名の修道士がいた。1517年、当時のもっとも有名な美術家ラファエロの指導のもとで新しいサン・ピエトロ大聖堂の建設がはじまった。同じ年、その資金をあつめるためにひとりの免罪符売りがヴィッテンベルクにもやってきた。そのときルターは、この非教会的な免罪の濫用を世に知らせようと、95項目の条文を書いた板をヴィッテンベルクの教会の扉に打ちつけた。そのなかで彼は、罪の赦しという神の恩寵を金銭で取り引きすることをはげしく攻撃した。ルターにとって、罪の赦しという神の恩寵は、けっして金などであがなえるものではなかった。彼は、つねに自分自身をすべての罪びと同様神の怒りをおそれねばならない罪びとと感じていた。神の罰から救ってくれるものはただひとつ、神の無限の恩寵だけである。それを人間は、金で売買することなどできない。いかなる善人といえども、すべてを見る、すべてを知る神の前では、罰にあたいする罪びとである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。それ以外は何もない。
このことをルターは、やがて免罪とその濫用をめぐるはげしい争いのなかで、いっそうはっきりと、そしてもはや絶対的なものとして主張するようになった。信仰以外、何もいらない。信者をミサをとおして神の恩寵に参加させる司祭や教会さえ、無用である。神の恩寵は、仲介されるものではない。ただ神に対する個人の堅い信頼と信仰のみが、信者を救うことができる。教えの大いなる秘儀、聖なる晩餐にてキリストの肉を食しキリストの血を杯で飲む、ただこの大いなる秘儀を信じるだけである。何ぴとといえども、他人をたすけて神の恩寵を得させることはできない。信じる者は彼自身が司祭である。教会の司祭は、たんに教師、協力者にすぎない。それゆえ彼も、他の人間と同じに生きることがゆるされ、結婚もゆるされる。信じる者に教会の教えはいらない。彼は自分で、聖書のなかに神の教えをさがせばよい。聖書のなかにあるもの、それだけがすべてである。これがルターの考えであった。
ISBN-13 : 978-4122072770
きみは、1500年ころからローマでは、ルネサンスの教皇たちが聖職者であるということよりも華やかさとか権威とかを大切にし、有名な美術家を使って豪華な教会を建造していたことをおぼえているね。とくに、すでにフィレンツェで芸術に贅をつくしていたあのメディチ家のふたりの人物が教皇の地位についてからは、ローマでは、まるで奇跡とも思える巨大な建物がつぎつぎと天を目指して築かれていったのだ。コンスタンティヌス大帝が創建したと伝えられ、かつてそこでカール大帝が皇帝の冠をさずけられたあの古代のサン・ピエトロ(ペトロ)大聖堂さえも、もはやものたりなく思えた。そこで、それに代わる途方もない規模とこれまでにないうつくしさをもつ、新しい教会を建てようとしたのだ。もちろん、それには莫大な費用を必要とした。それをどのようにしてあつめるか、それは当時の教皇たちにとってはたいした問題ではなかった。方法はどうでもよい。豪華な教会を建てる資金があつまればよかったのだ。そこで司祭や修道士たちの多くは、教皇に気に入られるため、教会の教えとは合致しないやり方で資金をあつめることをはじめた。
彼らは、罪の赦しを金にかえた。「免罪符」とよばれるものを売ったのだ。たしかに教会は悔いた罪は赦されると教えた。しかしこの「免罪符売り」は、その教えと合致するものではなかった。
そのころドイツのヴィッテンベルクに、アウグスティヌス修道会に属するマルティン・ルターという名の修道士がいた。1517年、当時のもっとも有名な美術家ラファエロの指導のもとで新しいサン・ピエトロ大聖堂の建設がはじまった。同じ年、その資金をあつめるためにひとりの免罪符売りがヴィッテンベルクにもやってきた。そのときルターは、この非教会的な免罪の濫用を世に知らせようと、95項目の条文を書いた板をヴィッテンベルクの教会の扉に打ちつけた。そのなかで彼は、罪の赦しという神の恩寵を金銭で取り引きすることをはげしく攻撃した。ルターにとって、罪の赦しという神の恩寵は、けっして金などであがなえるものではなかった。彼は、つねに自分自身をすべての罪びと同様神の怒りをおそれねばならない罪びとと感じていた。神の罰から救ってくれるものはただひとつ、神の無限の恩寵だけである。それを人間は、金で売買することなどできない。いかなる善人といえども、すべてを見る、すべてを知る神の前では、罰にあたいする罪びとである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。それ以外は何もない。
このことをルターは、やがて免罪とその濫用をめぐるはげしい争いのなかで、いっそうはっきりと、そしてもはや絶対的なものとして主張するようになった。信仰以外、何もいらない。信者をミサをとおして神の恩寵に参加させる司祭や教会さえ、無用である。神の恩寵は、仲介されるものではない。ただ神に対する個人の堅い信頼と信仰のみが、信者を救うことができる。教えの大いなる秘儀、聖なる晩餐にてキリストの肉を食しキリストの血を杯で飲む、ただこの大いなる秘儀を信じるだけである。何ぴとといえども、他人をたすけて神の恩寵を得させることはできない。信じる者は彼自身が司祭である。教会の司祭は、たんに教師、協力者にすぎない。それゆえ彼も、他の人間と同じに生きることがゆるされ、結婚もゆるされる。信じる者に教会の教えはいらない。彼は自分で、聖書のなかに神の教えをさがせばよい。聖書のなかにあるもの、それだけがすべてである。これがルターの考えであった。