pp.97‐99より抜粋
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
三島 伝統の問題があるな。
安部 伝統はよそうや。
三島 安部公房のような伝統否定と、おれのような伝統主義者とが、どういうふうに喧嘩するかということは、面白いよ。
安部 おれも科学的伝統は幾分守っているからな。
三島 でも科学には、前の学説が否定されたら、どうやってやる。
安部 方法だよ。
三島 メトーデの伝統か。
安部 そうそう、事実というものはだね、科学のなかでは非常にもろいものだよね。だから好きなんだ。あおれは、科学は。
三島 日本の伝統は、メトーデが絶対にないことを特色とする。
安部 それが伝統か。困ったな。
三島 それはそうだよ。絶対そう思う。日本では、伝承というものにメトーデが介在しないのだ。それがいちばんの日本の伝統の特徴だよ。たとえば秘伝というものがあるだろう。お能で、秘伝を先生が弟子に譲る場合ね、入門者だって秘伝書を読めばいいようなものの、先生の戸棚から盗んで入門者が読んでも、なんにも解りはしない。それから20年くらいお能を勉強するのだ。そうしないとなんだか知らないけれども、一所懸命口移しに覚えて、30年か40年か50年かたって、なんか曖昧模糊としたことを書いてある巻き物をくれるだろう。月がどうだとか、日輪がどうだとか。それを読むとアッとわかるのだね。わかるそれは秘伝だから、ほかの人には言えない。言ったってほんとうはしようがないのだね。そうしてメトーデがないところで伝承していくのが日本の伝統だよ。
安部 だから日本でスパイ小説が発達しないのだな(笑)。
三島 盗んだってしようがないから、ぜんぜん。
安部 せいぜい忍者で止まったということか。
日本ではよく巻き物を盗んだりするが、盗んでもしょうがないのだ。
安部 嘘なんだな。
三島 嘘なんだ。そうして文学もそうだけれども、舞台芸術、武道なんかに象徴的にあらわれていると思うけれども、伝承という考えは、西洋でも、つまり鍛冶屋に弟子に入って、徒弟時代、遍歴時代、それからマスターになるね。それはメトーデを教わるのだよ。メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される。至上の観念に到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。
そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に。しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれてくるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。
ISBN-10 : 4309407811
ISBN-13 : 978-4309407814
三島 伝統の問題があるな。
安部 伝統はよそうや。
三島 安部公房のような伝統否定と、おれのような伝統主義者とが、どういうふうに喧嘩するかということは、面白いよ。
安部 おれも科学的伝統は幾分守っているからな。
三島 でも科学には、前の学説が否定されたら、どうやってやる。
安部 方法だよ。
三島 メトーデの伝統か。
安部 そうそう、事実というものはだね、科学のなかでは非常にもろいものだよね。だから好きなんだ。あおれは、科学は。
三島 日本の伝統は、メトーデが絶対にないことを特色とする。
安部 それが伝統か。困ったな。
三島 それはそうだよ。絶対そう思う。日本では、伝承というものにメトーデが介在しないのだ。それがいちばんの日本の伝統の特徴だよ。たとえば秘伝というものがあるだろう。お能で、秘伝を先生が弟子に譲る場合ね、入門者だって秘伝書を読めばいいようなものの、先生の戸棚から盗んで入門者が読んでも、なんにも解りはしない。それから20年くらいお能を勉強するのだ。そうしないとなんだか知らないけれども、一所懸命口移しに覚えて、30年か40年か50年かたって、なんか曖昧模糊としたことを書いてある巻き物をくれるだろう。月がどうだとか、日輪がどうだとか。それを読むとアッとわかるのだね。わかるそれは秘伝だから、ほかの人には言えない。言ったってほんとうはしようがないのだね。そうしてメトーデがないところで伝承していくのが日本の伝統だよ。
安部 だから日本でスパイ小説が発達しないのだな(笑)。
三島 盗んだってしようがないから、ぜんぜん。
安部 せいぜい忍者で止まったということか。
日本ではよく巻き物を盗んだりするが、盗んでもしょうがないのだ。
安部 嘘なんだな。
三島 嘘なんだ。そうして文学もそうだけれども、舞台芸術、武道なんかに象徴的にあらわれていると思うけれども、伝承という考えは、西洋でも、つまり鍛冶屋に弟子に入って、徒弟時代、遍歴時代、それからマスターになるね。それはメトーデを教わるのだよ。メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される。至上の観念に到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。
そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に。しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれてくるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。