未來社刊 丸山眞男著「現代政治の思想と行動」pp.158‐161より抜粋
ISBN-10 : 462430103X
ISBN-13 : 978-4624301033
日本は周知のように明治維新による上からの革命に成功してともかく東洋最初の中央集権的民族国家を樹立し、ヨーロッパ勢力の浸潤を押しかえしたばかりか、世界を驚倒させるスピードでもって、列強に伍する帝国主義国家にまで成長した。
ところが中国では、曾国藩らの「洋務」運動から康有為の「変法維新」運動に至る一連の上からの近代化の努力も結局、清朝内部の強大な保守勢力の前に屈服し、その結果は19世紀後半の列強帝国主義の集中的蚕食を蒙って、半植民地、いな孫文のいわゆる「次植民地」の悲境におちた。
むろんこのような中国と日本の運命のひらきには、両国の地理的位置とか「開国」の時期のずれとか、旧社会の解体過程の相異とか、支配階級の歴史的性格とか、いろいろの要因が挙げられるであろう。しかし、ここではそうした原因論が問題なのではなく、むしろ、こうした出発点の相異が結局両国のナショナリズムに殆ど対蹠的な刻印を与え、それが今日の事態にも致命的に影響しているという点が重大なのである。
すなわち、中国は支配層が内部的な編成替えによって近代化を遂行することに失敗したため、日本を含めた列強帝国主義によって長期にわたって奥深く浸潤されたが、そのことがかえって帝国主義支配に反対するナショナリズム運動に否応なしに、旧社会=政治体制を根本的に変革する任務を課した。
旧社会の支配層は生き残らんがためには多かれ少なかれ外国帝国主義と結び、いわゆる「買弁化」せざるをえなかったので彼等の間から徹底した反帝国主義と民族的独立の運動は起こり得なかった。一方における旧支配層と帝国主義の癒合が、他方におけるナショナリズムと社会革命の結合を不可避的に呼び起したのである。孫文から蒋介石を経て毛沢東に至るこの一貫した過程をあとづけることはここでは必要なかろう。ただ、こうしたナショナリズムとレヴォリューションとの一貫した内面的結合は、今日中国において最も典型的に見られるけれども、実はインド・仏印・マレー・インドネシア・朝鮮等、日本を除くアジア・ナショナリズムに多かれ少なかれ共通した歴史的特質をなしていることを一言するにとどめる。
ただひとり日出ずる極東帝国はこれと対蹠的な途を歩んだ。ここで徳川レジームを打倒して統一国家の権力を掌握した「維新」政権はそれ自体、旧支配階級の構成分子であり、彼等はただ「万国に対峙」し「海外諸国と併列」する地位に日本を高めようという欲求にひたすら駆り立てられて急速に国内の多元的封建制力を解消してこれを天皇の権威の下に統合し、まさに上述の「使い分け」を巧妙きわまる仕方で遂行しつつ、「富国強兵」政策を遂行した。
この、上からの近代化の成功はまことにめざましかった。かくて日本はその独立を全うしつつ「国際社会」に仲間入りしただけでなく、開国後半世紀にしてすでに「列強」の地位にのし上がったのである。しかし同時に、近代化が「富国強兵」の至上目的に従属し、しかもそれが驚くべきスピードで遂行されたということから、まさに周知のような日本社会のあらゆる領域でのひずみ或いは不均衡が生まれた。
そうして、日本のナショナリズムの思想乃至運動はその初期においてはこのゆがみを是正しようという動向を若干示しはしたが、やがて、その試みを放棄し、いろいろニュアンスはあるにせよ、根本的にはこの日本帝国の発展の方向を正当化するという意味をもって展開していったのである。
従ってそれは社会革命と内面的に結合するどころか、玄洋社ー黒龍会ー大日本生産党の発展系列が典型的に示しているように革命に対してーというより革命の潜在的な可能性に対して、ある場合にはその直接的な抑圧力として作用し、他の場合にはそのエネルギーの切換装置たる役割を一貫して演じてきた。しかも他方それは西欧の古典的ナショナリズムのような人民主権ないし一般にブルジョア・デモクラシーの諸原則との幸福な結婚の歴史もほとんど、ろくに知らなかった。むしろ上述のような「前期的」ナショナリズムの諸特性を濃厚に残存せしめたまま、これを近代ナショナリズムの末期的変質としての帝国主義に癒着させたのである。かくして日本のナショナリズムは早期から、国民的解放の原理と訣別し、逆にそれを国家的統一の名においてチェックした。そのことがまたこの国の「民主主義」運動ないし労働運動において「民族意識」とか「愛国心」とかいう問題の真剣な検討を長く懈怠させ、むしろ挑戦的に世界主義的傾向へと追いやった。そうして、それはまたナショナリズムの諸シンボルを支配層ないし反動分子の独占たらしめるという悪循環を生んだのである。
日本のナショナリズムが国民的解放の課題を早くから放棄し、国民主義を国家主義に、されに超国家主義にまで昇華させたということは、しかし、単に狭義の民主主義運動や労働運動のあり方を規定したというだけのことではなかった。それは深く国民の精神構造にかかわる問題であった。つまり日本の近代化過程が上述のように「使い分け」の見事な成功によって急激になされたということは、一般に国民大衆の生活基盤の近代化を、そのテンポにおいても、その程度においても、いちじるしく立ち遅れさせたことは周知のとおりであるが、それはナショナリズムの思想構造ないし意識内容に決定的な刻印を押したのである。頂点はつねに世界の最尖端を競い、底辺には伝統的様式が強靭に根を張るという日本社会の不均衡性の構造方式は、ナショナリズムのイデオロギー自体のなかにも貫徹した。
そうしてあたかも日本帝国の驚くべき躍進がその内部に容易ならぬ矛盾を包蔵することによって同様に驚くべき急速な没落を準備したこととまさしく併行して、世界に喧伝された日本のナショナリズムは、それが民主化との結合を放棄したことによって表面的には強靭さを奔騰させつつあるとき日本国民は逆にその無気力なパンパン根性やむきだしのエゴイズムの追求によって急進陣営と道学的保守主義者の双方を落胆させた事態の秘密は、すでに戦前のナショナリズムの構造のうちに根差していたのである。