今回読み進めるなかにおいても、新たな興味深い発見があり、やはり奥深い著作とは、少なくとも何度か読む方が面白いといった認識を新たにしています(笑)。
また、同様に昨今よりしばらく時間を設けて『Sapiens: A Brief History of humankind』(和訳名『サピエンス全史』)を読み進めております。
しかしながら、こちらに関しては(知らない単語が多いためか)なかなか捗らず難儀していますが、それでもどうにか楽しみつつ読んでいます・・。
以上のように今現在、自身のなかで通史的な著作が流行しているようにも見受けられますが、一方において一昨日投稿分記事にて取り上げた陸奥宗光著『蹇蹇録』それに加えて森浩一企画 辰巳和弘著『日本の古代遺跡1静岡』といった無軌道ともいうべき読書をも行っており、これに対しては、さすがにここ最近『いい加減に戦線を縮小しないと不味いな・・』といった感がしてきました・・(苦笑)。
とはいうものの、寝る前の読書において、さきに挙げた『日本の古代遺跡1静岡』を読んでおりますと、本格的に眠気が訪れる直前に『・・なぜ静岡県の横穴墓(群)は遠江東部と伊豆半島基部西側に集中しているのだろうか・・?』といった、確たる答えが存在しないような疑問が生じつつ寝入ることになるわけです・・(苦笑)。
とはいえ、こうしたことは必ずしも悪いものでもなく、おそらく、こうした片付いていない疑問が残っている状態の方が翌日の読書に効率的に入ることが出来るように思われるのです・・(笑)。
また、ここからハナシはさきに述べた『横穴墓』についてになりますが、横穴墓とは古墳時代後期(6世紀代~)以降、盛んに造営された墳墓形式であり、その形式を端的に述べると、同時代に盛行された横穴式石室を持つ墳丘墓の羨道、石室部分を崖壁面に造り込んだ墳墓形式と評し得ます。
そして静岡県とは、この横穴墓が比較的多い地域の一つであるのです。
他のこうした特徴を持つ地域とは関東南部(埼玉・茨城・千葉・神奈川)それに九州(福岡・熊本・大分)であり、これらの地域とは、たしかに古墳文化においてもそれぞれ特徴的ではあるのですが、それでも当時(古墳時代)の先進地域である畿内と比較しますと総じて辺縁地域であるということは否めません・・。
つまり、古墳時代における辺縁地域において特に盛んに造営された墳墓形式が横穴墓であるとも云えるのです。
おそらく、そこには何かしら当時の大和王権支配領域にて共有可能な原因があったのではないかと考えられますが、その原因とは今現在の段階では明確には分かっていないのではないかと思われます。
また、以上のことを反語的に述べますと『古墳時代の中央、先進地域であった畿内においては壮大な王墓、多くの大規模墳丘墓が造営されるものの、古墳時代後期の墓制である横穴式石室を簡略化し崖壁面に造営したとも評し得る横穴墓に関しては、ほぼ見受けることは出来ず、大阪府柏原市に例外的にいくつかの横穴墓群が存在する。』といった感じになるといえます。
そして、以上のことからお分かりのとおり、残念ながら和歌山県内では、これまでのところ横穴墓が発見されていないのです。
とはいえ、あくまでも私見ではありますが北・中紀においては(横穴墓が)存在しないことは感覚的に納得出来るのですが、あるいは今後精査することによって南紀(みなべ~新宮)あたりでは発見される可能性もあるのではないかとも考えます。
(西牟婁郡すさみ町にて発見された上ミ山古墳は九州的な要素が見受けられるのです(独特なドーム状の天井、石障)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きましてどうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」