2017年2月6日月曜日

20170206 「八つ墓村」を立ち読みして思ったこと・・土着の風習、民俗

A「本日の首都圏は日中気温も上がり、あまり寒さを感じることがありませんでしたが、陽がかげるにつれ風が強くなり気温も一気に下がった感がありました・・。

明日はまた気温が下がり例年並みになるとのことですので体調管理に気を付け書き続けていこうと思います・・(笑)。

さて、先週末、神保町某書店の特価品コーナーに偶然立ち寄ったところ、かねてより読んでみたかった書籍が見つかり何だか得をした気分になり、これを購入しました・・(笑)。
今後徐徐に読み進めて行こうと思います。

また、それと同じ折に偶然立ち読みしたのが横溝正史著の「八つ墓村」であり、これは少々読み入ってしまいました・・。

横溝正史の金田一耕助シリーズは、これまでに一冊も読了したことがありませんが、その映画作品に関してはこれまでDVDにて、それなりの作品数を観ております。

また、これは金田一耕助シリーズの著作、映画双方にて共通すると思われることですが作中の『地域土着の風習、民俗』が物語の進行に大きな意味を持ちます。

さて、どうしたわけか、さきに述べたとおり、私は幼い頃より金田一耕助シリーズの映画を好んで観ておりました。
あるいはこれもまた私が大学院修士課程にて地域学(民俗を扱うことが多い)を専攻した遠因の一つであるのかもしれません・・(笑)。

いや、より精確に書くならば、元来そうした民俗一般を好む傾向があり、それに加え風習、民俗といったものの存在を強く感じ取ることができる地域、場所の中で在住する経験を通じ、より、その興味への拍車が掛かり専攻するに至ったものと考えられる・・といったところではないかと思われます・・(笑)。

しかしながら、実際地域に在住し、その中で徐徐に民俗に興味を持ちはじめるまでの具体的な経験およびその経緯といったものは、あまり理屈、順序立てて話す、書くことは少なくとも今現在では難しいように思われるのです・・。

また、それは忘却によるものではなく、むしろ逆であり、今現在、こうしたことを書いているだけで和歌山、南紀の季節の空気、さまざまな景色が脳裏に浮かんでくるのです・・(笑)。
これは未だ地域の自然風土から惹起される感情が大きい(大き過ぎる)ということになるのでしょうか・・?

そのように考えてみますと、これは九州、鹿児島においても同様であり、特に鹿児島においては夏の茹だるような暑さの日の印象は強烈であり「次のコンビニまで水分補給を我慢しよう・・」と自分に言い聞かせ、それが目前に迫ると「よし、また次のコンビニまで・・」といった感じで天文館から宇宿まで散歩?をしていました・・(笑)。

そして、その際、汗にまみれた顔を手で拭うと、決まって汗に細かい火山灰の粒子が混ざり皮膚がシャリシャリとするのです・・(笑)。

鹿児島市内は風向きの影響で春~夏に降灰が多いのです・・。

さて、民俗について、かつてどこかで読んだのですが三島由紀夫が一時期民俗学に興味を示しましたが、それを深く知るにつれ、どうも薄気味悪くなり、次第に民俗学から遠のいていったと記しておりました。

これはおそらく、三島由紀夫が実際にどこかの地域に一般人として、ある程度の期間在住した経験がなく、ほぼ一貫して東京に生まれ育ち、そして生活していたからではないかと私には思われるのです・・。

苦い経験と良い経験の双方が混淆された記憶を持つ自身の出身地以外での地域の記憶を持つことは少なくとも悪いことではないと考えます・・。

そして、民俗学への評価の良し悪しとは、その後の問題ではないかと思われるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

昨年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。」



20170205 誰が読んで頂いているか分かりませんが・・

昨日投稿した記事は投稿翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、同時にその後の反応として読まれている記事をいくつか見ますと「ご名答!」といった反応が適当ではないかと思われます・・(笑)。

その一方、自身の作成した記事がこの程度まで深く、真剣?に読まれていることに対して、あらためて身の引き締まる思いがします・・。

また、こうした反応を認めることが出来なければ、ブログ記事の作成とは、現在まで継続することができませんでした。
それ故、今後も時折は面白いと思われる記事を書けるように心掛けます・・(笑)。

とはいえ、ある程度までブログ記事を書いておりますと、自身でも記事として書く内容の傾向が限られていることに否応なく気が付かされるのです・・(苦笑)。

これは自身でも「どうにかならないものであろうか?」と時折思うのですが、同時に、具体的にどのような変化、試行を試みれば効果的であるか分からないため、今回もまたいつもの調子にて、とりあえず記事作成を行っている次第ともいえます・・(苦笑)。

あるいは、こうしたことも記事作成を継続していくうちに「ハッと!」妙案がひらめくことがあるのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、何れにせよ記事作成を継続することが大前提であると思いますので、今後もあまり過大な期待を抱かず、とりあえず600記事程度までは書いてみようと思います・・(笑)。

さて、そこまで書いて不図、竹山道雄のある文章を思い起こしましたので下に示します。

講談社刊 竹山道雄著 「昭和の精神史」pp.206-207より抜粋引用
「私は未来の自分の運命を考えることはやめよう。
あてのない問いをくりかえすことはやめよう。
結果を考えることはやめよう。
すべての今の刹那をみたしめよ。
今日を今日として迎え送り、明日のための今日とすることを断念せよ。
もちろん将来をめざして積み重ねてゆく現在ではあるけれども、その積みあげてゆくこと自体をもって結果としよう。
これまで私は社会からはとおく、いわゆる先物を買ったり便乗したりしたことはなかったが、これからも、あらゆる意味で先物を買うことはしまい。未来の自分の効果のために設計したり賭けたりすることはしまい。
「どうせ自分に何ができよう」「これこれのすることの意義が分かったらする。それまではやる気がしない」-こうした、私のこれまでの抜きがたかった性癖、それが私に行動を阻止し意力を麻痺させていたものを、できるだけ棄てるようにしよう。
このために私は過去に蒔いたものがすくなかったから、いまわが生の途のなかばに収穫するものとてもすくないが、すくないからとてとりいれずにおくことをやめよう。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」