2026年5月26日火曜日

20260525 身体感覚と文献資料との記号接地の感覚について:南紀での記憶から

 既に2カ月近く前のことになりますが、定例の和歌山市訪問の際、紀伊田辺まで足を延ばし、わずか2時間ほどの滞在ではありましたが、其処で大変懐かしい感じを受けました。また、紀伊田辺駅近くの街並みの様子は、かつて私が隣町の南紀白浜(西牟婁郡白浜町)に在住していた頃と比べ、明らかに寂れてはいましたが、それでも街は息づいており、その雰囲気も以前と同様であると感じられました。
 そして、こうした感覚を覚えつつ、駅前通りを扇ヶ浜方面に歩いていますと、内からの思い付きであるのか、あるいは外からの啓示であるのか、「ブログ記事の作成に困ることがあれば、南紀でのことを思い出せば、いくらでも書けるだろう。」という言葉が生じました。もちろん、そうしたものは実際の声として聞こえるものではありませんが、心の中で、そのような主張が自然に生じるのです。
 こうしたことは、度々あるわけではありませんし、また、何らかの感興が湧いた際に必ず生じるものでもないようですが、それでも何度か、そのような経験があったことを記憶しています。そして、そうした内面での思い付きや、ある種の啓示のようなものにつきましては、当ブログでも以前、記事題材として述べましたが、どうしたわけか、それらは、かつての南紀白浜在住時代に集中しているのです。
 一つは、大雨のなか、夕刻過ぎに富田川沿いの国道311号線を中辺路方面へ自動車で走行していた際のことです。ヘッドライトが正面道路上に大きなカエルを照らし出したため、自動車を道脇へ寄せて停車し、ハザードランプを点灯させたうえで、懐中電灯を手に、そのカエルを照らし出しました。すると、それが異様なほど大きく感じられ、そして、「ここから先へは行くな」との、先ほど述べたような思い付き、あるいは啓示のような感覚を覚えたため、私はすぐに来た道を引き返したことがあります。
 二つめは、休日に自転車を走らせ、JR白浜駅方面から県道にて峠を越え、上富田町へ入り、さらに直進して富田川を渡った時のことです。その後、庄川という地区へ入り、さらに進みますと、徐々に人家が疎らになり、富田川支流である庄川の流れを、小橋を渡るたび左右に変わりながら眺めつつ、なおも自転車を走らせることとなりました。そして、庄川の流れが正面を横切る場所に架かる小橋の左側に、河の神様でもある弁天様を祀る祠があり、その辺りで、先ほどのカエルの時とはまた異なる、言葉にならない畏怖の感情を覚えたため、そこから先へは進まずに引き返したことがありました。
 その後、私は同地域の大学院に進みましたが、其処でも、この場所のことが気になり、大学図書館にて地域史や民俗資料をあたっていました。そうしたなか、私は偶然、この地域でかつて行われていた雨乞い祭祀についての記述を見つけました。
 この特徴的な雨乞い祭祀は、当地域だけでなく、少し北のみなべ地域、さらに北の日高川流域においても類似した祭祀を確認することが出来ました。そのことから、これは一つの村落などの小規模単位ではなく、ある程度広域的な共同体単位にて行われた雨乞い祭祀、つまり、地域全体が旱魃という危機へ直面した際に実施された祭祀であったと考えられます。

現在、手元にある資料での記述は以下の通りです。

株式会社角川書店刊『日本民俗誌大系』全12巻 第4巻 近畿 p.201より抜粋
『北富田村庄川奥に牛屋谷(一に牛鬼谷)という滝あり、滝の奥に洞窟あり主住むという。昔、主を怒らしたため一万余の材木を洞窟に取り込まれ行き先知れず、それだけ洞窟の深さはかられずという。旱魃の時ここに雨を祈り、いかにしても雨降らぬ時は牛の首をこの滝壺に投ず、さすればその穢(けが)れを清むるためにたちまち雨降ると伝えられ、現に大正二年大旱魃の時、牛の首を投げ入れた。』

また、この雨乞い祭祀についての記述は、他の複数の文献資料にも確認することが出来ました。しかし、ともあれ、当時の私にとって、この発見は大変衝撃的なものであり、いわば、かつて自らが感じた身体感覚と、文献資料とが繋がる感覚でもありました。あるいは、これも一種の「記号接地」であったのかもしれません。
 そうしたことから、私は地域での雨乞い祭祀を基軸として、地域性について考察することにします。そして、さらに検討を進めていきますと、この雨乞い祭祀が、どのような経路で当地域に伝播したのかという問題へ至ることになります。
 その際、以前に何となく読んでいた『日本国現報善悪霊異記』(『日本霊異記』)の内容が、不意に思い出されました。しかし後になって考えてみますと、このように、かつて何となく読んでいた書籍を後年、必要とされる場面において想起されるということは、当時においては、それなりに運の良いことであったのではないかと思われます。
 あるいは、人工知能が広く実装された社会において、我々人間は、こうした曖昧で断片的な過去の記憶を、その都度の必要性に応じて、自らの力で想起する必要性そのものが徐々に失われていくのかもしれません。そして、その結果として、人間側のそうした能力自体も、少しずつ衰退していく可能性があるのではないかとも思われました。
 ともあれ、この『日本国現報善悪霊異記』(『日本霊異記』)において、私が興味深いと感じた説話につきましては、また別の機会に述べさせて頂きたく思います。
 そして最後に、改めて南紀在住時代の記憶を掘り起こしてみますと、まだそれなりに文章化することが出来そうなものが残されているようにも感じられました。しかし、実際のところは、どうなのでしょうか…。
 また、人工知能を援用せず文章を作成することは、当初のうちは、それなりにしんどさを伴うものではありますが、徐々に、自らの記憶と文語化とのギアが噛み合い始めますと、むしろ次第に捗るようになり、そして、それなりに楽しくもなってくるようです。
ともあれ、今回もまた、ここまでお読み頂き、どうもありがとうございます。


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