2023年11月21日火曜日

20231121 株式会社光文社刊 阪本浩著「古代ローマ帝国の謎」 pp.102‐105より抜粋

株式会社光文社刊 阪本浩著「古代ローマ帝国の謎」
pp.102‐105より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334706363
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334706364

共和政期も末、ポンペイウスという男は「予がどこであろうとイタリアの土地を一踏み踏めば、たちどころに歩兵、騎兵の軍勢が躍り出るであろう」(プルタルコス)「ポンペイウス伝」57吉村忠典訳)と豪語したという。共和国の中でなぜこんなことがいえたのだろうか。ローマの共和政は一体どうなってしまったのだろう。

 第一にクリエンテラについて考えねばなるまい。ローマでは、古くから社会的に有力な者と非力な者の間を「信義」(フィデス)で結ぶ一種の親分・古文関係が存在していた。これが「庇護関係」(クリエンテラ)とよばれるものであり、親分はパトロヌス、子分たちはクリエンテスと呼ばれた。親分は経済的、政治的に子分たちを助け、保護してやる。一方子分たちはその見返りに選挙のときなど、民会で親分のために組織票を投じたりするのである。有力政治家とこれから世に出ようとする若手政治家の間でならば、親分は選挙の時子分をバック・アップするなどして政界での出世を助け、一方子分は親分の手先となって働く。子分が政務官にでもなれば、親分にとって役に立つような法案を民会に出したりするわけである。ローマ社会にはこのような関係が上から下まで網の目のように張り巡らされていた。とくに共和制後期にそうなる「帝国」の拡大とともに有力な政治家たちはこの関係をローマの外にも拡大していく。例えば、ある軍指揮官がどこかの町を落としたとする。彼にはその住民を殺すか奴隷にする権限がある。しかしまたそうせずに、命を救ってやる代わりに自分の子分にしてしまうこともできたといわれる。むろん住民たちは喜んで忠誠を尽くすわけである。戦争で負けたわけでなくとも、地中海世界での自己の立場を考えて、ローマの有力者に私的に従属し、子分となる独立国の王侯も少なくなかった。

 共和政後期にはこれらの網の目が統合されていき、いわば親分たちの上に立つ大親分、クリエンテラのピラミッドの頂点に立つ大パトロヌスが出現した。民会には彼の子分たちが群を成して出席し、元老院では彼の手先が活躍し、政務官の中にも彼の息のかかかった何人もいる。海外にも、彼のためなら一肌脱いでやろうという王侯たちがいる。共和制末期の内乱には、こうした大親分同士の戦いという側面があるのである。そしていわゆる「三頭政治」というのはこうした大親分たちの取り決めともいえるのである。例のポンペイウスはその大ボスの一人だった。

 第二に、これは第一のクリエンテラと直結するのだが、ローマ正規軍が半ば私兵化した点にも注目しなければならない。「帝国」の拡大はローマ市民共同体の分解をもたらし、一部の有力者が広大な土地を「占有」し、そこに戦争によってもたらされた安価な奴隷の労働力を大量に投下し、大規模な商品生産を展開するに至る。一方ローマ国家の、そして国軍の中核であったはずの土地所有農民はその圧迫や、長びく従軍などによって没落し、土地を失っていった。彼らは従軍能力のない貧困市民となってしまうのである。これでは正規軍が維持できない。それに対処するために取られた処置が有名なマリウスの兵制改革であった。すなわち、武装自弁の原則を捨て、土地所有農民をあてにするのをやめて、貧困市民の中から将軍が自らの判断と出費によって志願兵を集め、軍団を編成するという方式である。当然その将軍が兵士たちを養うのであり、さらに退役後はどこかにその将軍が自分の出費でもって植民市を建設して、退役兵たちに土地と家を与えてやるという約束もされた。マイホームの夢、いやそれどころか忠勤すれば一文無しから生産手段を所有する自作農にしてもらえるかもしれないのである。したがって彼らは「愛国心」や「国防意識」をもって戦う市民軍の兵士などではなく、自分を金持ちにしてくれる有能で頼りがいのある親分のために戦う、半ば私兵的存在であった。こうしてローマの軍隊は、将軍である、頼りがいのある親分たちの軍隊になってしまったのである。先に述べた大親分たちは、これによって正規のローマ軍をも自分のために動員できるようになったわけである。それに外国の王侯たちも地中海世界各地から手勢を率いて馳せ参じてくれるかもしれない。そして元老院や民会では、子分たちがなんとかやりくりして、この軍隊を指揮するための「法的権限」を引き出し、自分に正当性を与えてくれるだろう。こうした大親分の最大の者が例のポンペイウスであり、そしてユリウス・カエサルだった。親分同士の流血の闘い、それが共和制末期の「内乱」の一側面だったのである。