当ブログは、2013年の学位取得後、帰郷して2年ほど経た2015年に始めましたが、その契機は、文章作成そのものよりも、「それを行わなければならない」と思い込む、ある種の感情にありました。そして、その感情は、南紀白浜や和歌山で得られたものではなく、むしろ、その後の鹿児島での在住期間に醸成されたものであったと云えます。
昨今も何度か、和歌山や南紀を題材とした記事を作成・投稿していますが、それらの作成を支える根源にある感情は、やはり鹿児島で得られたものであると云えます。南紀白浜および和歌山での在住期間は、いわば、そうしたことを感じ、考えるために学び、耕していた時期であり、その上に鹿児島での経験が種や雨、日光となり、当ブログが芽吹いたのだと云えます。
以前にも述べましたが、元来、私はこうした文章を実名で継続的に公表するような種類の人間ではありませんでした。それが後になり、葛藤や苦悩を和らげるために文章を作成するようになったのだと云えます。そして、その背後には、何らかの「経験」がありました。それは、「自らの実感を伴った理解を言語化し、それを他者に伝える」という行為でした。
こうした行為を繰り返すうちに、そこで得られた実感が、次第に私に「表現せよ」と促すようになりました。しかしながら、「表現せよ」と内面の声があったとしても、文章による表現を継続するためには、ある程度の内容が必要であり、その意味で、投稿頻度に多少の変動はあるものの、どうにか10年以上、当ブログを継続できたこと自体が、先の鹿児島で得られた経験の性質を示しているのだと云えます。
とはいえ、これまでも述べてきましたように、鹿児島での経験は決して楽しいものばかりではありませんでした。兄の死、師匠の退職といった出来事が続き、全体としては苦い記憶のほうが多かったのではないかと思われます。それでも、そうした状況であったからこそ、「実感を伴った理解を言語化する」際の私の言葉に、ある種の切実さが付加されたのではないかとも思われます。その意味で、言語とは、単に記録のための手段ではなく、喜ばしくない経験に意味を与え、変換する機能をも併せ持つものであると考えます。
現在、目指している2400記事への到達とは、おそらく、単なる通過点に過ぎません。しかし、そこに至るまでには、確かに私自身の歩みが刻まれています。実際、初期の投稿記事を読み返してみますと、現在のそれよりも、さらに稚拙なものが多いのは事実です。しかし、それら初期の文章があってこそ現在があるのだと云えます。
おそらく、文章の作成という行為は、結論的な見解を得るためだけのものではなく、問いを持ち続けるためにあるのではないかと考えます。そして、その問いを持ち続ける限り、私はこれからも、何らかの形での文章作成を行うと思われます。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

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