A「本日の首都圏は午前中に雨が降り、また1日を通して気温が上がらず、大変に寒い1日でした。また、自身も少し体調がすぐれない1日でした。
もうじき、この冬めいた気候も終わり、春が訪れるのでしょうが、もうしばらくは防寒衣料が手放せない日々が続きそうです・・(苦笑)。
さて、本日も前述の体調により、ブログ記事作成を断念しようと思いましたが、幾ばくかの閲覧者があったことから、本日、今現在こうして記事作成を開始した次第です・・。
とはいえ、あと残り20数記事の作成によって600記事に到達することから、あまり無理をしてまで記事作成をすることもないのですが、その一方で、どうも何かしら書いておかないと落ち着かない自身がいるようです・・(苦笑)。
さて、昨日作成の記事に書いた通り、今後また求職活動を再開する所存ですが、これまたどうなるものか分かったものではありません・・。
また、特に昨今の大学職種とは、全般的に任期付きが多いことから不安定とも思われるところですが、それでも自身に関しては、これまでの経験から、そうした職種こそが最も全力で取り組むことが出来るのではないかと考えるのです・・。
また、かつて大学職種に就いた時期がありましたが、もしもそのまま大学の職に就いていたならば、おそらく、このようなカタチで、これまでの期間(1年9カ月程度)継続的に文章を書き、そして、その書かれた文章が20万人以上の方々に閲覧されるといった経験は得ることができなかったのではないかと考えます。
それ故、これに関しては特に大きな後悔はしておりません・・。
やはり、自身に関しては、こうしたブログ(文章)作成を継続するという行為においても、ある程度不退転の決意を後押しする『契機』が必要であったのではないかと思われるのです・・。
もっとも、こうしたことは何も自慢出来るようなことではないのですが・・(苦笑)。
それでも、これまで継続的に記事作成を行うことが出来たことは、自身にとって少なからず得るもの、進歩があったと考えます・・。
何故ならば、当記事冒頭の『どうも何かしら書いておかないと~』といった消極的な書き出しから、ここまで、どうにか一気呵成とまでは行きませんが、あまり逡巡することなく書くことが出来ておりますので、それは、おそらくブログ記事の継続的な作成以前の自身では出来ないことであったと認識するからです・・(笑)。
以前、ミクシィに登録していた際には、一週間に一度程度、こうした記事を作成していた記憶がありますが、その内容とは、残念ながら登録情報を全て削除したため、現在となっては見ることが出来ませんが、あるいはその中にも見るべきものがあったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
いや、それでも特に無理をして書くわけではありませんが、おそらく作成された記事全体として考えてみますと、現在作成しているブログ記事の方が、多少は面白い、見るべきものが相対的に多いのではないかと思われるのです・・。
そしてまた『今後、如何なるカタチでこれまでの記事作成の経験が生かされるのであろうか?』とは、なかなか自身としては楽しみにしているところでもあるのです・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!
昨年の熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年3月27日月曜日
20170326 経験によって分かること、自身の性質、能力などについて
本日の首都圏は降雨そして真冬並みに気温が低下し、大変寒く感じられる一日でした・・。
一方、昨日書いたブログ記事は投稿翌日の割には多くの閲覧者を得ることが出来ました。
これは記事前半の『シン・ゴジラ』を扱った部分によるものか、あるいは後半部分の対話形式によるものであるか分かりませんが、何れにせよ、読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また、改めて実感したことですが、対話形式にて文章を作成する場合、その文章、文量とは独白形式のそれに比べ、ある程度容易に書くことができるようです・・。
しかしながら、この対話形式の場合、その多くを実際の記憶に依拠しているため、何といいますか『自身の有している会話の記憶』と『それを文章として書き起こす際の文体』の歯車が上手く噛み合うまで、多少時間がかかってしまうようです・・。
一方、ほぼ創作にて対話形式の文章を作成した場合、どうもウソっぽくなってしまうと考えるため、完全に創作としての対話形式の文章とは未だ書けないでおります・・(苦笑)。
また、今後もそういった文章を書くことは難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。
あるいは、こうしたことも自身のこれまでの『文体』によるものであるのかもしれませんが・・。
とはいえ、今現在の段階としては『創作としての対話形式の文体』に対し、あまり大きな魅力を感じることもありません・・。
さて、そこからハナシは変わりますが、今月にて現在勤務している場所に入り丁度一年が経過し、また、この一年間でさまざまな経験をさせて頂きました。
そこから、やはり自身としては大学にて研究支援職、コーディネーターなどに就く方が自身をより生かすことが出来るのではないかと考えるに至りました・・。
もっとも、このことは、以前投稿のブログ記事に書いた通り、かねてより考えてきたことではあるのですが、それでも『現在の職務において何らかの爪痕を残さないことには実に不甲斐ない』と考え、自分なりに慣れないことも含めを懸命に行ってきた次第です・・。
やはり人間とは、ある程度年齢を重ねますと、職務を通じ、自身の得手不得手といった性質、能力がより明瞭に見えてくるようであり、そうしたことを通じて自身の『限界』といったものを感じることは往々にしてありました・・。
しかし、これを別言すれば『自身の得意なことがより明瞭に分かった』ということでもあり、これは今後の求職活動および就いた職種においても生かすことが出来るのではないかと考えます・・。
また、それを具体的に書けば、その職務が『ある程度の時間を費やせば出来るか、そうでないか』が感覚的に理解出来たということではないかと考えます・・。
これは『当たり前のことではないか?』と思われる方も多いのではないかと考えますが、しかし『では、そうしたことを理解された経験とは、どの程度の自身の実体験から得られたのでしょうか?』と今一度考えてみますと、それらの多くは一般的な言説などに依拠している部分が多く、殊自身に関しては不明瞭である部分も多いのではないでしょうか?
そしてまた、こうしたことも帰納法と演繹法による知見とのすり合わせにより、より精確な知見を得ることが大事であるのではないかと思われます・・。
加えて、自身の場合、あまり一般的とは云えない学問分野の変遷を遂げて来たことから、より、そのあたりが不明瞭であることから、自身の活動によって、それを明らかにして行かざるを得ないのではないかと考えます・・(苦笑)。
また、こうした変則的な経路を歩んできた自身に対して接触を保ち続けてくださった方々がいらっしゃることは自身にとって大変な励みとなっており、またそれにより、これまでどうにか自意識に押し潰されることもなく、またブログ記事の作成を継続することが出来ているのではないかと考えます・・。
さらに、どなたであるか分かりませんが、作成したブログ記事に対し、さまざまな興味深い反応を継続的にされる方々がいらっしゃることもまた、同様に大変な励みとなっております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺での地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
一方、昨日書いたブログ記事は投稿翌日の割には多くの閲覧者を得ることが出来ました。
これは記事前半の『シン・ゴジラ』を扱った部分によるものか、あるいは後半部分の対話形式によるものであるか分かりませんが、何れにせよ、読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
また、改めて実感したことですが、対話形式にて文章を作成する場合、その文章、文量とは独白形式のそれに比べ、ある程度容易に書くことができるようです・・。
しかしながら、この対話形式の場合、その多くを実際の記憶に依拠しているため、何といいますか『自身の有している会話の記憶』と『それを文章として書き起こす際の文体』の歯車が上手く噛み合うまで、多少時間がかかってしまうようです・・。
一方、ほぼ創作にて対話形式の文章を作成した場合、どうもウソっぽくなってしまうと考えるため、完全に創作としての対話形式の文章とは未だ書けないでおります・・(苦笑)。
また、今後もそういった文章を書くことは難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。
あるいは、こうしたことも自身のこれまでの『文体』によるものであるのかもしれませんが・・。
とはいえ、今現在の段階としては『創作としての対話形式の文体』に対し、あまり大きな魅力を感じることもありません・・。
さて、そこからハナシは変わりますが、今月にて現在勤務している場所に入り丁度一年が経過し、また、この一年間でさまざまな経験をさせて頂きました。
そこから、やはり自身としては大学にて研究支援職、コーディネーターなどに就く方が自身をより生かすことが出来るのではないかと考えるに至りました・・。
もっとも、このことは、以前投稿のブログ記事に書いた通り、かねてより考えてきたことではあるのですが、それでも『現在の職務において何らかの爪痕を残さないことには実に不甲斐ない』と考え、自分なりに慣れないことも含めを懸命に行ってきた次第です・・。
やはり人間とは、ある程度年齢を重ねますと、職務を通じ、自身の得手不得手といった性質、能力がより明瞭に見えてくるようであり、そうしたことを通じて自身の『限界』といったものを感じることは往々にしてありました・・。
しかし、これを別言すれば『自身の得意なことがより明瞭に分かった』ということでもあり、これは今後の求職活動および就いた職種においても生かすことが出来るのではないかと考えます・・。
また、それを具体的に書けば、その職務が『ある程度の時間を費やせば出来るか、そうでないか』が感覚的に理解出来たということではないかと考えます・・。
これは『当たり前のことではないか?』と思われる方も多いのではないかと考えますが、しかし『では、そうしたことを理解された経験とは、どの程度の自身の実体験から得られたのでしょうか?』と今一度考えてみますと、それらの多くは一般的な言説などに依拠している部分が多く、殊自身に関しては不明瞭である部分も多いのではないでしょうか?
そしてまた、こうしたことも帰納法と演繹法による知見とのすり合わせにより、より精確な知見を得ることが大事であるのではないかと思われます・・。
加えて、自身の場合、あまり一般的とは云えない学問分野の変遷を遂げて来たことから、より、そのあたりが不明瞭であることから、自身の活動によって、それを明らかにして行かざるを得ないのではないかと考えます・・(苦笑)。
また、こうした変則的な経路を歩んできた自身に対して接触を保ち続けてくださった方々がいらっしゃることは自身にとって大変な励みとなっており、またそれにより、これまでどうにか自意識に押し潰されることもなく、またブログ記事の作成を継続することが出来ているのではないかと考えます・・。
さらに、どなたであるか分かりませんが、作成したブログ記事に対し、さまざまな興味深い反応を継続的にされる方々がいらっしゃることもまた、同様に大変な励みとなっております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺での地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
登録:
投稿 (Atom)