そこから、重複・近似している記事の主題・テーマが、かねてより私が興味を抱いている領域であることが理解されますが、またそれは、継続的な読書を通じて、新たな情報を入手し、さらに、新たな考えに接することにより、それ以降のブログ記事作成にも、何やら生きてくるのではないかと思われます。
とはいえ、このことは、昨日投稿の「「負の自覚」から生じる葛藤と、ブログの継続について」にて述べた「作成したブログ記事から抽出された感覚や考えを言語化することによって、より、それらの文章を作成した私自身にとって、分かり易いものになり、そしてまた、そうした記事は、相対的に多くの方々に読んで頂いていると思われるのです・・。」を抽象的に言い換えたものとも云えますが、ともあれ、ここで大事であると思われることは「読書を通じて、新たな情報や考えに接すること」であるように思われます。
つまり、たとえ、内奥に深遠な思想や該博な知識があろうとも、それらを何らかの関連に沿わせ、組合せ、文章として表現し、そして、少なくとも、それを意味が通じる文章として理解してくださる方々がいないと、その記事から生じるものは乏しくなってしまい、ひいては記事作成の継続を困難にしてしまうこともあると思われます。
こうした事情から、継続的に新たな情報や考えに接し、(自分なりに)吸収することが重要になってくると思われるのです。つまり、他者の作成した文章を、理解を伴いつつ読み進めることにより、文脈を理解しつつ文章を読む訓練が為され、そして、脳の、そうしたことを司る部位が活性化されるのではないかと思われるのですが、この活性化される部位とは、おそらく、読解力と同時に文章作成についても少なからず関与しているのではないかと思われるのです。
そこから、統計をとったわけではありませんが、ある程度の期間ブログが続いている方々は、概ね、何らかのカタチで、継続的に文章を読んでいるのではないかと思われるのです。
そうでなければ、おそらく、文章の文体などよりも先に、その主題・テーマの方が払底してしまうのではないかと思われます。
他方、日常生活での具体的な出来事などを記したブログの場合は、その必要はないのかもしれませんが、そうした場合、今度は、文体などのいわば「言い回し」の方で次第に陳腐さを感じるようになり、そして、記事作成も困難になってくるのではないかとも思われるのです・・。
つまり、文章の読解と作成を司る脳の部位を継続的、日常的に働かせ、活性化しようと試みている方が、こうしたブログの継続には好都合であると思われるのですが、こうした継続的な読書、そして、多くの場合、明確には意識していないのでしょうが、その読書に基づき自らも文章を作成している方が、さきの主題・テーマの払底や、文体の陳腐さなどもあまり感じることなく、自然なカタチにて継続することが出来るのではないかと思われます。
そして、ここで重要であると思われることは、これら行為の基礎にある能動性であると思われるのですが、これにつきましては、また別の機会に記事作成をしたいと思います。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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