2024年5月1日水曜日

202405012185記事到達:令和・歯科医院訪問記④山梨について 

本日の記事投稿により、総投稿記事が2185に到達して、さらに15記事の新規投稿により、当面の目標としている2200記事に到達することが出来ます。また、先月末頃の鹿児島訪問以降、彼の地で受けた刺戟から、また、出来るだけ自らの地の文章によるブログ記事作成を心掛けるようになりましたが、そうした変化を自然に引き起こしてくれることもまた、日常とは異なる場所に出向く、一つの大きな意味合いであると考えます。

ともあれ、そうした経緯にて、今現在も出来るだけ地の文章での記事作成を試みている次第ですが、そこで不図思い起こされたのが、去る1月末に訪問して、これまでに3記事作成した「令和・歯科医院訪問記」です。これらの記事については、今後さらに2記事は作成する用意がありますが、ここ最近は続編作成への踏ん切りがつかずに、また先方の先生も「大丈夫ですよ。気にしないでください。」といった様子であることから「まあ、急ぐこともないか・・。」と考えていましたが、さきに述べた「自らの地に近い文章」、異言しますと「あまり推敲を重ねずに、思い付いたまま近く作成した文章」で、比較的楽しみつつ作成出来記事が、さきの「訪問記」であったことから、この、いわば「勢い」を利用して、続きを作成してみようと思い立ち、ここまで書き進めている次第と云えます。

さて、これまでに作成した「令和・歯科医院訪問記」では、丁度、山梨市駅から徒歩で医院入口に着いたところで終わりましたので、その続きは、院内各種設備の説明からはじまり、実施している特徴的な治療法や用いる器具などについての解説を行い、その医院の紹介を試みるのが妥当なところであると考えます。また、たしかに、そうした情報は歯科医院の特徴を見出すのに大変有効であると考えますが当「令和・歯科医院訪問記」では、以前にも述べたように、脱線や遠回りを是として、さらにくわえて、地に近い文章での作成をもまた是としたことから、当訪問記が思い起こされて能動的に続編の作成を試みています。

さて、ここで話は飛びますが、大分以前、伯父が存命の頃、ご自宅や管理をされていた伊東市の祖父母の家、そして飲み屋さんなどで、お酒を飲みながら、この伯父の話を聞くことが度々ありました。伯父は仕事柄、話は慣れており、また、それだけに上手く、そしてまた、(あまり月並みではないためか)印象に残る意見や見解を述べることも少なからずありました。さらに、そうしたことが今なお、日常生活の中でハッと思い起こされることもあるのですが、それが、この「訪問記」の続きに繋がるのです・・。

以前、おそらくこれは伊東市の祖父母の家での会話であったと思いますが、富士山の話から静岡県と山梨県の話題になり、その中で伯父は山梨県について「私が卒業した学校の創設者は山梨県出身の財界人としてよく知られているけれど、その起こした事業でよく知られているが東武鉄道でね。それと並んで有名なのが阪急電鉄の創業者である小林一三で、こちらも山梨県の出身だね。さらに遡ると、明治初期から国内各地で鉄道の敷設や殖産事業を手掛けてきた雨宮敬次郎も山梨県出身でね、だから、確かなことは云えないけれど、あの海がなくて山々に囲まれた環境のなかにいると、そのうちのいくらかの人々は、そこから強く出たいと考えるようになって、そして、それを具現化する手段が、折しもの文明開化によって齎された鉄道であったのだと思うよ。」とのことであり、そしてまた「鉄道」を「高速な移動手段」として捉え直してみますと、かつての甲斐源氏武田氏が誇った甲州騎馬軍団もまた、同じ系譜を遡上したところにあるのではないかとも思われました。

そして、さらに重ねて「高速な移動手段」に拘ってみますと、我が国で唯一、航空分野を専門とする中学・高等学校および専修学校を運営している私立の学校法人の起源が、戦前期の、この山梨県であったことも何やら関連があるように思われましたが、これは訪問先医院にてご応対頂いた大先生から伺った話がソースです。その後、ネット検索や資料をあたっていますと、興味深いことに、たしかに昭和初期(7年)に当地山梨の在郷軍人会が航空研究会を発足したことが学校法人の起源となっており、こうした、いわば、ある程度広い世界を知る地元の方々による能動的な活動が、その地域を特徴付ける要素をより明瞭なものとして固定化して、さらにそれが紆余曲折を経ながら後世にまで積層されるといったことは、おそらく我が国の何処でも同様であると考えます。

ともあれ、そうした視座から山梨県の県民性の一つとしては「絶対矛盾の自己同一」のように「愛郷心」と「脱出・遠くへ行きたい願望」が相矛盾しながらも併存するといった個性があるものと考えます。

その意味で、訪問先医院の院長について、以前に述べましたように、御実家の山梨から東京の歯科大学へ出て、そこからさらに沖縄の大学病院近くに転居をされ、さらに、現在においても所用のため、比較的頻繁に沖縄へ訪問されていることは、これまで述べてきた視座から考えてみますと、山梨県人を特徴付ける性質が、比較的強く看取出来るのではないかと思われます。さらに、ここまで書き進めていて、関連するものとして不図、想起されたのが、以前にも何度か引用記事を作成した北杜夫による「どくとるマンボウ医局記」内の記述です。北杜夫は慶應義塾大学病院医局員時代に山梨県の病院(現在の山梨県立北病院)に勤務していた時期があり、当著作に、おそらく、その当時に考えたと思しき記述が散見されるのですが、そうした記述と関連させつつ、また後日、院長先生をはじめ歯科医院のことを、こうした地に近い書きぶりにて、さらに書き進めたいと考えています。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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