2016年4月24日日曜日

20160424 薩摩武士について

先日神保町で比較的程度の良い野上弥栄子著「迷路」下巻を見つけましたので、購入しました。

これは今現在あまり読んでいませんが(50頁程度)それでも今後の展開が楽しみです・・。

また、それに加え同日、以前専攻していた分野の書籍、ノート等を探していた際に橋川文三著の「西郷隆盛紀行」を見つけました・・。

籍の整理などをしている際によくあることですが、そこでしばらく読んでしまいました・・(笑)。

この書籍においては著者と島尾敏雄との対談が大変面白く、ここでも著作内文章を抜粋引用したい誘惑にかられましたが、止めておきました・・。

もし、西郷隆盛に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この著作には示唆するものが少なからずあるのではないかと思います。

また、それに加え、この時、鹿児島出身の作家である海音寺潮五郎の著作「田原坂」(短編集)を大分前に読んだことを思い出しました。

これは西南戦争を実際の父祖の体験したコトとしている同著者が記したものであることから、当時の鹿児島(薩摩)の風土が強く伝わってくるように思います。

うした風土の一つとして、当時19世紀後半における薩摩の武士社会とは、おそらく、たとえば東海、関東などにおけるそれとは、随分異なっていたのではないかと考えさせられます・・。

また、そのようなことから、現在においては同じ武士、侍などといった名称が様々な宣伝文句などにて用いられておりますが、その実態とは、地域あるいは当時の藩などによって、随分異なっていたのではないかと思います・・
以上のような見地に立つ場合、もう少し厳密な定義が必要ではないかと思うことがあります・・(笑)。

つまり、ほぼ絶滅してしまった過去のもの(アメリカ合衆国におけるネィティブ・アメリカンのように・・・そういえば、入植者である白人が、滅ぼしたネィティブ・アメリカンの文化を自家嚢中のものの様に扱うことは、なかなか興味深い現象です・・。)ではありますが、その対象たる「武士、侍」とは、日本国内諸地域において、その認識される内容に、かなりのバラツキがあった(ある)のではないかと思います・・。

私見とはなりますが16世紀の九州内での争乱、関ケ原の合戦から幕末、西南戦争において勇猛さを誇った薩摩武士とは、かなり大雑把にいいますと、辺境であったがゆえに、鎌倉期に流入した関東武士、鎌倉御家人的な要素が強く残存し、それに加え、古来より勇猛で名高い在来の隼人文化が混交したものであり、同時にそれぞれ(鎌倉御家人、隼人)のオリジナルに近い姿を留めたものではないかと考えさせられます・・。

そして、それは我が国の江戸期に代表されるような武士(文治的な施政者)とは大きく異なるものの、同時にそれは始原に近い武士の姿をより多く留めたものであったのではないかと考えさせられます・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。