つい先日、先月に続き再び歯科理工学の師匠にお目にかかりました。
師匠は年齢も65歳となりますが、それでも未だなお、御自身の手で試料作製、各種機器分析を行っているとのことであり、そのことから、当たり前のハナシではあるかもしれませんが、本当にこの分野の実験、研究が好きであることを感じさせます・・(笑)。
加えて、今後もしばらく歯科専門雑誌への連載が続くとのことで、その創造性と情熱に素直にアタマが下がる思いです・・。
また自身もそのような師匠のもとで研究出来たことを誇りに思うところですが、その一方、この点では文系の師匠も決して負けてはおらず、あるいは似たようなところがあり、先日お目にかかった際も、昨今より研究、執筆課題として取り組んでいる歴史上の出来事、および、それがどのような意味を現代社会において持つか、といったことを相変わらずの聞き取り易いが早口気味の少し高めの声で説明、話されているのを聞いている時は、さきの師匠とお目にかかった時と幾分類似した『感じ』にとらわれたことが思い起こされます・・。
そして、こうした『感じ』とは、以前もブログ記事にて書きましたがおそらく『情念引力』と称されるものであり、それは学問・研究などにおいて極めて大きな意味を持つのではないかと考えます・・。
自身の場合、幸か不幸か周囲にこうした方々が割合多くいたことから修士、博士での専攻分野の大きな宗旨替えを行ったにもかかわらず、どうにかなった、どうにかなってしまったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
それを異言しますと、これら師匠、周囲の方々が持つ一種の『引力』により、どうにか各々の終着点まで辿り着くことが出来たのではないかということです・・。
無論、自身もある程度は努力したとは考えますが、しかし、おそらくそれだけでは、こうしたものとは、どうにもならないことがあるのではないかと思われます・・。
また、そのように考えてみますと、さらに大きくは、その地域が持つ何かしら『不可知な力』によって動かされた部分も少なからずあるのではないかとも思うに至るのです・・。
とはいえ、こうした考えとは、一般的には迷信的、カルト?と、とらえられるところではあるのでしょうが、それでもなお、当時、自身が経験した多くの重要と思われる局面において、自身の知情意では到底及ばない、それこそ『不可知な力』が作用したのではないかと思われるのです・・。
しかし不思議に思うことは『では一体どのような原因あるいは作用機序によって、こうしたことが生じたのか?』ということであり、これはこの先も自分なりに考え続けようと思います・・。
また、そうした一種の『問い続けようという根本にある姿勢』こそが、これまでどうにか継続的にブログ記事を作成することが出来た大きな要因であると考えますので、今回の記事投稿により600記事に至る記事の主題としては、少なくとも不適当ではないものと考える次第です。
しかしながら、ここまで書いて特にこれといった感興などは生じませんが、おそらくそういったものであるのでしょう・・(笑)。
一瞬、短時間の強い感激も時には良いのかもしれませんが、同時にそれは日常的な小さな感興を感知するセンサーに対しては、必ずしも良い影響ばかりを与えるものではないのかもしれません・・(笑)。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。おかげさまで600記事に到達することができました。
昨2016年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。