2016年9月28日水曜日

20160927 最近公開されたアニメ映画から勝手に思ったこと・・

さる八月に公開された地方と東京を舞台とするアニメ映画が大きな反響を呼んでいるとのことです・・。

この映画はストーリーの面白さもさることながら映像が大変キレイとのことであり、予告編を動画サイトにて視聴しますと「ウワサ通りたしかにキレイである。」と感じました・・。

しかし、実際の東京都心部の光景・景色とは概ね、このアニメ映画に描かれているような透明感のあるようななものではないと思いますが・・。

とはいえ、こうした描き方とは、アニメならではの創造的作業であり、やはり素晴らしいものであると思います・・。

また、一方の舞台である地方の光景、景色に関しては、自身の在住経験がないため、判断をすることができません・・。

もとい、こうした人格の入れ替わり、都市と地方との対比などを扱った物語とは、新しくとも日本霊異記の時代(~9世紀初頭)から我が国に存在しておりますので、現在の我が国にて、こうした主題、テーマが選ばれ、そして、それが人気を博しているということに対し「一体どのような背景となる世相、時代精神といったものが存在するのであろうか?」と考えさせられます・・。

こうしたものは、おそらく映像のキレイさといった要素のみにて人気を博することは少ないと思われますので・・。

また、都市と地方(文化)の対比そして融合、調和といったことを一つのテーマとして扱ったアニメ映画として一連のジブリ映画ほど有名ではないようですが高樹のぶ子原作の「マイマイ新子と千年の魔法」が挙げられるのではないかと思います。

この映画は鹿児島在住時に観ましたが、鑑賞の際、三十路過ぎであるにもかかわらず、不覚にも泣いてしまいました・・(笑)。

おそらく当時の私とは、この映画のテーマに対し甚く共感したのであろうと思われます・・。

興味を持たれた方は、よろしければ一度ご覧ください・・。

また、さきの映画のもう一つのテーマである人格の入れ替わりに関しては、アニメ化はされておりませんが、安彦良和のマンガ「天の血脈」が大変面白く、このマンガを読みますと、和歌山在住時にフィールド・ワークにて古社、古墳などに訪れた際の感覚が思い起こされます・・。
(あとになり手塚治虫の「火の鳥」(太陽編)もそうしたテーマであることを思い出しました。)

そして、その感覚の原因は判然としませんが、その感覚とは、こうした場所(古墳、古社など)を訪れると、以前ブログ記事にても記した「瞬時に様々な感覚の波が押し寄せる」といったものであるといえます・・。

このような感覚・精神現象?とは、なかなか面白いものです(そういえばラフカディオ・ハーンこと小泉八雲もどこかでそうしたことを述べていたと思います・・)。

もしかすると、我々とは、大概ある程度年齢を重ねると(多分30歳くらいでしょうか? そしてそのように考えると孔子の「論語」内の「三十にして立つ」とは、なかなか深い含蓄があるのかもしれません・・。)何かに対して、そうした感覚、現象が生じるように出来ているのではないでしょうか・・?
明確にはわかりませんが・・(笑)。

しかし、ハナシをもとに戻し、こうした都市と地方との対比、人格の入れ替わりをテーマとして扱ったアニメ映画を鑑賞する場合、それを鑑賞する人間が「どこで観るか」(都市、都会あるいは地方)によっても、おそらく鑑賞後の感想とは、大分異なるのではないかと思われます・・。

その意味において、このアニメ映画とは、(おそらく)一方において地方を舞台としながらも、その地方と東京の関係とは、我が国においてステレオタイプ化、無害化されたものから進化、変化していないのではないかと思われます・・
(対極にあるものが映画であれば野村芳太郎監督の「八つ墓村」あたりではなかろうか・・)。

また同時にそこから現今進行中の東京オリンピックへの一連の準備から看取される(東京における)時代精神らしきものを感じさせますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。