そして、それに加えて去る2月末からの東欧での戦争、そして昨今の東アジア情勢も、きな臭くなってきました。これがとりあえず無事に過ぎ去っていくことを願っていますが、しかし、もう少し長期での東アジアを考えてみますと、いずれにせよ、これまで蓄積してきた応力そして緊張は、どこかで解放を要するものと思われますが、それが流血を伴わずに、時間をかけて緩徐的に為されるか、あるいは戦争と云うカタチで一気に、そして暴力的に為されるかは分かりませんが、しかし、いずれにせよ、現在の世界情勢は、おそらく、戦後以来もっとも不穏な状況にあるのではないかと思われます。
しかしまた、こうした状況のなか(否応なく)同時代人として生きていることにより、これまで書籍や映画などを介して、ある程度の知見を得て理解したと思っていた歴史の流れや、その出来事などに対して、また新たな関心を持つ機会を与えられたようにも思われます。そして、そのおかげで、これまで縁遠かった分野のことについても知ることが出来ました。おそらく、そうした行為をしばらく続けていますと、また新たに、口語・口頭であれば、概要の説明程度は(どうにか)出来るようになるのではないかとも思われます・・。
とはいえ、そうしますと私の場合、その関心を持つに至ったきっかけはそれぞれ違いますが、その構造自体については、おそらく幼い頃からあまり変わっていないように思われます。そして、それがそれぞれの学校での教科と被るものであれば、特異的に良い成績を修めることもありましたが、そうしたことはあまり多くはありませんでした・・。
また、これは先日、文系の師匠との会話から不図思ったことですが、こちらの師匠はお目に掛かった当初から若干早口であり、また、あぶらが乗ってきますと、さらに早口になるのですが、ともあれ、そこで話されている内容は、ある程度専門的なことであると思われますが概ね理解出来ていました。さらに、その途中で「先生、その話されていた短編小説ですが、大変興味深く、おそらく今後どこか読ませて頂きますが、この作品の元ネタになった作品は、おそらく「****」の「***」であると思うのですが、これについてはどう思われますか?」といったことを質問をさせて頂いたりしました。また、その具体的な内容につきましては、また後日、あらためてブログ記事として作成したいと思いますが、ともあれ、さきのような、遅々としたものではあれ、内発的な興味によって始まった活動・行為によって内面化された知見や記憶とは、おそらく多くの場合、こうした当初から計画されたものでない、偶然のなりゆきでの会話のさ中においても、関連すると思しき知見や記憶が適宜、立ち上がってくるのではないかと思われるのです・・。
そして、こうした感覚は、おそらく母語ではない、他の言語を内発的な意志で(ある程度の期間)扱う経験を経ることによって得ることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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