そうした書籍からの引用記事に関しては、現時点において、その候補が100近くあると思われますので、今後、そうした引用記事を集中的に作成する期間を設けても良いのではないかとも思われます。しかし、私の場合、未だに自分の作成する文章に対する十全な自信がないことからか、たとえ断続的ではあれ、自らによる文章作成を継続しておかないと不安になってきてしまうのです。あるいは、こうした状態は強迫性障害に近いのかもしれませんが、しかし、それが除去されて、そして、めでたくブログ記事の作成を不安感ナシに止めることが自分にとって良いことであるのかと考えますと、こうした、ある種の「内面の葛藤・不調和」につき合えるだけつき合ってみることにより得られるものも、少なからずあるのではないかと思われるのです・・。
対して、当初から合理的な経路選択によって得られた、辿り着いたものとは、往々にして、さきの葛藤・不調和を経たものと比べて、自身の中での払われる価値が低くなるように思われます。しかし、そのように考えてみますと、概して創造には、そうした性質があるのかもしれません。つまり、さまざまな思考錯誤を重ねて時間をかけて作成、創造されたものと、既存要素をわずかに改変して組み合わせ、あるいは組み合わせた後で改変したものとを比較しますと、さまざまな程度の相違はあるものの、前者の方がより普遍的な意味での創造と云え、そしてまた時間的な意味での普遍性を持つ可能性が高くなるのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、こうしたことは、各人各様で価値観が異なることから、普遍的な数値データに基づく結果そして傾向などを見出すことは難しいのかもしれませんが、それでも最終的には、さきの「葛藤・不調和を経た創造の方が、より普遍的な意味での価値があるのではないか?」から更に進んだ言語にて説明可能な見解に至ることが出来るのように思われるのです。
そして、そこで重要であると思われるのが、そうした見解の鋳型ともなるような物語としての神話や小説などです。おそらく、原初期の頃から現在に至るまでの人文社会科学全般の持つ普遍的な価値もまた、そうしたところにあるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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