これまで対話形式のブログを主として書き続けてきましたが、これらは特に内容に自信があるわけでもなく、ただ闇雲に書いてきたわけですが、客観的に見たらどういう感じに見えるのですかね?」
B「・・Aさんのブログは多分読む人を選ぶのではないかと思います。
また、それらを楽しんで読める人は、そんなに多くないのではないかと思いますが・・投稿によっても多少ブレがあるのではないかとも思いますね・・。」
A「はあ、そうですか・・。
具体的なブログの閲覧者数は分かるのですが、実際のところ私のブログはどのように読まれているのでしょうかね?
それが多少気になるところです。」
B「そういうことを気にしはじめますと、一層リラックスして文章を書くことが難しくなる可能性がありますので、あまり気にしない方がいいのではないかと思いますが・・。」
A「・・ううむ、そうですね。
しかし、ブログのネタが枯渇気味の時に、こうした状況をネタとして文章を作成することもできますので、まあ、これはこれで考えるヒントにはなります。
それ故、その時の考えなどを正直、率直に記し続けることが大事なのではないかと思います。」
B「ええ、その調子で良いと思いますよ。
それにAさんの一連の対話形式のブログは少なくとも自分の言葉で書いていることは伝わってきますから・・それは大事なことであると思います。
また、使われている専門用語なども私の知る範囲ではトンチンカンな使用はしていないと思いますので、それは特に不安に思うことはないと思います。
あと、加えて時折私との会話も断片的に使われていますよね(笑)。」
A「まあ、そういった会話を含む様々な経験の記憶がネタの源泉ですからね(笑)。
しかし、どんな人でもそういった事情は同じことではないでしょうか?
経験に頼りすぎるのも如何かと思いますが、しかし一方において、普遍的な科学的知識のみに頼り書いてゆくのもどうかと思いますので、個人のできることは、科学的知識を大事にしながら経験を増やしてゆき、そしてその記憶を明晰化、言語化することではないかと思います。」
B「ええ、おっしゃることに対して特に反論はありません。
それは知識と経験のバランス、あるいは知識と経験を合成して見識とするようなことですね。
そして、大事なことは、それら記憶を率直に言語化することなのでしょうね。」
A「ううむ・・記憶とは不思議なものであると思います。
そこで不思議に思うことは、書いている自身のどの心境の相が文章を書くのに適しているかどうかということであり、そして、そういった相を維持あるいは励起させることが、記憶を言語化する際に極めて重要な要素ではないかということです・・。」
B「・・それは大変興味深いですね。
文章を書くのに適した心境の相ですか・・。
それで思い出すのは、以前Aさんがブログで「集中して周りが見えていない時に文章が進む。」といった意味のことを書かれていましたよね?
そして、それはAさんが自分自身になっているということですよね?
そうしますと、自分自身になっている時とは、意外と自分自身から離れている時であるとも考えられますよね?
こうした逆説は、今までのお話をお聞きして思いついたのですが、Aさんの主張、考えと当てはまりそうですか?」
A「・・なるほど。
いわれてみますと、たしかに腑に落ちるような感じを受けます。
そしてそれは、自己言及のパラドックスに何やら近いのではないかと思います。
そうしますと、創造性を持ち文章を書くのに適した心境の相とは、自身の日常性から離れている状態でありながら、同時に自分自身になりきっている状況にあることを意味しますよね?
そうしますと、様々な意味における創造的な状態、心境とは、案外普遍性があるのかもしれません・・。」
B「そうですね。
そしてそこで問題になるのは「では、どのようにしてそのような状態を現出、維持するのであろうか?」ということになりますね・・。」
A「・・そういうことになりますね。
しかし、そこが重要でありながら、イマイチよくわからないところなのです。
ですから、少なくともそこまでの経緯を文章にて記しておけば、今度はそこからの策を練ることができるのかもしれません。
そうしますと、現在のこの会話自体を明晰に文章化することができれば、次につながる何かを得ることが出来るのかもしれません・・(笑)。」
B「ええ、そうですね。
それはそれで意義があるように思います・・。
しかし肝心の方法とは、おそらく人によって異なるのではないかと思います。
ですから、たとえAさんが自分なりの方法を見出したとしても、それを記すのはどうかとも思いますね・・。
また、誰かが「創造のための方法は高くつく」と書いておりましたので、それを安易に記すことは、長い目で見て有益であるかどうかは疑問ですね・・。」
A「・・なるほど、たしかに巷には数多くの自己啓発、ハウツー本が出ておりますが、それらの中で普遍的、絶対的な方法とは、未だ確立されていないようですので、それをたとえ自身で見出したとしても安易に記すことは控えた方が良いのかもしれません・・。
しかしそれも私が自身の方法を見出した後の話しにはなりますが・・(苦笑)。」
B「そうですね。
しかしAさんが今後それを見出しましたら、私にはこっそり教えてくださいね(笑)。」
A「ええ、その時はBさんの方法も教えてください。
しかし、こうした心境に関しては、院生の頃は平気で議論していたような気がしますが、なかなか不思議なものですね・・。
その頃に比べて個が確立したということになるのでしょうかね(笑)?」
B「ええ、そうであるかもしれません。
それにしても、今不図思いつきましたけれど、これまでの会話もまた、以前Aさんのブログに書かれていた弁証法あるいは西田哲学の絶対矛盾的自己同一を彷彿とさせますね・・(笑)。」
A「・・なるほど!いわれてみますとたしかにそうですね・・。」