2021年10月23日土曜日

20211023 中央公論新社刊 佐々木高明著「照葉樹林文化とは何か」 pp.44-48より抜粋

中央公論新社刊 佐々木高明著「照葉樹林文化とは何か」
pp.44-48より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4121019210
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121019219

 モチの次にスシの原型と考えられるナレズシが、やはり照葉樹林対とその周辺に次々と分布していることに注目してみよう。

 ナレズシは、日本では琵琶湖のフナズシによくその原型が残っているが、魚を開いて腹をきれいに掃除して塩をふり、その魚の切り身と炊いたり蒸したりした飯とを交互に重ねて、甕や桶の中に漬け込んだものである。半年ひど置いておくと飯が乳酸発酵してどろどろになるが、乳酸発酵で雑菌の繁殖が抑えられて、魚や肉の保存食となる。このようなナレズシをアッサムのシロンの露天市で、カーシー族の女性が売っているのをみかけたことがある。一包み買って開くと異臭が強く鼻をついて困ったほどだった。

 知られているかぎり、このカーシー族のものを西の端としてナレズシは点々とそれから東方に分布している。タイの中北部やラオスなどでは、川魚に塩をして、それと飯を交互に漬け込むナレズシが広く分布し、中国でも華南や江南地方の照葉樹林帯に住む少数民族のもとでは、今もナレズシをつくる慣行が広く残っている。私も貴州省東南部のミャオ族やヤオ族、トン族のところでナレズシが、今も盛んにつくられていることを確認している。(次頁のコラム参照)。このほか、カンボジアや北ボルネオ、あるいはフィリピンのルソン島など、照葉樹林帯以外の東南アジアの地域にもその分布が広がっているが、ナレズシの中心はあくまで照葉樹林帯とその周辺地域である。

 石毛直道氏はその著「魚醤とナレズシの研究」(1990年)の中で、塩をした魚に加熱した穀物(コメあるいはアワ)を混ぜて乳酸発酵させたナレズシは、魚醤(魚に塩を加えて発酵させた食品)に米飯が加わったものと考え、その起源は魚醤の利用のもっとも盛んなラオスと東北タイ一帯の水田耕作地帯と考えている。しかし、中国の湖南省(湘西のミャオ族)や台湾山地、中部日本(静岡県大井川上流域や岐阜県根尾川上上流域など)や朝鮮半島など、照葉樹林帯の周辺部には米飯ではなくアワ飯を使う古いタイプのナレズシが点々と分布している。そうしたことから、私はむしろナレズシは長江中・上流域の照葉樹林帯のアワを主作物とする焼畑地帯で起源して照葉樹林にまず拡がり、東南アジアへはドンソン文化の稲作などとともに南下したのではないかと考えている。いずれにしても、その起源について確定的なことはまだわからない。

コラム ミャオ族のナレズシ

中国・貴州省東南部のミャオ族の間では、今でもナレズシづくりが盛んである。そこでは、まず魚の腹を裂き、内臓を捨て、塩を魚の腹にすり込む。その魚の切り身を囲炉裏の上の火棚で半月ほどいぶしながら乾かす。その後、蒸したモチゴメに塩やトウガラシを混ぜ、それを魚の腹につめこみ、その魚の切り身を専用の密閉式の甕(48頁の写真参照)の中につめこんで密閉し、3~6カ月ほど発酵させる。魚は河川でとれる川魚を用いることもあるが、今は水田で養魚したコイやフナを用いることが多いという。

 凌純声氏らが戦前(1930年)に調査した湖南省西部のミャオ族では、軽く鍋の中で加熱処理した魚に塩を加え、数日間天日で乾かし、(炊くか蒸すかした)アワとよく混ぜて密閉した甕の中に1カ月ほど漬け込んだナレズシが盛んにつくられていた。また魚肉のほか、牛肉やブタ肉も塩をしたあと、コメの粉と混ぜて甕の中に密閉して発酵させて食べたという。

 また同じ貴州省のトン族やヤオ族では直径40~50センチほどの木桶の底に蒸したモチゴメを敷き詰め、その上に塩をした生の魚の切り身をびっしりと並べ、さらにその上に蒸し米と魚の切り身を交互に積み重ね、最後に蓋をしてその上に大きな重しを置く、というやり方でナレズシを今もつくっているという。このように加熱や燻製などの前処理をほとんど行わず、甕でなく木桶に漬け込むトン族やヤオ族のやり方や湖南省のミャオ族のコメでなくアワを用いる調理法などは、ナレズシづくりの古い形式をよく伝えるものとみることができる。

20211023 現在読んでいる著作から思ったこと(スマホを持たないことの効果?)

前回の記事投稿により、総投稿記事数が1640となっていたことを先ほど気が付きました。そうしますと、残り60記事の投稿にて、現在目標としている1700記事への到達となります。そして、これは、毎日1記事の投稿頻度の場合、2カ月程、つまり、年内での到達の目途が立つことになります。他方で、10月も残り少ないことから、出来るだけ投稿頻度を下げずに今後も続けたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いたします。

さて、つい先日、スマートフォンを地面に落とし、少し破損してしまったことから、修理まであまり触らないように、携帯せずに置いておいたところ、これまでと比べて、少し調子が良く、読書が進んだことから、あるいは、私の場合、そこ(スマホを持たないことと読書の進み具合)にも何か関連があるのかもしれません・・。

しかし他方で、現在読み進めている一冊もまた、大変興味深いものであり、まさに「読ませる」のです・・。当著作は原作はおそらくイタリア語であると思われますが、それを和訳にて、ここまで「読ませる」のは、もちろん、訳者の力量も少なからずあるとは思われますが、やはり、大本にある著者の文体、コトバ使いなどに、何か「力」があるからではないかとも思われるのです・・。

ともあれ、当著者による作品は、以前に何冊か読みましたが、そこでも同様に、この独特の「読ませる」文章があり、今回の著作においても、以前のそれと通底する感覚がありつつも、新しい要素もあり、さらに当著作は、以前に読んだ話としての筋がある「小説」とは異なり、著者の見解、考えを幾つかの項目を立てて述べたものであることから、多少、観念的あるいは抽象的になりがちかと思うとそうでもなく、数多くの画像が図示されており、概ね納得しながら読み進め、さらには、これまでに読んだ記述の中にも既に、少なからず、興味深いものがあることなどは、さきの「スマホを持たないことによる効果」よりも、やはり著作が持つ惹き付ける面白さの方が(私にとっては)余程大きいのではないかと思われるのです・・。

しかしまた、今回読み進めている著作は400頁以上あり、ここ数日間のスマホをあまり触らない期間にて、120頁ほどまで読み進めることが出来ましたが、これは最近の自分としては、明らかに早いものであり、あるいは、以前の「薔薇の名前」と「プラハの墓地」の読書にて無意識に培った当著者の文章を読み進めるコツなどもあったのかもしれません・・。

そう、これまでの記述にてお分かりになったと思われますが、当著者とはウンベルト・エーコで、また、読み進めている著作は「ウンベルト・エーコの世界文明講義」であり、その中には、我が国のサブカルチャーの一面を理解する際にも応用可能な概念があるように思われました。

そういえば、はじめてウンベルト・エーコの著作を知ったのは、文系の師匠の研究室本棚に「薔薇の名前」上下巻があり、この少し奇妙な表紙絵柄の著作に興味を持ち尋ねてみたところ、物語概要を説明され、そして「・・それは、たしかショーン・コネリーが出演して映画にもなったよ。多分、この作品は大抵のお店に置いてあると思うから、興味があれば借りて視ると面白いかもしれないよ・・。」とのことであり、すぐにレンタルしてから、その後ほどなくして神保町の書店にて同著作上下巻の新古本を見つけ購入し、読んだのは現在から既に20年以上前のことになりました・・。

その後「永遠のファシズム」や「プラハの墓地」などを読みましたが、いずれも大変興味深い記述が多く、あるいは私見となりますが、その述べるところや、実証精神の発露の仕方などは、戦前の我が国の研究者とも相通じるものがあるように思われました。ともあれ、当著作につきましては、おそらくまた後日、記事題材にさせて頂くと思われます。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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