以前、かなり興味を持っていたが現在ではかつてほどの興味を感じないものといったものがあります。
最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。
しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。
つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。
そして、これを前提としてハナシを進めます。
かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。
大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。
そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。
そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。
無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。
つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。
では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。
これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。
さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。
竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫、谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。
しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。
また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。
しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?
このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」