本日の首都圏は気温はこの時期にしては上昇しましたが、夕方前あたりから雨が降りはじめ、現在もなお降り続いております・・。
久しぶりの長編を読み終え、現在は特に新しい長編を読むという気分にもならず、これまでに手持ちの書籍をいくつか拾い読み、斜め読みしているような状態です。
そういえば、先日11月8日に投稿した記事「コトバ・言語の解像能および詩、普遍とは・・」は、おかげさまで、思いのほか閲覧者数が伸びました。
そうしたことから、このコトバ・言語の解像能といったことに対し関心を寄せている方々が少なからずいるのではないかと推察されます・・。
また、これは私にとっても大変重要なことであり、特に何か新しいことを習得するにあたり、その初期にぶつかる壁が何れの分野であれ「コトバ・言語の体系」ではないかと思われます・・。
そして、この壁を超える方法とは、とにかく、その分野について記された著作、文献を出来るだけ多く読んでみるということではないかと思われます。
その中で、その分野における『常識らしきもの』が徐徐に見えてくるようになり、またそれに伴い、自身もそこで得た常識を用いて、何かしらの発信が可能になるものと考えます・・。
そして他者との、その分野についての議論・対話を行うことにより、さらにまた、その分野のコトバ・言語の体系が明瞭になるものと考えます。
そして以上の過程を通じて得られる精錬された認識の体系を再度発信、他者との議論・対話を行うことにより、その体系とはさらに精錬され、徐徐にその本質を(自分なりに)理解できるようになるものと思われますが、さて如何でしょうか・・?
こうした視点にて考えてみますと、これまでどうにか継続的に作成している一連のブログ記事とは、議論・対話の過程が抜けているため、その精錬の度合いについては、かなり大きな疑問が残りますが、基本的には、そうした試み、たとえていうと円錐状(先端)の掘削機(ドリル)にて何やら未知の土壌(らしきもの)を少しずつ掘り返しているような感じを受けることがあります・・(笑)。
そして「掘り返している」という実感を受けるのが、かつて文章化して表現することができなかった事柄・主題に対し、どうにかそれを著すことが「出来た!」と思う時です・・。
とはいえ、実はその著したい内容、主題とは、本来(自身の中では)さらに複雑なものであり、それを文章化することが出来たと感じること自体、何といいますか、その時点での自身の文章による解像能の限界であり、ひいては思考の限界でもあるのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。
そうしますと、ヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」内の『語り得ぬものについては沈黙せねばならない』という言説に対し、幾分か、その意味の重みを認識することが出来るのかもしれません・・。
とはいえ、そこに留まり続けることには進化・発展といったことは望めず、それこそ回遊魚のように動き続けなければいけないのかもしれません・・(苦笑)。
そして、それがさきに述べた掘削機(ドリル)の駆動とも関連し、それにより(未知の土壌を)少しづつ掘り返すことを可能ならしめているのかもしれません・・。
あるいは、そのようにでも考えないことには、一連のブログ記事の継続的作成に対し、何かしらの意味を付与できないといったいくぶん切羽詰まった事情もまたあるのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、これもあくまでも主観的な考えであり、また幾分かブレーズ・パスカルの「パンセ」内に記されているパスカルの信仰に対する賭けに類似した構図でもあり、無意識のうちにそれを私が借景しているのではないかとも思えてくるのです・・(苦笑)。
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の今後出来るだけ早期の復旧および復興を祈念いたします。
2016年11月14日月曜日
20160810 身体性と創造性 歴史との関りを保つ精神について【書籍からの抜粋引用あり】☆☆☆
昨日のブログ記事を記して投稿した直後、それと深く関連する内容の既投稿ブログ記事が多く読まれていることに気が付かされました。
この指摘とは、それが為されなければ、自身でも気が付くことができなかったと思いますので、いたく感心した次第です・・。
「世の中にはスゴイ人がいるものだ・・。」といった感じです・・。
また、それと同時に、記した一連のブログ記事を(私よりも)深く読んで頂いている方(方々)がいることに対し、いくらかの驚異(脅威?)をもおぼえました・・(苦笑)。
とはいえ、それにより萎縮してしまうことは、おそらく読んで頂いている方々の望むところではないと思いますので、ただ、こうしたことがあったこと「のみ」注視し、今後もこれまでと同程度に発信内容の偏向等に気を付け、自身の興味が赴くことを記し続けようと考えております(笑)。
さて、昨日投稿したブログ記事においても我が国の古代、あるいは神話に関する内容でしたが、その内容を記したことにより、後になり不図、和歌山市在住時、数人で自転車にて昨日ブログ記事に記された有田市まで行ったことを思い起こしました・・。
これは距離にすると、おそらく片道20キロメートル程度であり、また和歌山市街から南隣の海南市に至るまでは、概ね平坦な道が続き比較的楽であったのですが、そこから有田市に至るまでにいくらかアップダウンがあり、これに多少苦労した記憶があります。
また、同様に万葉集の歌からも7世紀半ば頃、紀伊国の南下行において、現在の海南市の藤白あたりが一つの区切りであり、ここから一端しばらくは道が険しくなることが示されております・・。
このようなことは、自身の体を用い、その場所に赴く経験を持つことにより、身体の記憶としてのこり、後日何かしらのきっかけが与えられると、上記のように関連する事柄をも含め想起することが出来るようになるのではないでしょうか?
さて、こうした身体性に付随する記憶の仕方とは昨今進化発展が著しい人工知能においても可能であるのでしょうか・・?
そして、ここまで記しておりますと今度は、以前に幾度か抜粋引用させていただいたエルンスト・ユンガー著 月曜社刊 川合全弘訳 「労働者 支配と形態」からの一節を思い起こしましたので、下に示します。
PP.77~78
『過ぎ去った時代の粉々に砕けた象徴を包み込む沈黙の中から、その時代の物音が、あたかも寄せては返す波に晒されてきた貝殻の中に海の全体が包まれるような仕方で、大きな隔たりを越えてなんとはなしに耳に迫ってくるように思われる。
その名前さえ忘却の淵に沈んでしまった諸都市の遺物を鍬で掘り返すとき、我々がじっくりと聴き取ろうとするものは、まさしくこの物音なのである。
木蔦の下や荒野の砂中に埋もれるこれらの石は、権力者たちの力の記念碑であるばかりでなく、名も無き労働の、ここに費やされたごくささやかな手仕事の記念碑でもある。
これらの石のいずれにも、忘れ去られた石切り場も喧噪、はるか昔の陸路や海路の危難、港町のごった返し、職工長の構想、賦役の重圧、遠い昔に消え失せた種族の精神や血や汗が染み込んでいる。これらの石は、稀にしか明かされることのない生のより深い統一性の象徴なのである。
それゆえ歴史との関りを保つ精神はいずれも、自らが、これらの場に魅せられるのを感じる。
それらを前にするとき、悲しみと誇りとが不思議な仕方で入り混じる。
すなわち、あらゆる努力の儚さに対する悲しみと、それにもかかわらず自らが不滅なるものに属することを繰り返し自らの象徴において表現しようとする意志への誇りとが、それである。このような意志は、しかし我々の心と活動の中にも生きているのである。」
さて、ここまで抜粋していますと、さらに今度は再び「ここにきて、また自身の作成した一連のブログ記事の意味について述べようとしているのではないか?」そして、それとは別にEnyaの楽曲「Anywhere is」(特に後半部)および我が国の童謡「椰子の実」が想起されましたが、あるいは上に示したエルンスト・ユンガーの一節とは、こちら前者楽曲の方により関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、これを読まれた皆様は、どのようにお考えになるでしょうか?
そして、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域における早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
この指摘とは、それが為されなければ、自身でも気が付くことができなかったと思いますので、いたく感心した次第です・・。
「世の中にはスゴイ人がいるものだ・・。」といった感じです・・。
また、それと同時に、記した一連のブログ記事を(私よりも)深く読んで頂いている方(方々)がいることに対し、いくらかの驚異(脅威?)をもおぼえました・・(苦笑)。
とはいえ、それにより萎縮してしまうことは、おそらく読んで頂いている方々の望むところではないと思いますので、ただ、こうしたことがあったこと「のみ」注視し、今後もこれまでと同程度に発信内容の偏向等に気を付け、自身の興味が赴くことを記し続けようと考えております(笑)。
さて、昨日投稿したブログ記事においても我が国の古代、あるいは神話に関する内容でしたが、その内容を記したことにより、後になり不図、和歌山市在住時、数人で自転車にて昨日ブログ記事に記された有田市まで行ったことを思い起こしました・・。
これは距離にすると、おそらく片道20キロメートル程度であり、また和歌山市街から南隣の海南市に至るまでは、概ね平坦な道が続き比較的楽であったのですが、そこから有田市に至るまでにいくらかアップダウンがあり、これに多少苦労した記憶があります。
また、同様に万葉集の歌からも7世紀半ば頃、紀伊国の南下行において、現在の海南市の藤白あたりが一つの区切りであり、ここから一端しばらくは道が険しくなることが示されております・・。
このようなことは、自身の体を用い、その場所に赴く経験を持つことにより、身体の記憶としてのこり、後日何かしらのきっかけが与えられると、上記のように関連する事柄をも含め想起することが出来るようになるのではないでしょうか?
さて、こうした身体性に付随する記憶の仕方とは昨今進化発展が著しい人工知能においても可能であるのでしょうか・・?
そして、ここまで記しておりますと今度は、以前に幾度か抜粋引用させていただいたエルンスト・ユンガー著 月曜社刊 川合全弘訳 「労働者 支配と形態」からの一節を思い起こしましたので、下に示します。
PP.77~78
『過ぎ去った時代の粉々に砕けた象徴を包み込む沈黙の中から、その時代の物音が、あたかも寄せては返す波に晒されてきた貝殻の中に海の全体が包まれるような仕方で、大きな隔たりを越えてなんとはなしに耳に迫ってくるように思われる。
その名前さえ忘却の淵に沈んでしまった諸都市の遺物を鍬で掘り返すとき、我々がじっくりと聴き取ろうとするものは、まさしくこの物音なのである。
木蔦の下や荒野の砂中に埋もれるこれらの石は、権力者たちの力の記念碑であるばかりでなく、名も無き労働の、ここに費やされたごくささやかな手仕事の記念碑でもある。
これらの石のいずれにも、忘れ去られた石切り場も喧噪、はるか昔の陸路や海路の危難、港町のごった返し、職工長の構想、賦役の重圧、遠い昔に消え失せた種族の精神や血や汗が染み込んでいる。これらの石は、稀にしか明かされることのない生のより深い統一性の象徴なのである。
それゆえ歴史との関りを保つ精神はいずれも、自らが、これらの場に魅せられるのを感じる。
それらを前にするとき、悲しみと誇りとが不思議な仕方で入り混じる。
すなわち、あらゆる努力の儚さに対する悲しみと、それにもかかわらず自らが不滅なるものに属することを繰り返し自らの象徴において表現しようとする意志への誇りとが、それである。このような意志は、しかし我々の心と活動の中にも生きているのである。」
さて、ここまで抜粋していますと、さらに今度は再び「ここにきて、また自身の作成した一連のブログ記事の意味について述べようとしているのではないか?」そして、それとは別にEnyaの楽曲「Anywhere is」(特に後半部)および我が国の童謡「椰子の実」が想起されましたが、あるいは上に示したエルンスト・ユンガーの一節とは、こちら前者楽曲の方により関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、これを読まれた皆様は、どのようにお考えになるでしょうか?
そして、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域における早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
20160805 文体の進化とは・・☆☆
A「本日はどうしたわけか体調がすぐれず、また頭も重かったのですが、これまたどうしたわけか、知人二人から連絡がありました・・。
こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。
しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。
こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?
とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。
ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。
そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。
そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?
しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?
・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。
あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?
何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?
とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。
そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。
あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」
こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。
しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。
こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?
とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。
ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。
そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。
そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?
しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?
・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。
あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?
何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?
とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。
そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。
あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」
20161113 北杜夫「楡家の人びと」読了 歴史を扱った長編小説の面白さ・・
『ついさきほど「楡家の人びと」第三部を読了しました。
この著作の読了後の充実感もなかなかのものであり、直近に読みました野上彌生子著「迷路」の読了感に近いものがありました・・。
また「楡家の人びと」の結末部での記述からは、これまでの著作、映画などにおいてよく見られる「戦後社会での希望の芽吹き」などよりも、どちらかというと、一つの時代精神、価値観の崩壊および、そこから否応なく生じる混乱、虚脱といった要素の方が強く描かれているように思われます・・。
そして、それ故にこの著作を現在なお読むに値するものと為し、また同時にこのことは「迷路」(「迷路」は具体的な戦後社会までは描いていないにしても、そうした予感については言及している)についても、ある程度共通していえるのではないかと考えます。
また「迷路」に関しては、その描かれている時代精神、価値観がさらに古い江戸時代をも包括しているという点から、作中に描かれる歴史の重層性あるいは反復性、関係性といったものがより明示され、そこから、この著作を面白く、味わい深いものとしているのではないかと考えさせられます・・。
そして、その伝で考えていきますと、近現代を扱った様々な著作において、こうした特徴(歴史の重層性あるいは反復性、関係性などが示唆されている)を持つものとは、思いのほか少ないのではないだろうか・・?と考えてしまうのですが、如何でしょうか・・?
その一方において、現在の我が国社会において「手軽に歴史を認識しよう、あるいは、したような気分になろう」といった、傾向が少なからず存在するのではないかとも考えさせられます・・。
こうした傾向とは、あるいは本職の史家、社会学者などの方々からしますと、噴飯ものであるのか、あるいは自身の仕事を増やし、その重要性を(一時的にではあれ)高めるものとして便乗するに悪くないものであるのかは分かりませんが、私見として、そうした傾向とは、本質的にはあまり良いものではないと考えます・・(特に現今の我が国の場合)。
それに加え、歴史の認識を面白いと感じる方々というのは、どの時代を通じてあまり多くはなく、さらには若い頃の情熱により、それを面白いと感じたとしても、その情熱がホンモノであるかどうかとは、ある程度の年月を経てみないと判然としないとも考えます。
また、自身についても、こうした著作を読むことに関しては特に問題なく、また同時に如上のようなことを記す程度においては特に問題はないのかもしれませんが、では実際にそうしたことを専門とする学問分野の研究者と伍することが出来るのか?と問われると、それはいささか躊躇してしまいます・・(苦笑)。
では何故、これまで少なからず「歴史」を主題としてブログ記事を作成、投稿してきたのかと考えてみますと、おそらく素人、アマチュアなりに表出したい主題が、この分野に集中しており、また、その表出の文体、語彙などにおいて、これまでの経験にて、どうにか間に合わせることが出来たからであると考えます・・。
その意味において、これまで作成し続けている一連のブログ記事とは、自身の文体、語彙を再認識あるいはそれらを精錬する上において一定の寄与をしているものと考えます・・。
また、それと同時に、これまでの記事を如何なる思い、興味によるものか分かりませんが(自身としては)比較的多くの方々に読んで頂いていることが、ブログ記事作成の主要な動力源となっております。
そして今後、特に何ごともなく500記事にまで到達することが出来ましたら、その次は一体どうなるのであろうかと最近不図思ってしまうところではありますが、こうしたことはあまり深く捉えず、500記事到達までは、ただ一記事ずつ作成投稿し続けるのみではないかと考えております・・。
そして、当初の主題から大分ずれてしまいましたが「楡家の人びと」は三部構成の長編ではありますが、我が国の近現代史上での具体的様相を知りたい方々、何か面白い長編を読みたいと考えている方々にとって、大変面白く読むことの出来る著作ではないかと思います。
興味がありましたら、是非、御一読ください。
そして、これを読了されましたら、次に野上彌生子「迷路」を読むのも面白いかもしれません・・。
また、そこで「さらに刺激の強い著作を!」と望まれるのでしたら「神聖喜劇」をおススメします。
私の方はまたインターバルを置き、次なる長編小説あるいは他のそれに類する著作に挑戦しようと考えております・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復興を祈念しております。』
この著作の読了後の充実感もなかなかのものであり、直近に読みました野上彌生子著「迷路」の読了感に近いものがありました・・。
また「楡家の人びと」の結末部での記述からは、これまでの著作、映画などにおいてよく見られる「戦後社会での希望の芽吹き」などよりも、どちらかというと、一つの時代精神、価値観の崩壊および、そこから否応なく生じる混乱、虚脱といった要素の方が強く描かれているように思われます・・。
そして、それ故にこの著作を現在なお読むに値するものと為し、また同時にこのことは「迷路」(「迷路」は具体的な戦後社会までは描いていないにしても、そうした予感については言及している)についても、ある程度共通していえるのではないかと考えます。
また「迷路」に関しては、その描かれている時代精神、価値観がさらに古い江戸時代をも包括しているという点から、作中に描かれる歴史の重層性あるいは反復性、関係性といったものがより明示され、そこから、この著作を面白く、味わい深いものとしているのではないかと考えさせられます・・。
そして、その伝で考えていきますと、近現代を扱った様々な著作において、こうした特徴(歴史の重層性あるいは反復性、関係性などが示唆されている)を持つものとは、思いのほか少ないのではないだろうか・・?と考えてしまうのですが、如何でしょうか・・?
その一方において、現在の我が国社会において「手軽に歴史を認識しよう、あるいは、したような気分になろう」といった、傾向が少なからず存在するのではないかとも考えさせられます・・。
こうした傾向とは、あるいは本職の史家、社会学者などの方々からしますと、噴飯ものであるのか、あるいは自身の仕事を増やし、その重要性を(一時的にではあれ)高めるものとして便乗するに悪くないものであるのかは分かりませんが、私見として、そうした傾向とは、本質的にはあまり良いものではないと考えます・・(特に現今の我が国の場合)。
それに加え、歴史の認識を面白いと感じる方々というのは、どの時代を通じてあまり多くはなく、さらには若い頃の情熱により、それを面白いと感じたとしても、その情熱がホンモノであるかどうかとは、ある程度の年月を経てみないと判然としないとも考えます。
また、自身についても、こうした著作を読むことに関しては特に問題なく、また同時に如上のようなことを記す程度においては特に問題はないのかもしれませんが、では実際にそうしたことを専門とする学問分野の研究者と伍することが出来るのか?と問われると、それはいささか躊躇してしまいます・・(苦笑)。
では何故、これまで少なからず「歴史」を主題としてブログ記事を作成、投稿してきたのかと考えてみますと、おそらく素人、アマチュアなりに表出したい主題が、この分野に集中しており、また、その表出の文体、語彙などにおいて、これまでの経験にて、どうにか間に合わせることが出来たからであると考えます・・。
その意味において、これまで作成し続けている一連のブログ記事とは、自身の文体、語彙を再認識あるいはそれらを精錬する上において一定の寄与をしているものと考えます・・。
また、それと同時に、これまでの記事を如何なる思い、興味によるものか分かりませんが(自身としては)比較的多くの方々に読んで頂いていることが、ブログ記事作成の主要な動力源となっております。
そして今後、特に何ごともなく500記事にまで到達することが出来ましたら、その次は一体どうなるのであろうかと最近不図思ってしまうところではありますが、こうしたことはあまり深く捉えず、500記事到達までは、ただ一記事ずつ作成投稿し続けるのみではないかと考えております・・。
そして、当初の主題から大分ずれてしまいましたが「楡家の人びと」は三部構成の長編ではありますが、我が国の近現代史上での具体的様相を知りたい方々、何か面白い長編を読みたいと考えている方々にとって、大変面白く読むことの出来る著作ではないかと思います。
興味がありましたら、是非、御一読ください。
そして、これを読了されましたら、次に野上彌生子「迷路」を読むのも面白いかもしれません・・。
また、そこで「さらに刺激の強い著作を!」と望まれるのでしたら「神聖喜劇」をおススメします。
私の方はまたインターバルを置き、次なる長編小説あるいは他のそれに類する著作に挑戦しようと考えております・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震、昨今の山陰東部での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復興を祈念しております。』
20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・
本日は若干帰宅が遅くなりました。
そしてまた現在、本日分のブログ記事作成を幾分面倒に思っております・・(笑)。
それでもとりあえず何かしら書いてみようと思い立ち、ここに記しはじめました・・(苦笑)。
書籍は相変わらず色々と読んでおりますが、どうもこの季節、夏とは、以前にも記した通り、あまり込み入った思想系の著作および小説などを読むのには適していないようです・・(苦笑)。
まあ、これもまた慣れではあるのかもしれませんが・・。
そのように考えてみますと、我々が興味を持つ対象の推移とは、一般的に、おそらく先ずはじめに実体が存在するモノに対する興味にはじまり、次にそれを用いる人間の動態、つまり歴史的なものに推移し、その次にその歴史の背景に存在すると認識される大きな思考の流れ、つまり思想的なものに推移してゆくのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
また、これを異言すると、具体的な対象への興味にはじまり、徐々に抽象的な対象への興味へと推移してゆくということであるといえます。
おそらく、こうしたことは、大きく見ますと年齢の上昇に伴う現象であると思われますが、同時に、さらにその内側においても、同じような現象(具体的な対象から抽象的な対象への興味の推移)が、より小さな規模においてもまた、生じているのではないかと思われます・・。
例えるならば、円錐状の山の周囲を周りながら徐々に登ってゆくような感じではないかと思われます。
一周分上に登ったならば、前(下)の一周における同じ位置にて同じような景色が山の外側に見えるものの、それと同時に高度が一周分異なるため、そこからの視野とは前(下)の一周におけるそれとは若干異なる。
そして、そうしたことを山の周囲を周り登ることにより、繰り返してゆくと、いつのまにか、高度の上昇により周囲の植生も異なり、また山の外側の景色も雲を介在させるようになり、随分と異なった様相を示すようになってくる・・。
といった感じではないでしょうか・・(笑)。
そして、こうした感覚を具体的に得られる山が開聞岳(薩摩富士)であったのではないかと記憶しております。
鹿児島在住時、開聞岳は幾度か師匠等と登りましたが、山頂からの眺めは素晴らしく、晴れた日には、はるか南の方角に屋久島および宮之浦岳が望め、北方にはほぼ直下に巨大ウナギあるいはイッシーで有名な池田湖、遠くには桜島、霧島連山などがのぞめます。
また、その登山道は概ね(頂上付近まで)樹林で覆われており、そのため登山中なかなか山の外側の景色が望めませんでしたが、時折視界が開け、外側の景色を見て「ああ、このくらい登ったのだな・・。」と実感することができるのも、これはこれで面白く、味のある登山道の一つでした・・。
さて、そのようなことを記していると不図「期せずして、これは私の作成し続けているブログ記事のことを寓言でもって語っているのではなかろうか?」と思うに至りましたが、果たしてこれは偶然なのでしょうか(笑)?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」
そしてまた現在、本日分のブログ記事作成を幾分面倒に思っております・・(笑)。
それでもとりあえず何かしら書いてみようと思い立ち、ここに記しはじめました・・(苦笑)。
書籍は相変わらず色々と読んでおりますが、どうもこの季節、夏とは、以前にも記した通り、あまり込み入った思想系の著作および小説などを読むのには適していないようです・・(苦笑)。
まあ、これもまた慣れではあるのかもしれませんが・・。
そのように考えてみますと、我々が興味を持つ対象の推移とは、一般的に、おそらく先ずはじめに実体が存在するモノに対する興味にはじまり、次にそれを用いる人間の動態、つまり歴史的なものに推移し、その次にその歴史の背景に存在すると認識される大きな思考の流れ、つまり思想的なものに推移してゆくのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
また、これを異言すると、具体的な対象への興味にはじまり、徐々に抽象的な対象への興味へと推移してゆくということであるといえます。
おそらく、こうしたことは、大きく見ますと年齢の上昇に伴う現象であると思われますが、同時に、さらにその内側においても、同じような現象(具体的な対象から抽象的な対象への興味の推移)が、より小さな規模においてもまた、生じているのではないかと思われます・・。
例えるならば、円錐状の山の周囲を周りながら徐々に登ってゆくような感じではないかと思われます。
一周分上に登ったならば、前(下)の一周における同じ位置にて同じような景色が山の外側に見えるものの、それと同時に高度が一周分異なるため、そこからの視野とは前(下)の一周におけるそれとは若干異なる。
そして、そうしたことを山の周囲を周り登ることにより、繰り返してゆくと、いつのまにか、高度の上昇により周囲の植生も異なり、また山の外側の景色も雲を介在させるようになり、随分と異なった様相を示すようになってくる・・。
といった感じではないでしょうか・・(笑)。
そして、こうした感覚を具体的に得られる山が開聞岳(薩摩富士)であったのではないかと記憶しております。
鹿児島在住時、開聞岳は幾度か師匠等と登りましたが、山頂からの眺めは素晴らしく、晴れた日には、はるか南の方角に屋久島および宮之浦岳が望め、北方にはほぼ直下に巨大ウナギあるいはイッシーで有名な池田湖、遠くには桜島、霧島連山などがのぞめます。
また、その登山道は概ね(頂上付近まで)樹林で覆われており、そのため登山中なかなか山の外側の景色が望めませんでしたが、時折視界が開け、外側の景色を見て「ああ、このくらい登ったのだな・・。」と実感することができるのも、これはこれで面白く、味のある登山道の一つでした・・。
さて、そのようなことを記していると不図「期せずして、これは私の作成し続けているブログ記事のことを寓言でもって語っているのではなかろうか?」と思うに至りましたが、果たしてこれは偶然なのでしょうか(笑)?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」
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