本質的には自然科学系であろうと人文社会科学系であろうと各学問領域間には上下関係、ヒエラルキーはないと云えます。しかし一方、世間一般においては、こうしたものは厳然と存在し、現在であれば医学部医学科がこのヒエラルキーの頂点にあると云えます。
また、そうした状況から波及してか、近年においては特に医療領域学部・学科の人気も高まり、これが以前に述べた今世紀以降顕著になった四年制看護学部・学科の新設・増設の背景にある潮流と云えます。
その一方で、もう一つ顕著なことは、人文社会科学系領域の衰退であり、無論、その背景には現在進行中の少子化もありますが、それと同時に特に実学的要素が少ないとされる思想・哲学、文学、歴史などといった原理的な人文社会科学系領域の衰退とは、おそらく今後数年の後、何らかのカタチでツケが来ることが予測されます。
とはいえ、近年のインターネットの普及、端末機器の進化発展により、以前と比べ、我々は膨大な知識・情報量を即座に検索し知ることが出来るようになりました。この一連の出来事は15世紀欧州における活版印刷技術の発明にひけを取らないものであると云え、おそらく、こうした環境の形成が為されていなければ、現今我々が関心を寄せている、さまざまな社会での出来事に対しあまり関心を持つこともなく、またそれだけに、社会はある意味において平穏であり続けたのではないかと思われます・・。
このように即座に運用可能な知識・情報量が膨大なものとなれば、精神もしくは頭脳に知識・情報をインプット(内在化)する作業としての学習に価値を見出すことが困難になるのかもしれませんが、人文社会科学系学問の価値の神髄は、おそらく運用可能な内在化された知識・情報量を増やし、社会的有用性の高い人間を育成することだけではなく、知識・情報のインプット・アウトプットを能動的に継続して行うことが出来る人間を育成することが主であると考え、本来動物でもある我々人間は、この過程によってのみ、より不可逆性の強い進化(変化)をすることが出来るのではないかと考えるのです・・。
あるいはこのことを言い換えますと、インターネット検索により簡便に知り得た知識・情報は、おそらくその後の定着率が低く、もしくは精神に埋入される深さが浅いことから、その後の活動に寄与・関与することは乏しく、他方、能動的に知識・情報のインプット・アウトプットを継続していますと、そこで知り得た知識・情報はより精神の深いところに埋入され、そして同時にその後の持続可能性もまた担保され得るのではないかと思われるのですが、さて如何でしょう・・?
そのように考えてみますと、将来安定して貨幣を得やすい学問領域に人が集中するのは仕方がないことであるのかもしれませんが、一方で社会全体がそうした考え方を肯定するようになってしまいますと、その後の社会全体の劣化が著しくなり、持続可能性や創造性もまた損なわれていくように思われるのです・・(あるいは現在がまさしく、そうした時代であるのかもしれません・・。)。
そしてまた、こうしたことを考える際に有効と思われるものは頭脳・精神に定着、深く埋入され、さらに血肉化し、自在に用いて考えることが出来るにまで至った思想・哲学、文学、歴史などの知識・情報であると考えます(これはおそらく付け焼刃は出来ません、自然科学系のそれと同様に・・)。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
数年前から現在に至るまで日本列島において発生した、現在も継続している大規模自然災害によって被害を被った、諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
中にはいくつか短い記事もありますが、これまでに投稿した記事の文字数は大体1000~2000字程度となっています。そうしますと、総投稿記事分を文字数にしてみますと、およそ100万字~200万字程度となります。しかし、そこまで(数百万~)いきますと、実感は持ちにくいことから、やはり単純にこうしたブログ記事を考える場合、記事数および継続期間などの指標が妥当であると思われます。
ともあれ、そうこうするうちに今回の記事投稿にて、残り3記事の投稿により1000記事に到達します。つまり目標が本格的に視野に入ってきたといったところですが、それでも以前からではありますが、全くといって良いほど、それに対しての感慨などの情動らしきものが湧いてこないのです・・(笑)。
そこから、何かしら目標としていることが現実に達成可能であると感じられるようになると、そうした情動は生じにくくなるのではないかと思われました・・。また、おそらく、我々の心には、そうした普遍的とも云える性質・傾向があるのかもしれません。
とはいえ、未だ数記事の作成・投稿がありますので、現時点でそうした考察は時期尚早であるのかもしれませんが・・(苦笑)。そして今後、記事作成を数日続け、順調に行けば今週末に1000記事に到達する予定となりますが、おそらくその時の自身を想像してみても、現在記事作成を行っている自身と違いはないようにしか想像できなく、さらにまた、そうした変化の兆しも皆無ですので、むしろ、この現状から1000記事に到達した際に何らかの内的な有意とも云える変化が生じましたら、それはそれで大きな違い、もしくはブログ1000記事を書き続ける意味があったとも云えて面白く、さらに新たな記事の題材ともなり得るのです・・。しかし、そうした変化は生じないと思われますが(笑)。
また、変化と云えば、先日から読み進めているスペイン内戦の概説書は、相変わらずあまり意味が分からないままですが、当初と比べますと何と云いますか、その文脈的な流れについては理解出来てきたようにも思われます。これが最近感じ得た変化であり、その中でも具体的に面白く思われたのは当著作に頻出する『プロヌンシアミエント』というなかなか発音が厄介そうなコトバであり、これは『クーデター』と類似した意味合いであり、スペインでは19世紀後半から現在までに50回以上この『プロヌンシアミエント』が起きているとのことで、ここから一つの民族性とも云える何らかの特徴が示されるのではないかと考えます。
また他方で、欧州スペインの前身ともいえるローマ帝国においては共和制末期の紀元前49年にカエサルが禁止されていたにも関わらず配下のガリア戦役以来の軍団兵を率いルビコン川を渡河しローマへ進軍したこと、あるいは3世紀に入り帝政となっていたローマ帝国領内各地にて軍事力を背景とした統治者が乱立した軍人皇帝時代などのことを考えてみますと、さきの『プロヌンシアミエント』も、その淵源は深く、広く捉えてみますと南欧人・ラテン民族の『trait』とも評し得るのではないかとも思われました。そしてさらにその文化の大西洋を挟んだ延長線上にあるとも云えるラテンアメリカ諸国においても同様の傾向を見出せることから、やはり何らかの民族的な特徴といったものがあるのではないかと考えさせられます。
ちなみにあとになり、考えてみますと、このスペイン語である『プロヌンシアミエント』は、その音から察して英語にしてみますと『pronouncement』であり宣言・宣告・表明といった意味であり、そこからさらに我が国の近現代史的な文脈に基づいて訳しますと『蹶起趣意書』といった感じになるのではないかと思われましたが、さて如何でしょう・・?
ともあれ、おそらくこうした視点による観察・考察は海外の方々が我が国や近隣の東アジア諸国に対しても行っていることであり、また、おそらくあまりそうした観察・考察による考えを我々に対して述べることは少ないように思われますので、そうしたことから、実用的でないとして人文社会科学系学問全般をワケの分からないものとして毛嫌いすることは避けた方が良いのではないかと思われるのです。また、このことは特に自然科学系分野にて優秀な方々こそ特にそうあって欲しいと願うところです・・。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
数年前より現在までに日本列島にて生じた、あるいは現在も続く大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5