東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.21-22より抜粋
ISBN-10 : 4488010512ISBN-13 : 978-4488010515
私がフランス人となったのは、イタリア人であることに我慢できなくなったからだ。(出自として)ピエモンテ人である私は、自分がガリア人、それも視野の狭いガリア人のカリカチュアのように感じていた。ピエモンテ人は新しいことに対してすぐに身構え、突発事件に怯える。彼らを両シチリア王国まで引っ張っていくには狂信者ガリバルディと疫病神マッツィーニという二人のリグーリア人が必要だった。(とはいえガリバルディ軍に参加したピエモンテ人はほんのわずかだった)。私がパレルモに派遣された際に見聞きしたことについては語るまい(あれはいつだったのだろう、思い出さなければ)。地元の民衆を愛していたのは高慢ちきなデュマだけだった。結局のところ、彼を混血扱いしたフランス人よりも彼らの方が彼を称賛していたからだろう。デュマを愛したナポリ人とシチリア人も同様に混血だが、それは淫乱な母親の過ちのせいというより、世代から世代へと伝わる歴史のせいだ。信用のおけないレバント人、汗まみれのアラブ人、零落した東ゴート人の交雑から生まれ、それぞれ混血の先祖から最悪の部分を受け継いだ。サラセン人から不精ぶりを、シュヴァーベン人から凶暴さを、ギリシャ人からは優柔不断と重箱の隅をつつくようなしつこいおしゃべりを。それに、スパゲッティを手づかみで喉に詰まらせんばかりの勢いでむさぼり食い、腐ったトマトを服にこぼして、外国人を仰天させるナポリの浮浪児(スクニッツイ)を見れば充分わかるだろう。私は彼らを目にしたことはないはずだが、そうだと知っている。
イタリア人は信用できない嘘つきで、卑怯な裏切り者だ。剣よりも短刀の扱いが上手で、薬より毒薬を使いこなし、交渉事ではしつこく、風向きしだいで立場を変えることは一貫しているー、ガリバルディが率いる山師たちとピエモンテの将軍が現れたとたんにブルボン王家の将軍たちがどんな目に遭ったか、この目で私は見たのだ。
つまりイタリア人は司祭を手本にしている。キリスト教のせいで古代人の勇猛さが弱まって、ローマ帝国最後の皇帝となったあの変質者が蛮族になぶり者にされて以来、イタリア人が手にした唯一本当の政府は聖職者たちなのだ。