さて、昨日分の投稿記事にも出た現在読み進めている著作も上巻の半分以上に至りました。そこで述べられている内容とはこれまでと同様に歴史の流れ、あるいはその分析・抽象化であったりします。
そして、本日読み進めていた部分から思い起こされた既読の著作とは、和辻哲郎著「風土 人間学的考察」フリードリッヒ・エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」あるいは梅棹忠夫著「文明の生態史観」などです。
ここで面白いと思われることは、これらの著作とは、たしかに現在読み進めている著作内容・主題と通底するものがありながら、ここに至るまで思い出すことがなかったということです(最前に読了した著作ともまた相通じるものがあるのですが)・・。
あるいは、ここにおいて(何故か)それらの著作が脳裏に浮かびあがってきたとも云えます。
何れにせよ、それは著作内にて述べられている内容・主題の流れに対する(自身の精神からの)反応というよりも、感覚的ではありますが、それは(読者たる)自身がこの著作に没入・コミットしていく度合いにより現出し、より多様性・深みのある想起が可能になったからではないかと考えます・・。
そして、それがある程度妥当な考えであるとすれば、昨今のブログ記事において述べてきた『読書という受動的な活動を行っている際は、文章の作成といった能動的活動は鈍化する』という考えは、その活動初期における観察においては妥当なものであるのかもしれませんが、ある程度継続することにより、徐々にその内容・文体に慣れ、そして読んでいる自身の方からもスムーズな反応が為されるようになり、そして想念・思考といったものが展開していくのではないかと思われるのです・・。
また、それとは別次元でのハナシであるのかもしれませんが、これもまた現在作成しているブログ記事に関連すると思われることであるため以下に記します。
昨日の朝、目が覚めた直後どうしたわけか、これまでに読んだいくつかの書籍の内容が脳裏に流れていったのですが、通常ある程度文量のある一冊の書籍の内容とは、言語にてその内容を表現しますと、少なくとも数分はかかるものでありながら、起きがけの半分寝ぼけている状態の自身では、それは何といいますか、言語でない言語によって脳裏に想起し流れ、実際の時間としてはおそらく十秒程度であったのではないかと思われます・・。
そして、そのあとに続けて「まだまだ書くことが出来る内容はたくさんあるはずだ・・」といった割合強めのコトバが自身の心中にて響きました・・。
そして、それにより少し目が覚めた私は、さきに脳裏に想起され流れた書籍内容の記憶と、あとに聞こえたコトバの関連について思いを巡らし、その結論として「コトバのとおり、まだまだ書く内容はたくさんあるはずであり、それは文体の獲得にとらわれるよりも、そうした(書くことが出来る)内容を精確に伝えていこうとする努力の方が結果的には面白い文章を作成することが出来、そして副次的に文体の獲得といったものがあるのではないか・・」と思うに至ったわけです・・。
そして、こうしたものを内的経験というのでしょうが、こうした経験とは、おそらく年齢の上昇に伴いあまり経験することが出来なくなっていくものであり、また、以前投稿のブログ記事にて書いたユング心理学での「コンステレーション」とは、こうしたものではないかとも久々に思い出しました・・。
こうしたことはこれまで文章を継続的に作成してきた余禄といったものであるのでしょうか・・(笑)?
そういえば、昨日分の記事投稿によって総投稿記事数が740に到達しました・・。
そして今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。」