A「これまでに投稿した記事は420を越え、また430にも近づいてきましたが、日常生活において特に大きな変化などは生じておりません・・。
それは、当たり前といえば当たり前ではあるのかもしれませんが、一方、これら記事を閲覧してくださっている方々がおられ、また昨日の記事に対してもそうであったのですが、投稿した記事に対して(時折かなり)興味深い反応が為されているのを見ますと、これまでの閲覧者数が国内外を合わせ15万人程度に到達したことにより、何かしらの出来事が生じても良いのではないかとも思われるのです・・(笑)。
いや、しかし、そうしたものは決して良いことばかりであるとも云えませんので、実際こうした静けさの方がブログ記事作成の継続においては望ましいのかもしれません・・。
とはいえ、それ以前に私に関しては、こうしたことに対し経験によって自身が定める「判断の基準」というものを未だに持っていないため、その良し悪しの判断とは、未だ保留、宙ぶらりん、棚上げ状態にしておこうと思います・・(笑)。
そして、そういったはっきりしない、煮え切らない状態とは、大抵の場合、どちらかといえば不愉快なものではないかと思われます・・。
しかしながら、実はそうした内面における解決出来ない疑問、あるいは葛藤といったものを飽くことなく、腐らせることなく平静のうちに問い続けることもまた、成熟というものの一つの要素ではないかとも思われます・・(・・果たして本当であろうか・・?)。
無論、様々な成熟の仕方があるとも思いますが・・。
ともあれ、こうした能動的ともいえる疑問、葛藤を持ち続ける姿勢から哲学そして様々な科学などが生まれ、発展していったのではないかとも思われます・・。
また、これは多くの科学者が述べられている「基礎科学が大事である。」ということの背景思想にも親和性を持つのではないかと思われます・・。
しかしながら、現在の我が国においては、表向きの評価はともかくも、日常我々が接するところの創造的な事物とは、貨幣を生むに都合の良さそうな既存フォームの表層を多少変形させたものをに対し、何かしら大げさなコトバをもって装飾しているものが多いのではないかと考えさせられるのです・・。
そして、こうしたことは社会における根源的な創造的な力(活力)が枯渇してきた時に多く見受けられる現象ではないかと私は思います・・。
私見としては、あまりカッコが良くなくとも、参考としたものは参考したものとしてその出典を明示し、そして、そこから先の自らの創造を為したと考える部分を提示するに留めた方が、健全であり、また未来における創造にも繋がるのではないかと思われるのです・・文章であれ芸術作品であれ。
また、これは、実際に自身がこれまでのブログ記事の作成を通じて、いみじくも痛感したことでもあります・・。
さて、ここまで記していて何故か不図思い起こしましたが、先日書店にて映画化もされた中上健次著「千年の愉楽」を立ち読みしましたが、ああした文体もまた人を引きつける何かがあり「実のところ、こちらの文体の方が本来の伝統に沿った日本語の用い方なのではなかろうか・・?」とも思われました。
この著作、映画をご存じない方は、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、映画と共に是非一度観る、読んでみては如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月22日木曜日
20160921 スランプとパンチの効いた警世的なるもの・・・
A「先日よりどうもブログ記事の良い着想が思い浮かびません・・。
これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。
そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。
そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということを伺いました。
そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。
また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。
あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。
しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。
そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。
また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。
そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
(フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)
渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?
そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。
そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。
とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。
読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。
さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。
この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。
また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。
そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。
そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。
そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということを伺いました。
そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。
また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。
あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。
しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。
そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。
また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。
そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
(フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)
渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?
そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。
そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。
とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。
読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。
さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。
この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。
また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。
そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
登録:
投稿 (Atom)