B:「ええ、構いませんよ。ただ、メールでもお伝えしましたように午後二時から外せない会議がありますので、それまでになりますが、大丈夫ですか?」
A:「はい、大丈夫です。では、早速本題に入らせて頂きますが、つい先日、***大学****学部の開設10周年の記念講演会がありまして、これに出席させて頂いたのですが、その登壇者の先生方が揃って「現在の世界は大きな変化の時代であり混乱している。」との見解を述べられていました。このこと自体は、私はかねてより思ってきたことでしたので、特に驚くことはなかったのですが、しかし同時に、それがある程度共有されている見解であることを実感しました。そこから「では、現在の混乱して大きく変化している世界情勢のなかで、我が国は、どのように処することにより、来るべき時代のなかで発展し続けることが出来るのだろうか?」と思ったのです…。というのも、昨今の我が国は「失われた30年」といったコトバがよく聞かれ、そして実際、低迷し続けていることは、おそらく先生も納得されると思うのですが、こうした状況から、より良い方向への変化をもたらすヒントを人文系研究者であるB先生からお聞きすることが出来ればと思い、今回訪問させて頂いた次第です。」
B:「…なるほど、それは責任重大ですね…。それで、具体的にAさんはどのようなことをお聞きになりたいのですか?」
A:「はい、では、さきの「失われた30年」といった状況から、より良い方向へ漸進的に、そしてまた根本から変えていくための手段は、やはり教育以外にないと思うのです…。とはいえ、いきなり教育制度を大きく変えても、それはそれで社会にとって大きなストレスとなり、後々悪しき影響が出てくるのではないかと思われます…。そういえば、先生、今年のノーベル経済学賞を受賞されたのは、マサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授とサイモン・ジョンソン教授、そしてシカゴ大学のジェームズ・ロビンソン教授の3人で、その受賞理由は「社会制度がどのようにして形成され、そして、それが国家の盛衰にどのような影響を与えるかについての画期的な研究」であったことはご存じであると思いますが、そこで私も彼等の著作「国家はなぜ衰退するのか」に興味を持ち、立ち読みしたところ、これが大変面白く、購入して現在読み進めていえうところです。...あ、すみません、前振りが長くなってしまいましたが、それで、この「国家はなぜ衰退するのか」では、国の政治体制や社会構造が、その国の興亡や盛衰に、どのようなメカニズムで影響を及ぼすのかについて、さまざまな具体例を挙げて述べているわけですが、これまでに読んだところでの、かなり大雑把な要旨は、中央集権体制は、その後の社会発展のためには重要ではあるのですが、それがさらに進み、収奪的あるいは専制的な傾向が強くなると、そうした社会では「出る杭は打たれる」方式で技術革新やイノベーションが生じなくなって衰退に向かっていくということなのです。そして、この指摘には、我が国の「失われた30年」にも通底する要素があるのではないかと思われるのですが、この点について、いかがお考えになりますでしょうか?」
B:「…なるほど、発言の最後の方に出てきた「技術革新やイノベーション」は、先日の勉強会で度々出てきたシュンペーターの「創造的破壊」やベルクソンの「創造的進化」とも関連性がありますからね…。そして、Aさんがその時に我が国でイノベーションや技術革新が自然に生じるようになるためには科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・数学(Mathematics)などの論理的思考力を重視した所謂「STEM教育」が重要であると述べられましたが、それは私も「なるほど」と思い、その後、関連する文献や資料などをあたってみたところ、直近の国際的な認識では「STEM」を構成する4つの分野だけでは不十分であり、これに芸術分野(Art)の頭文字である「A」を追加した「STEAM」教育の重要性が指摘されています。この芸術分野(Art)の本来の語義は、絵画や彫刻や音楽などの、いわゆる一般的に云われるところの「芸術」だけではなく、古くからの人文系も含まれています。そして、この「STEM」にArtの「A」を追加することによって、はじめて、その人の知識体系全体が統合されて、創造性が駆動を始め、さらに、そうした方々が増えることによって、やがて、社会を変えるようなイノベーションや技術革新が生じるといった考えであると云えます。」
A:「STEM」に人文系を含むArtの「A」を追加することにより、個人や社会での創造性が駆動し始めるということですか…。なるほど、それは初耳ながら大変興味深い見解ですね。もう少し続きを伺ってよろしいでしょうか?」
B:「ええ、これが重要なところなのですが、人文系を含むアートを取り入れることによって、創造性や感性を育み、理論や理屈だけでは解決できない複雑な問題に対して適切に対応出来る感覚を養うことがその大きな目的と云えます。そして、こうした現象はルネサンス期のヨーロッパともよく似ていると思うのですが如何ですか?」
A:「ルネサンス…文芸復興ですか…?確かに、当時は中世以来のキリスト教的な道徳に縛られない、新たな文化芸術が勃興した時代でしたよね…。」
B:「ええ、そうです。ルネサンスは、単なる新しい文化芸術の発展ではありませんでした。それはAさんもご存知のウンベルト・エーコの「薔薇の名前」からも分かるように、当時は古代ギリシャ・ローマあるいは、それ以前からのさまざまな知識を再発見して、それらを融合させることで創造性を高めていった時代であったのです。そしてまた、現代のSTEAM教育も、社会における創造性の復興を目指しているのだと云えます。」
A:「なるほど…しかし、正直に直言いますと、現在の我が国では、文化や芸術の復興というよりもアニメやマンガあるいはアイドルやゲームといった、所謂サブカルチャーばかりが目立っているようにも見受けられるのですが…。」
B:「ええ、その点については深刻な問題があると私は考えています...。さきほどのアニメやマンガ、あるいはY本のお笑い芸人や*ャニーズのアイドルの方々が、我が国のさまざまな場面で席巻している状態は、たしかに一見すると多様な文化の象徴のようにも見えますが、実際のところそれは、社会全体の創造性を搾取している側面があるのではないかと考えています。」
A:「…それはどういう意味ですか?アニメやマンガやお笑いやアイドルなどのサブカルチャーが社会の創造性を搾取しているということですか...?」
B:「ええ、端的にマンガやアニメをはじめサブカルチャー全般は、より多くの人々から受容されるために直感的且つ単純で理解し易いコンテンツとなってしまう傾向が強く、現実に即した難解なテーマや長期的あるいは多角的な視点を持つ思考を省略しがちであると考えます。また、お笑いに関しても同様に、即物的と云うのか、瞬発力のある笑いを重視する傾向が強く、それが社会問題への真剣な議論や熟考された洞察を後回しにしてしまうといった傾向があるのだと考えます。」
A:「...ええ、たしかにそうですね。サブカルチャー全般は、あまり考えなくても享受できるような「楽しさ」を(過度に)重視しているようにも見受けられますね…。そして、それを継続することによって、人々から能動的な探究心や熟考する力を奪っているということですか?」
B:「ええ、そうです。そうした刺激を受動的に享受し続けていますと、徐々に、その人が本来持っている能動性や、そこから派生する思考や創造性といったものを減衰させてしまうのではないかと考えています…。もちろん、それはさきのサブカルチャー全般だけでなく、今やネット上に溢れている二次元・三次元を問わないポルノ・コンテンツも同様であり、そして、それらのコンテンツが社会に浸透すればするほど、それに伴い、その社会全体の創造性が蝕まれていくのだと考えています。また、そうしたいわば安易な楽しみを重視する刺激の危険性に対して警鐘を鳴らしても、多くの方々は、そうした刺激をもたらす文化事物を「文化の多様性」や「表現の自由」などを盾として、そうした警告めいた主張を「古めかしい家父長制時代の残滓」として断じ、逆に論難してくるのは、前世紀のマンガ文化が勃興しつつあった時代の様相と概ね同様ではないでしょうか…?」
A:「…たしかにそうですね。また、そうした様子は、敗戦などの大規模な挫折があった国や地域においては、比較的多く見られるのではないかと思われますが、その意味において、おそらく、現在の我が国を席捲あるいは代表しているとも云える、さきの一連の文化事物の多くも、その淵源は敗戦直後のドサクサ期に力をつけてきたものが多いようですからね…。そして、それが社会に主要な娯楽文化として定着したのは、我が国の戦後復興が目覚ましい時代でしたから…「まあ、国も順調に栄えつつあるのだから、そうした文化などに、いちいち目くじらを立てなくとも良いのではないか?」といった余裕もあったのでしょうが、しかし、その後、その娯楽文化が、さらに広汎に社会に認知されて人気を博するようになりますと、我が国の経済的な力が衰えてきて、やがて、前世紀末頃からは、今なお続く「失われた30年」が始まりましたので、見方によれば、そうした娯楽文化の多くは、新たな文化様式の創造に寄与することが出来なかった、あるいは寄与する性質を持っていなかったのではないかとも思われますね…。」
B:「ええ、今Aさんが仰った歴史的経緯の読みに私も同意します。かつてのヨーロッパでのルネサンスが古代以来の知識の再発見を通じて創造性を駆動させて社会を変化させたのに対して、現代の我が国では、(過度に)娯楽文化化したサブカルチャーをイタズラに称賛、そして消費することで、未来に生じるかもしれない創造性が浪費されてしまったのではないかと考えます。そしてまた「このままだと我が国はマズいことになるのではなか?」といった危惧も抱かせます。」
A:「そして、その対策として、さきほどのSTEAM教育があるといった認識で良いのでしょうか?」
B:「ええ、そうです。STEAM教育は、若い世代に能動的に探究心と創造性を育み、あるいは取り戻させるための取り組みと云えます。そして、それによってサブカルチャーなどに頼らない、ニセモノではない文化的教養によって、もう一度、我が国の社会に活力や創造性を取り戻すことができるのではないかと考えています。」
A:「確かに、それが実現することができれば、もっと広い視野で深く物事を考えられる人材が育ちそうですね…。ただ、こうした制度を変えるには時間がかかりますよね。もっと短期的にできる取り組みとして、どのようなものが考えられますか?」
B:「…短期的には教育現場での『横断型プロジェクト』のようなものを導入することが効果的であると考えます。例えば、学生が複数の分野の知識を組み合わせて社会課題を解決するような課題に取り組む場を設けることです。これによって、自然に分野間のつながりや創造性の重要性に気付くことができます。また、企業や自治体との連携によるインターンシップやフィールドワークも良いでしょう。実社会において分野の垣根を越えて活動することの意義を体感できるはずです。」
A:「なるほど、現場レベルから変化を促す取り組みですね。それは現実的で効果がありそうです。ところで、先生ご自身は、これまでのご経験や研究を通じて、特に重要だと感じる創造性の要素は何だと思われますか?」
B:「そうですね…。創造性の本質は、多様性と好奇心にあると考えています。異なる背景や考え方を持つ人々と接することで新しい視点が得られ、それが創造の種となります。また、自分が興味を持ったことに対して深く掘り下げる好奇心は、その種を育てる肥料のようなものです。ですから、多様性を尊重し、好奇心を刺激する環境をいかに整えるかが、創造性を育む鍵になるでしょう。」
A:「多様性と好奇心ですか…。なるほど、それは、何も教育だけではなく職場や社会全体でももっと意識されるべき点であると思いますね…。本日は多くの示唆を頂き、感謝いたします。そして、このお話をぜひ他の多くの方々とも共有したいと思います。」
B:「そう言っていただけると嬉しいです。お役に立てたのでしたら何よりです。そしてまた何かありましたら随時ご連絡頂ければと思います。」
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。