2024年12月10日火曜日

和歌山での対話:試製20241218(後日さらに加筆修正の予定)

A:「先日の勉強会以来ですので、あまりお久しぶりではありませんが、今日は是非先生のご意見を伺いたく思い、訪問させて頂きました。ご多忙のなか、お時間取って頂きどうもありがとうございます。」

B:「ええ、構いませんよ。ただ、メールでもお伝えしましたように午後二時から外せない会議がありますので、それまでになりますが、大丈夫ですか?」

A:「はい、大丈夫です。では、早速本題に入らせて頂きますが、つい先日、***大学****学部の開設10周年の記念講演会がありまして、これに出席させて頂いたのですが、その登壇者の先生方が揃って「現在の世界は大きな変化の時代であり混乱している。」との見解を述べられていました。このこと自体は、私はかねてより思ってきたことでしたので、特に驚くことはなかったのですが、しかし同時に、それがある程度共有されている見解であることを実感しました。そこから「では、現在の混乱して大きく変化している世界情勢のなかで、我が国は、どのように処することにより、来るべき時代のなかで発展し続けることが出来るのだろうか?」と思ったのです…。というのも、昨今の我が国は「失われた30年」といったコトバがよく聞かれ、そして実際、低迷し続けていることは、おそらく先生も納得されると思うのですが、こうした状況から、より良い方向への変化をもたらすヒントを人文系研究者であるB先生からお聞きすることが出来ればと思い、今回訪問させて頂いた次第です。」

B:「…なるほど、それは責任重大ですね…。それで、具体的にAさんはどのようなことをお聞きになりたいのですか?」

A:「はい、では、さきの「失われた30年」といった状況から、より良い方向へ漸進的に、そしてまた根本から変えていくための手段は、やはり教育以外にないと思うのです…。とはいえ、いきなり教育制度を大きく変えても、それはそれで社会にとって大きなストレスとなり、後々悪しき影響が出てくるのではないかと思われます…。そういえば、先生、今年のノーベル経済学賞を受賞されたのは、マサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授とサイモン・ジョンソン教授、そしてシカゴ大学のジェームズ・ロビンソン教授の3人で、その受賞理由は「社会制度がどのようにして形成され、そして、それが国家の盛衰にどのような影響を与えるかについての画期的な研究」であったことはご存じであると思いますが、そこで私も彼等の著作「国家はなぜ衰退するのか」に興味を持ち、立ち読みしたところ、これが大変面白く、購入して現在読み進めていえうところです。...あ、すみません、前振りが長くなってしまいましたが、それで、この「国家はなぜ衰退するのか」では、国の政治体制や社会構造が、その国の興亡や盛衰に、どのようなメカニズムで影響を及ぼすのかについて、さまざまな具体例を挙げて述べているわけですが、これまでに読んだところでの、かなり大雑把な要旨は、中央集権体制は、その後の社会発展のためには重要ではあるのですが、それがさらに進み、収奪的あるいは専制的な傾向が強くなると、そうした社会では「出る杭は打たれる」方式で技術革新やイノベーションが生じなくなって衰退に向かっていくということなのです。そして、この指摘には、我が国の「失われた30年」にも通底する要素があるのではないかと思われるのですが、この点について、いかがお考えになりますでしょうか?」

B:「…なるほど、発言の最後の方に出てきた「技術革新やイノベーション」は、先日の勉強会で度々出てきたシュンペーターの「創造的破壊」やベルクソンの「創造的進化」とも関連性がありますからね…。そして、Aさんがその時に我が国でイノベーションや技術革新が自然に生じるようになるためには科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・数学(Mathematics)などの論理的思考力を重視した所謂「STEM教育」が重要であると述べられましたが、それは私も「なるほど」と思い、その後、関連する文献や資料などをあたってみたところ、直近の国際的な認識では「STEM」を構成する4つの分野だけでは不十分であり、これに芸術分野(Art)の頭文字である「A」を追加した「STEAM」教育の重要性が指摘されています。この芸術分野(Art)の本来の語義は、絵画や彫刻や音楽などの、いわゆる一般的に云われるところの「芸術」だけではなく、古くからの人文系も含まれています。そして、この「STEM」にArtの「A」を追加することによって、はじめて、その人の知識体系全体が統合されて、創造性が駆動を始め、さらに、そうした方々が増えることによって、やがて、社会を変えるようなイノベーションや技術革新が生じるといった考えであると云えます。」

A:「STEM」に人文系を含むArtの「A」を追加することにより、個人や社会での創造性が駆動し始めるということですか…。なるほど、それは初耳ながら大変興味深い見解ですね。もう少し続きを伺ってよろしいでしょうか?」

B:「ええ、これが重要なところなのですが、人文系を含むアートを取り入れることによって、創造性や感性を育み、理論や理屈だけでは解決できない複雑な問題に対して適切に対応出来る感覚を養うことがその大きな目的と云えます。そして、こうした現象はルネサンス期のヨーロッパともよく似ていると思うのですが如何ですか?」

A:「ルネサンス…文芸復興ですか…?確かに、当時は中世以来のキリスト教的な道徳に縛られない、新たな文化芸術が勃興した時代でしたよね…。」

B:「ええ、そうです。ルネサンスは、単なる新しい文化芸術の発展ではありませんでした。それはAさんもご存知のウンベルト・エーコの「薔薇の名前」からも分かるように、当時は古代ギリシャ・ローマあるいは、それ以前からのさまざまな知識を再発見して、それらを融合させることで創造性を高めていった時代であったのです。そしてまた、現代のSTEAM教育も、社会における創造性の復興を目指しているのだと云えます。」

A:「なるほど…しかし、正直に直言いますと、現在の我が国では、文化や芸術の復興というよりもアニメやマンガあるいはアイドルやゲームといった、所謂サブカルチャーばかりが目立っているようにも見受けられるのですが…。」

B:「ええ、その点については深刻な問題があると私は考えています...。さきほどのアニメやマンガ、あるいはY本のお笑い芸人や*ャニーズのアイドルの方々が、我が国のさまざまな場面で席巻している状態は、たしかに一見すると多様な文化の象徴のようにも見えますが、実際のところそれは、社会全体の創造性を搾取している側面があるのではないかと考えています。」

A:「…それはどういう意味ですか?アニメやマンガやお笑いやアイドルなどのサブカルチャーが社会の創造性を搾取しているということですか...?」

B:「ええ、端的にマンガやアニメをはじめサブカルチャー全般は、より多くの人々から受容されるために直感的且つ単純で理解し易いコンテンツとなってしまう傾向が強く、現実に即した難解なテーマや長期的あるいは多角的な視点を持つ思考を省略しがちであると考えます。また、お笑いに関しても同様に、即物的と云うのか、瞬発力のある笑いを重視する傾向が強く、それが社会問題への真剣な議論や熟考された洞察を後回しにしてしまうといった傾向があるのだと考えます。」

A:「...ええ、たしかにそうですね。サブカルチャー全般は、あまり考えなくても享受できるような「楽しさ」を(過度に)重視しているようにも見受けられますね…。そして、それを継続することによって、人々から能動的な探究心や熟考する力を奪っているということですか?」

B:「ええ、そうです。そうした刺激を受動的に享受し続けていますと、徐々に、その人が本来持っている能動性や、そこから派生する思考や創造性といったものを減衰させてしまうのではないかと考えています…。もちろん、それはさきのサブカルチャー全般だけでなく、今やネット上に溢れている二次元・三次元を問わないポルノ・コンテンツも同様であり、そして、それらのコンテンツが社会に浸透すればするほど、それに伴い、その社会全体の創造性が蝕まれていくのだと考えています。また、そうしたいわば安易な楽しみを重視する刺激の危険性に対して警鐘を鳴らしても、多くの方々は、そうした刺激をもたらす文化事物を「文化の多様性」や「表現の自由」などを盾として、そうした警告めいた主張を「古めかしい家父長制時代の残滓」として断じ、逆に論難してくるのは、前世紀のマンガ文化が勃興しつつあった時代の様相と概ね同様ではないでしょうか…?」

A:「…たしかにそうですね。また、そうした様子は、敗戦などの大規模な挫折があった国や地域においては、比較的多く見られるのではないかと思われますが、その意味において、おそらく、現在の我が国を席捲あるいは代表しているとも云える、さきの一連の文化事物の多くも、その淵源は敗戦直後のドサクサ期に力をつけてきたものが多いようですからね…。そして、それが社会に主要な娯楽文化として定着したのは我が国の復興目指しい時代でしたから…まあ「国も順調に栄えつつあるのだから、そうした文化などに、いちいち目くじらを立てなくとも良いのではないか?」といった余裕もあったのでしょうが、しかし、その後、その娯楽文化が、さらに広汎に社会に認知されて人気を博するようになりますと、我が国の経済的な力が衰えてきて、やがて、前世紀末頃からは、今なお続く「失われた30年」が始まりましたので、見方によれば、そうした娯楽文化の多くは、新たな文化様式の創造に寄与することが出来なかった、あるいは寄与する性質を持っていなかったのではないかとも思われますね…。」

B:「ええ、今Aさんが仰った歴史的経緯の読みに私も同意します。かつてのヨーロッパでのルネサンスが古代以来の知識の再発見を通じて創造性を駆動させて社会を変化させたのに対して、現代の我が国では、娯楽文化化したサブカルチャーをイタズラに称賛、そして消費することで、未来に生じるかもしれない創造性が浪費されてしまったのではないかと考えます。そしてまた「このままだと我が国はマズいことになるのではなか?」といった危惧も抱かせます。」

A:「そして、その対策として、さきほどのSTEAM教育があるといった認識で良いのでしょうか?」

B:「ええ、そうです。STEAM教育は、若い世代に能動的に探究心と創造性を育み、取り戻させるための取り組みと云えます。そして、それによってサブカルチャーに頼らない、文化的教養によって、もう一度、我が国の社会に活力や創造性を取り戻すことができるのではないかと考えています。」

A:「確かに、それが実現できれば、もっと広い視野で物事を考えられる人材が育ちそうです。ただ、制度を変えるには時間がかかりますよね。もっと短期的にできる取り組みとして、どのようなものが考えられますか?」

B:「短期的には、教育現場での『横断型プロジェクト』を導入することが効果的だと思います。例えば、学生が複数の分野の知識を組み合わせて社会課題を解決するような課題に取り組む場を設けることです。これにより、自然に分野間のつながりや創造性の重要性に気付くことができます。また、企業や自治体との連携によるインターンシップやフィールドワークも良いでしょう。実社会において分野の垣根を越えて活動することの意義を体感できるはずです。」

A:「なるほど、現場レベルから変化を促す取り組みですね。それは現実的で効果がありそうです。ところで、先生ご自身は、これまでのご経験や研究を通じて、特に重要だと感じる創造性の要素は何だと思われますか?」

B:「そうですね…。創造性の本質は、多様性と好奇心にあると考えています。異なる背景や考え方を持つ人々と接することで新しい視点が得られ、それが創造の種となります。また、自分が興味を持ったことに対して深く掘り下げる好奇心は、その種を育てる肥料のようなものです。ですから、多様性を尊重し、好奇心を刺激する環境をいかに整えるかが、創造性を育む鍵になるでしょう。」

A:「多様性と好奇心…。それは、教育だけでなく職場や社会全体でも意識されるべき視点ですね。本日は本当に多くの示唆を頂き、感謝いたします。このお話をぜひ他の方々にも共有したいと思います。」

B:「そう言っていただけると嬉しいです。お役に立てたのなら何よりです。どうぞ、また何かあればいつでもお尋ねください。」






B:「確かにその意見も一理ありますが、私はむしろ、マンガやアニメといった娯楽文化を高等教育からは一定の距離を置くべきではないかと考えています。これらのメディアは大衆文化としての役割を果たしていますが、それを高等教育に組み込むことは、本来の学問の厳密性や深みを薄めてしまう可能性があるのではないでしょうか。」

A:「なるほど。つまり、安易に娯楽文化を高等教育に組み込むことで学問の本質が損なわれてしまう可能性がある、ということですね…。では、その主張にはどのような背景があるのですか?」

B:「まず、マンガやアニメは、その性質上、簡略化された表現やストーリーで大衆にアピールすることを目的としています。一方、高等教育は、深い洞察や厳密な論理、そして複雑な現象を捉える力を育む場です。マンガやアニメを教育に組み込むと、学生が物事を表層的に捉え、安易に満足してしまうリスクが高まります。」

A:「確かに、それは一理ありますね。特に、マンガやアニメが感情に訴える要素が強い分、冷静で論理的な思考が後回しになりがちかもしれません。」

B:「そうなんです。さらに、これらのメディアは、瞬間的な感情の高まりや娯楽性に重きを置いており、長期的な視点や批判的思考を育てるには不向きです。高等教育においては、物事を長期的かつ多角的に分析する力を養うべきであり、それを阻害する可能性のある要素は排除すべきだと思います。」



B:「確かに、それらが初等教育や中等教育において興味を引き出すためのツールとして使われることには一定の効果があるでしょう。しかし、高等教育の場では、それ以上に高度で深い議論や研究が求められます。そのため、マンガやアニメを持ち込むことは、むしろ学生の知的成長を妨げる可能性が高いのです。」

A:「具体的には、どういった点が学生の知的成長を妨げるとお考えですか?」

B:「例えば、一次資料や原典に触れる機会を増やすことです。学生には、自分の手で資料を読み解き、考察する経験を積ませるべきです。また、討論やディベートのような場を設けて、学生同士が互いの意見を深め合う環境を作ることも有効です。」

A:「確かにそれは重要ですね。ただ、マンガやアニメが提供する娯楽文化そのものが日本の重要な産業である点についてはどうお考えですか?」

B:「その点については、経済的な価値を否定するつもりはありません。しかし、それはあくまで娯楽としての価値であり、教育の場にそのまま持ち込むべきではありません。高等教育が目指すのは、知識や技術の高度な習得だけでなく、それを支える深い思索や批判的な視点の育成です。これらは、娯楽文化とは根本的に異なる方向性を持っています。」

A:「つまり、高等教育は独自の役割を果たすべきであり、娯楽文化とは分離されるべきということですね。その一方で、学生たちが学びに対する意欲を失わないようにするための工夫も必要ではないでしょうか?」

B:「もちろんです。そのためには、教育の中身をより充実させることが求められます。例えば、学問的なテーマをより身近な事例と結びつけたり、フィールドワークやプロジェクト学習を通じて実践的な学びを提供したりすることが有効です。」

A:「実践的な学びを重視することで、娯楽文化に頼らずとも学生の興味を引きつけることが可能になる、ということですね。ところで、近年ではデジタル技術の活用も進んでいますが、その点についてはどうお考えですか?」

B:「デジタル技術は教育において大きな可能性を秘めています。特に、高度なシミュレーションやデータ分析を通じて、学生が理論と実践を結びつける経験を積むことができます。しかし、ここでも注意が必要なのは、あくまで教育の質を高める手段として技術を使うべきであり、単に興味を引くための娯楽的な要素に偏らないことです。」

A:「そのバランスが重要なのですね。では、先生が考える理想的な高等教育の形とはどのようなものでしょうか?」

B:「私が理想とする高等教育とは、学生が自ら考え、行動し、社会に貢献する力を養う場です。そのためには、深い学びと実践が不可欠です。知識をただ受動的に得るのではなく、それを活用して課題を解決する力を育てることが重要です。そして、そのような力を育む環境を整えることが、高等教育の使命だと思います。」

A:「確かにその通りですね。本日のお話は大変勉強になりました。私自身も、高等教育における娯楽文化の影響について改めて考えるきっかけになりました。本当にありがとうございました。」

B:「こちらこそ、非常に有意義な議論でした。また何かあればいつでもご相談ください。」