2022年3月1日火曜日

20220301 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.229-231より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」

pp.229-231より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

21世紀に主要国が行った侵略で、これまで唯一成功したのは、ロシアによるクリミア征服だ。2014年2月、ロシア軍は国境を接するウクライナに侵入してクリミア半島を占領し、その後、同半島を併合した。ロシアはほとんど戦火を交えることなく、戦略的に重要な領土を獲得し、近隣諸国を震え上がらせ、世界の大国としての地位に返り咲いた。とはいえ、この征服が成功したのは、並外れた巡り合わせに恵まれたからだ。ウクライナの軍隊も地元民もたいした抵抗を見せなかったし、他の大国もこの危機に直接介入することを控えた。こうした状況を世界の他の場所で再現するのは難しいだろう。もし、侵略者に抵抗する気のある敵がいないというのが、戦争で勝つための前提条件だとしたら、それが満たされる機会ははなはだ限られる。

 実際、ロシアがクリミアでの成功をウクライナの他の地方で再現しようとしたときには、はるかに頑強な抵抗に遭い、ウクライナ東部での戦争は不毛な行き詰まり状態に陥った。そればかりか、この戦争でウクライナの反ロシア感情に火がつき、ウクライナは盟友から不倶戴天の敵に変わってしまったから、(ロシア政府の視点からは)なお悪かった。第一次湾岸戦争での成功で図に乗ったアメリカがイラクで無謀な戦いを始めたのとちょうど同じで、クリミアでの成功で図に乗ったロシアも、ウクライナで無謀な戦いに手を染めてしまったのだ。

 21世紀の頭のカフカスとウクライナにおけるロシアの戦争を総合して考えれば、けっして大成功とは言えない。それらの戦争で大国としてのロシアの威信はたしかに高まったものの、同国に対する不信と敵意を募らせてしまったし、経済的にも損失を招いている。ウクライナでクリミアの観光地やルガンスクとドネツクにある旧ソ連時代の老朽化した工場を手に入れたところで、戦争にかかる費用はとうてい補填できないし、資本の逃避や、国際制裁の代価はまったく埋め合わせることができない。平和な中国が過去20年間に見せた途方もない経済発展と、同じ期間に「戦勝国」ロシアが陥った景気停滞とを比較しさえすれば、ロシアの政策の限界に否応なく気づかされる。

 政府は空威張りしているが、ロシアのエリート層自体は、おそらく自国の軍事的冒険の費用と便益を十分認識しているだろう。だからこそ、そうした冒険をエスカレートさせないよう、これまで細心の注意を払ってきたのだ。ロシアは学校のいじめっ子の原理を守ってきた。すなわち、「いちばん弱い子供をいじめろ。だが、やり過ぎるな。先生が割って入ってこないように」というわけだ。もしプーチンがスターリンやピョートル大帝やチンギス・ハーンのような意気込みで戦争を行っていたら、ロシアの戦車はとうの昔に、ワルシャワやベルリンとまでは言わないまでも、トビリシやキエフには突進していただろう。だが、プーチンはチンギス・ハーンでもスターリンでもない。彼は21世紀には軍事力があまり役に立たないことや、戦争を仕掛けて勝つには、限定戦争を行うにとどめておかなくてはならないことを、誰よりもよく知っているように見える。ロシアが情け容赦ない空爆を行ってきたシリアにおいてさえ、プーチンは用心を怠らず、ロシアが最小限の足跡した残さないようにし、本格的な戦闘はすべて他の国の人々に任せ、戦争が隣国にまで拡がるのを防いでいる。

 実際、ロシアの視点に立つと、近年ロシアがとってきた攻撃的な行動とされるものはみな、新しいグローバルな戦争の端緒を開くものではなく、手薄になった防備を補強する試みだった。ロシアは1980年代末から90年代初期にかけて、平和的に軍を引き揚げた後、打ち負かされた敵のように扱われた事実を指摘することができる。それはもっともな話だ。アメリカと北大西洋条約機構(NATO)はロシアの弱みにつけ込み、約束に反して、NATOを東ヨーロッパへ、さらには旧ソ連の共和国の一部にまで拡張した。そのうえ西側諸国は、中東におけるロシアの権益を無視し、怪しげな口実でセルビアとイラクに侵攻し、総じて、ロシアは西側諸国の侵略から自国の勢力圏を守るには、自らの軍事力に頼るしかないことを、はっきりと思い知らされた。この視点からは、最近のロシアの軍事的な動きは、ウラジミール・プーチンだけでなく、ビル・クリントンやジョージ・W・ブッシュのせいでもあると言える。

20220228 作文技術の向上と認識の強さについて・・【緩慢なる発達】

本日は2月の最終日であり、また同時に、本日新規にて記事投稿をしますと1720記事に到達することになります。そうしますと、残りあと80記事の投稿にて、新たな目標として定めた1800記事へと到達することになります。これは今後、概ね5日間に4記事の投稿頻度にて、来る6月20日まで記事作成を続けることにより、当ブログ開始から丁度丸7年の頃に1800記事へと到達出来る目途が立つことになりますが、これに関しては、現在の私の状態を鑑みるに困難であるように思われます・・。

とはいえ、であるからといって記事を作成しなければ、投稿頻度はもとより、記事数の増加さえも望めません・・。それ故、本日も2月内にキリの良い1720記事へと到達すべく、先ほど来より記事作成を行っている次第ですが、他方で、書籍からの引用記事となる題材は未だ少なからずあり、昨日の投稿記事にて述べた「自らの文章による記事を・・」がなければ、本日は迷うことなく、書籍からの引用記事を作成していたと云えます・・(苦笑)。

それでも、この程度までどうにか作成が進みますと、少しは興に入るのか、キーボード上の指の動きはいくらかは滑らかになってくるようです・・。そして、この状態にまで持っていくことが出来ますと、当初の、文章作成に対しての重苦しさのようなものは大分軽減されて、あたかも話すかのようにして、文章を作成することが出来るようになります・・。通常であれば、こうした文章作成に適した意識状態は貴重であるとも云えることから、この状態のことを、敢えて、対象として文章化しようとは思わないのかもしれませんが、これまでに何度も、自身のブログについて、さまざまなことを述べてきましたので、あるいは、忘れているだけであるかもしれませんが、それらの中には、これまで当記事にて述べた主旨の根本・種子となるものはあるのではないかと思われます。

これまで6年半以上にわたり、ブログ記事を作成してきましたが、自分の作文技術の向上のような感覚はかなり乏しいのですが、同時に、これまでの期間を通じて分かったことは、あくまでも感覚的にではありますが、当ブログでのオリジナルの記事の主旨には、いくつののパターンがあり、またそれは、自分の好みによるものであるということです。こうしたことは多少、内省的になって考えれば、分かることであるのかもしれませんが、他方で、ある程度の期間、行為を継続して「分かった!」といった感覚を得るに至るのでは、その「分かる」の強さが、主体に与える影響も異なり、そして、その強度を受容して、感覚として判断するのが身体性であるのではないかと思われるのです・・。

その意味において、さきに述べた当ブログ記事の主旨のパターン、およびその好みの認識・発見は自分にとってはそれなりに驚くべきことであったと云えます・・。そしてまた、自分のブログなどの作文技術もまた、今後、向上するのであれば、これと同程度の足並みにて向上していくのであろうと思われるところです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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