関東大震災直後での出来事と、現今の我が国におけるコロナ禍下の出来事の連続性を結節する主たるものは、先日読了した講談社刊 鴻上尚史・佐藤直樹著「同調圧力」(日本社会はなぜ息苦しいのか)に描かれている「世間」において空気のように存在している「同調圧力」であると考えます。
「同調圧力」は、多くの場合、明言されることはないものの「世間」内部での互いの目配せによって醸成されるような、一種、忖度の前提となるようなものであり、これが空気のように「世間」内部に蔓延すると、各々の自由な発言、行動が著しく困難になり、知らぬ間に、ある特定の方向に(世間内部の)発言や行動が向かっていくといった性質があるように思われます。
そしてこれは筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻に記されている「小さな所属集団内部での情意伝達に慣れた人々が、長い間「以心伝心」を理想としてきたということもあろう。言葉による伝達には限界があり、大切なことはすべて言葉によらずに伝達されるという考え方は、日本文化のなかに浸透していた。」によって説明できるのではないかと考えます。
さらにまたそれは、明治初期に福沢諭吉が、自身の興した慶應義塾内に「演説館」を建設した理由(必要性の認識)にも近しい関係があるのではないかとも思われます。
つまり、端的に我が国では、伝統的に、言語によって構成・構築された言説によって彼我が互いに議論を交わす(戦わす)といった文化が社会そして世間に根付いておらず、あったとしても、表層的とも云える語義上での揚げ足取りといった様相になることが多いように見受けられます。
そして、こうしたことから敷衍しますと、国産の思想・哲学といったものが生まれ難いといった状況にも、浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのです。
また、そのように考えてみますと、その基層には、古くから国民全般に広く浸透した宗教上の正典といったものが存在しないことが、少なからず影響を及ぼしているのではないかと思われます。
ともあれ、そうした事情は、昨今のインターネットの普及により、社会全般にて参照可能となった情報が著しく増加したことにより、さらに拍車がかかり、現在においては、以前よりもさらに、さまざまな「世間」を結び付け「社会」とすることが可能となる、共有化し得る「言説」を構築あるいは見出し難い状況と云えるのかもしれません。
しかしまた同時に「ある程度の世間の範囲」(たとえば地域社会)にて古くから共有化されている「言説」の核となるものは、以前と比較すると、見出し易くなってきているのかもしれません・・。その意味でも、やはり国であれ地域であれ、その辿って来た「歴史」とは、軽視されるべきものではなく、それは冒頭にて述べた「関東大震災時の朝鮮人虐殺」においてもまた同様であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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