2021年12月29日水曜日

20211229 三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」pp.45-46より抜粋

三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」pp.19-21より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4879191620
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4879191625

この未開のままの黒人の一隊のうしろから、順化された黒人―彼らに加えられている新しい力の副産物なのだがーのひとりがライフル銃の中ほどを手に握って、だらしなく付いてきていた。ボタンの一つとれた上衣を着ていたが、白人の僕を見かけると、すばやく、銃を肩に担ぎ変えた。ちょっとした用心というわけだ。遠目には白人はみんな同じに見えて、僕がどんな男なのか、分からないからね。近づいてみて、すぐ安心すると、大きな白い歯をみせて、ずるっこくニヤリとした。そして引き連れている黒人たちの方をチラリと見た。彼は、僕を、彼の崇高な任務の相棒として見てくれたらしかった。つまるところ、この僕だって、この気高く公正な大事業の一部を担ってきたわけだからね。

『丘に上がっていくのはやめにして、僕は向きを変え、左の方に降りて行ってみた。丘の上にあがる前に、鎖につながれた罪人たちを視界の外にやりすごしてしまおうと思ったのだ。知っての通り、僕は特別心優しい男じゃない。人を殴ることも、殴られるのをかわすこともしなけりゃならなかった。はまり込んだ生活が生活だから、後のことはよく考えずに、抵抗したり攻撃したりしたこともあったさ。攻撃も抵抗の一手段だからな。暴力の鬼、貪欲の鬼、燃えたぎる情欲の鬼にもお目にかかった。―だが、誓ってもいいが、そいつらは、すべて、頑強で、強壮で、紅潮した目を持った鬼どもだった。そうした奴らが、まわりの男たち―いいかね、いっぱしの男たちをどつき回し、駆り立てていたのだ。しかし、ここは違う。丘の中腹に立って、僕はこれから先を見通した。この土地の、目も眩む烈しい太陽の下で、強欲無慈悲な愚行に耽溺する、だらしのない、しょぼくれ目の、見かけ倒しの悪魔と、僕はやがて知り合うことになるだろうということをね。そいつがいかに陰険狡猾な奴であるかを、それから数か月後、ここからさらに1000マイルも入った奥地で見出すことになったのだ。僕は、何か警告でも受けたかのように、ぞっとして、しばらく立ち尽くしていた。結局、僕はさきほど目をつけていた森の方に向って、丘を斜めによぎって降りて行った。

20211228 年末休暇期間のブログ記事作成の方向性について・・

 昨日の記事投稿により、総投稿記事数が1676に到達しました。一方、今年はあと本日(28日)を含めて4日ですので、大晦日まで毎日1記事づつ投稿することにより、どうにか年内に1680記事まで到達する目途が立ちます。さらに、そうしますと、来年1月の間(31日)に新規で20記事投稿することにより、1月中での1700記事到達への目途が立ちます。

とはいえ、そのためには、新たな記事作成が必要であることから、この年末の休暇期間は、出来るだけ多めに記事を作成、投稿しておこうと考えるにいたりました。しかし「多めの記事を・・」とコトバで述べてみても、オリジナルの記事は、現在の私にとっては、そこまで簡単に出来るものでもなく、毎日1記事程度が無理のないところであると云えます。

そこで、今後の年末休暇期間は、オリジナルの記事にくわえ、書籍からの引用による記事も作成し、合わせて、1日2記事の投稿を目指すことにします。

そうしますと、年内に1682~83記事まで達することが出来、そして、来年1月での1700記事到達も、以前と比べ、さらに現実味を帯びてくると云えます。

さて、そうした状況ではありますが、これまで昨年から断続的に作成してきました【架空の話】はおかげさまで「其の79」まで至り、次の投稿により80記事に到達します。この概ね自身の記憶に基づく物語が(どうにか)この程度まで続いていることは、実は作成者としても多少の驚きの感があり、また、そこから、この程度まで書くことが出来たのであれば、あるいは【其の100】あたりまでも続けることが出来るように思われてきます。

ともあれ、この【架空の話】は、自身の院生時代を元ネタとしたものであることから、記憶が甦れば、100記事とは云わず、さらに続けて作成することも可能であると云えますが、この「記憶が甦らす」ことが、思いのほかに厄介と云え、PC前に座っていれば都合よく記憶が甦るといったものでもなく、むしろ、それは街中を歩いている時に何かの拍子に不図想起されるといった性質があり、また、その記憶をもとに帰宅後【架空の話】を作成しようとしますと不思議なことに、その記憶がボンヤリと不鮮明になっていたりすることが多いのです・・。それ故、そのボンヤリとした記憶に文字でカタチを与えようと試みますと、実際の記憶とは多少異なる【架空の話】になるのですが、しかし、ここで大事であることは、たとえ【架空の話】の作成ではなっても、その基軸となるものは実際の記憶であることであり、これがなければ、モノガタリをモノガタリならしめている、ある種の「凝集性」がなくなってしまうのではないかと考えるのです。

しかしながら、この【架空の話】のもととなっている2009~2013の記憶は、決して快いものばかりでなく、いや、実際には辛いものの方が多かったのではないかと思われます。それは、これまでに何度か当ブログにて述べましたが、兄の死や師匠の退職といった、それまでの人生の中でも特筆すべき辛い出来事が集中して生じ、その後も、生きるために右往左往しつつ色々と活動はしながらも、それまで自分の中にあった何かが徐々に衰弱していっているような感じがあると云えます・・。

しかしまた、たとえ心が衰弱しつつあったとしても、そうしたことをブログ記事として文章化することにより、絶望を遠ざけ、未来へと希望をつないでいるとも云え、その意味において、当ブログは兄の死や師匠の退職があったことから(どうにか)続けることが出来ていると云えます・・。また反語的に、それらの出来事がなければ、わざわざブログを作成、継続することに意味など見出すことはなかったものと思われます・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


一般社団法人大学支援機構



~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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