2020年5月7日木曜日

20200507 古くからの人文社会科学系の持つ意味合い・価値について

今回の投稿記事により、総投稿記事数が1295に至り、また、当面の目標としていた1300記事まで残り5記事となります。今回のGW期間中に投稿した「架空の話」数記事は、以前にも書きましたが、GWであるにも関わらず新型コロナウィルス感染症対策のための外出自粛によって外に出ることが出来ないことから、気を紛らす目的もあり書いたものでしたが、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、本日の投稿記事についても「架空の話」の続きを書こうと考えていましたが、こうした、かねてよりの独白形式の記事を間に入れた方が、ブログ全体としてはハナシが広がるのではないかと考え、今回の投稿記事は、そのようにすることにしました。

さて、以前にも書きましたが、ここ1カ月は、集中して新たな書籍を読むことが出来ず、さらにまた、気軽に書店に行くことも出来なかったため、自身としてはかなり悶々として、仕方なく既読書籍をあらためて読んだりして過ごしてきましたが、やはり、何かしら新たな面白い書籍を能動的に見つけるという行為が出来ないでいると、GWと外出自粛によって読書に充てる時間は増えたものの、徒に悶々とする時間が増え、かえって困る事態となってしまいます・・(苦笑)。その中でやはり大きいのは、現在の、新たな書籍を読むことが困難であると云う自身の精神状態の方であり、これを回復することが出来れば、外出自粛などは特に気に病む必要もなくなるのかもしれません・・。

しかし他方で、良い兆候もあり、こちらに戻ってきた当初と比べ、現在は身を入れて読書が出来るようになってきた感じもあります。そして、この感じがさらに大きくなっていけば、以前の調子、あるいはそれ以上まで持って行くことも出来るのではないかと思われます。ともあれ、この精神状態なるものを司っている要因が何であるのかが分かれば、もっと自分自身を御することも容易に出来るようになるのではないかと思われます。

また、そうしたことを考えてみますと、ブログ記事の作成に関しては、開始当初の2015年と比較しますと、多少は自身の精神状態を(いくら容易に)御することが出来るようになったのではないかとも思われます。あるいは異言しますと、この継続期間の間に少しずつ、自身の中に「ブログ記事を作成する自分」というものが成長していったようにも思われるということになります。もちろん、それは1日や1週間、いや1カ月程度で、目に見えて変化するようなものではなく、それ以上の一定期間、人によって異なるのでしょうが、継続することにより、何と言いますか、ブログであれ、文章を作成する精神の状態に安定して自身の精神を置き易くなるのではないかと思われるのです。また、小林秀雄がたしか「間(ま)に乗らないと、どんなプロでも決して文章は書けるものではない。」と、どこかで述べていましたが、それと深い関係があるのではないかと私は考えています。さらに小林秀雄が出たついでに書きますと、歴史など、古くからの人文社会科学系学問などについても、そうした経験の蓄積が必要であると述べていましたが、おそらく、こうした認識、そして、そこに依拠する見識といったものが、我が国を含め、全世界的に著しく劣化・衰退しているのが現代であると考えます。また、こうしたことは、政治社会学的な視点に立ちますと、昨今の世界規模でのポピュリズムの隆盛とも深い関係があると思われます。しかしながら同時に、こうした長い時間の蓄積による、ある精神状態の発見や、そこから考え得る考えや意見といったものは、それらが喫緊の生死に関わるものでない限り、通常の会話の延長として、身を入れて聞くことは困難であるのが「普通」であると考えます。そして、それが人の喫緊・直接的な生死に深く関与せざるを得ない医師をはじめとする医療専門職と、人文社会科学系を専門とする方々との社会における評価の根源的な差異になっていると思われるのです。さらに、ポピュリズムが広く根付いた社会において、人文社会科学系学問とは、自らその重要性を訴えても、あまり効果はなく、むしろ憫笑を誘うのがオチであり、極言しますと、世間一般にて優れていると評価されている方々が「こうしたもの(人文社会科学系)は、長い目で見ると医療と同様、人々の命を救うか、その興廃を決めるとても重要なものなのだ。」と訴え続けない限りは、いや、訴え続けても劣化・衰退は、そう簡単には止まらないのではないかと思われます。そしてまた、ニーチェやオルテガや三島由紀夫が主張したかったことの一つは、そういったことであったのではないかと私は思います。くわえて、こうしたことを書いていますと、どうしても洗礼者ヨハネのことを思い出してしまうのは悲観的な傾向なのでしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本福祉大学




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20200506 架空の話・其の8

【架空の話】
「また、去る12月に指導教員のご自宅で開催されたクリスマスパーティーの際、ご自宅前に目印として帝政ドイツの軍艦旗が掲げられていたが、あれは冗談であったのか真面目であったのか未だに分からない・・。


さて、ハナシは横道に外れてしまったが、以上のような経緯を経て、どうにか出願書類一式を作成して無事に期限日までに郵送することが出来た。その後、1週間ほどしてから受験票が郵送されてきたが、それを開封し、受験票に貼りつけられた自分の顔写真を見た時「ああ、もう戻れないな・・。」と少し思った。そういえば、Bの就職活動の方は、その後の電話で二次面接にまで進んだことが分かったため「もしも、私がK県に行くことになり、そしてBもK銀行に就職出来たら、また気軽に会うことが出来るかもしれないね。」と半分冗談で言い合ったが、その後の展開は、もう少し奇妙な方向へ進んだと云える・・。

ともあれ、院の研究での調べものやアルバイトの間に先日、編入試験の模擬面接してもらった先生とCさんから、参考書や英論文も頂いて勉強したが、多少読み慣れてくると、少し前の人文社会科学系での文章と比べると、大分読み易い、いや、理解し易い文章であるように感じられた。おそらく、それぞれの用いる文章の背景にある、より大きな考え・思想というものが、医歯薬学系と人文社会科学系では違うのだろうと感じられたが、その具体的な内容については、またあらためて書いていきたいと思う。

その後、さらに編入試験は近づき、LCCで往復の航空券、宿泊ホテルの予約をしたが、どうも落ち着かず、アルバイトの最中も始終ソワソワしていた記憶がある。そして、kに向けて出立する2日前、先生の医院を訪ね、Cさん共々、これまでの御礼と報告をした。時刻は夕刻過ぎであったが、先生およびCさんはまだ診療中であったことから、診療の邪魔にないように、わざわざ受付け窓口まで来てくれたCさんにその旨を手短に伝え、早々に離れようとすると、受付けの向こうでCさんが両拳を握って「頑張るポーズ」と云うのだろうか?をしてくれたため、こちらは掌を広げた右手を挙げ、いつもより深めにお辞儀をして医院から去った。こうした状況は正直なところ現在でも苦手であるのだが、好き嫌いで云うと嫌いではないと云える。我がことながら、心というものはイマイチよく分からない・・。

予約した航空券は、どのような事情によるものか国内便であるにも関わらず、羽田でなく成田空港発であったことから、事前にインターネットで搭乗手続き等を行う場所なども調べ、自分なりに入念に準備をしていた。しかし、何れにしても、かなり久しぶりの飛行機での移動であったことから、多少戸惑い、そしてまた高揚していたのと思われる・・。それは、小学校時代の遠足前日の感覚と、あまり違うものではなかったと、現在になって確信出来ると云えよう・・。

そして、いよいよ出立前日になってみると、さらに落着きがなくなり、こうした姿をあまり他者に見られたくないため、また、ちょっとした調べものもあったことから、教員と院生しか入れない大学図書館の書庫に行き、目的とする記述がありそうな書籍をいくつか目星をつけて読んでみたが、それらの記述は読めることは読めるものの、頭の中には一向に入って来ず、スルスルとすり抜けていくような感じであった。それでも、読み続けていれば何か分かってくるだろうと、さらに読んでいると、後ろの方から「**君、何読んでいるのかね?」と声を掛けられたため、振り返ってみると、青いボタンダウンシャツを腕まくりをした指導教員が片手に本を二冊持って立っていた。そこで「ええ、たいしたことではないのですが、コンラッドの「闇の奥」冒頭部で、マーロウが仕事の面接に向かう都市がパリであるかブリュッセルであるか分からず、また、原書を読んでみても、明確には分からなかったので、他の研究者の意見を読んでみようと思い、この本を読んでいます。」と云って、さきほどまで読んでいた書籍を見せた。すると指導教員は本の表紙を少し見て「なるほど、たしかにあの原書には明確に都市名は書いてませんでしたね・・。たしか「白く塗りたる墓」でしたっけ、そんな表現のところですよね。と返事をした。私は「ええ、そうです。まさに、そこの解釈についての他の参照できそうな著作をいくつかあたっていたところですが、しかし、今日はあまり集中できませんね・・。」と打ち明け気味に言ったところ、少し間をおいて「・・ああ、もうすぐ編入試験でしたっけ?」といった反応が来た。そこで「ええ、明日出発です。」と答えると「・・それじゃあ、今日はもう切り上げて明日の準備をして、早めに寝た方が良いですよ。」と言われ、さらに「私の方も少し調べものがあるので、ここで失礼しますよ。それじゃあ道中気を付けて試験頑張ってください。」と結んで去っていった。あとに残された私の方もそのコトバに影響されてか「何も今調べることはないか・・。」と思い、荷物をまとめて院生研究室に戻り、リュックを取って帰宅した。

この日、先生の医院は休診日であったから、近くを通らずにそのまま帰宅し、背広やアイロンをかけたワイシャツを普段、父が出張時に使っているビジネスバッグに詰め、その他諸々の必要書類を再度確認してから夕食を早めに摂り、少し暑かったためシャワーだけを浴びてから、普段より早めに床に就いた。しかし、さきにも書いたような状況からか、なかなか寝付かなかったが、それでも大体深夜12時頃には寝入っていたように思う。

翌朝は、朝6時前には起床し、予め準備してあった荷物を持ち、一人で急いで朝食を摂り、自宅を出たのが6時半過ぎであった。予約した飛行機は9時のフライトであり、余裕を持って8時には空港に着きたいと思っていたが、これはどうにかなった。また、成田からK空港までは約2時間のフライトであったが、元来、私は飛行機で移動するということ自体、片手で数える程しか経験しておらず、今回のフライトでは途中で耳が痛くなり、飛行機がK空港に無事着陸した頃には、若干フラフラし「体調が悪い」と言っても良い状態になっていた・・。

さて、いざk空港に降り立ってみると、その土地の大気というのだろうか、そうしたものが五感に迫ってきて、はじめて、違う地域に来たという実感を与えてくれた。ともあれ、このK県で私が初めに得たそうした感覚は、これまでの経緯からすると、若干ベタな表現になってしまうが「何だか懐かしい」といったものであった。」

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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