2017年6月27日火曜日

20170627 読んでいる書籍から考えさせられた我が国の特徴・性質について・・

最近の首都圏は雨も降りますが同時に徐々に気温も蒸し暑くなってきています・・。

そのことから、確実に季節は夏に向かいつつあることを感じますが、未だあまり活性は上がってきません・・(苦笑)。

その一方でブログ記事の閲覧者数は、先月に比べかなり増加しておりますので、その背後には一体何が起きているのかと考えさせられます・・(笑)。

とはいうものの、そうしたことを考えていますと、肝心のブログ記事作成が上手く出来なくなる傾向があるように思われますので、まあ、これまで通り、あまり気負うことなく、緊張し過ぎることなく、記事を作成出来ればと思います・・。

さて、先日購入した古代日本の外交(主に軍事活動)に関しての書籍も、主に電車内での読書にて終盤に近づきましたが、不図『こうした書籍が現在刊行されていることには、一体どのような意味があるのであろうか・・?』と考えさせられます。

また、それと同時に古代から現代に至るまで、あまり変わることのない、我々日本人の対外的な特徴、性質らしきものについても考えさせられます・・【おそらく筆者の狙いの一つはそこにあったのではないだろうか・・?】

それは端的に、おそらく自身を含め『あまり歴史を参考にしない・出来ない』といったことであり、特に『白村江の戦い』あるいは『刀伊の入寇』あたりの項を読んでみますと、時折背筋に寒いものを感じ、眉間にしわが寄ってきます・・。

そのように考えてみますと、我が国の近代初期(日清・日露の役くらいまで)が我が国の歴史の中において特異な時代であり、それは異言すると『西欧文化の吸収を積極的に努めていた時期』であると云えます・・。

そして、それが一段落し土着化するに及んで、おかしな方向に自己愛的となり、そこから自家中毒らしき状態に陥り、排外的傾向を強めていくといった図式が成り立つのではないかと思われます・・。

また、こうした図式とは、さまざまな見方があるのでしょうが、戦後から現在に至るまでの我が国の歴史においてもまた、類似した要素が少なからず見受けられるのではないかと考えます・・。

とはいえ、私自身は思想的に右でも左でもないつもりですが、ただ、我が国の国内にて生じているさまざなな問題【具体的には書きません】の原因ではないかと思われる性質【これも具体的には書きません】を対外的な問題に当て嵌めて考えてみれば、昨今多く見受けられる自己弁護的な論法に徹している言説とは、少なくとも恥ずかしくなるのではないかとも思われるのです・・(苦笑)。

そして、そう考え得ないことが、おそらく、さきに挙げたような我が国の嬉しくない部分の歴史をあまり認識していない証左ではないかと考えるのです・・。

また、自身の感覚からしますと、そうしたことは、我が国以外の研究者を含む、そうしたこと(我が国の歴史・文化)に興味を持つ方々の間では先刻承知であるのではないかと感じさせられます・・。

こうしたことを日本人である自身が書くのは、我が国が嫌いであるからではなくて、むしろ、その逆であるからということは理解して頂きたいところです・・(苦笑)。

そしてまた、そうしたところに一国の文化水準とはあらわれるのではないかとも思われます・・。

我が国の国民性にて一般的に云われる『おとなしさ』とは、思慮深さ、寛容さによるよりも、我慢によるものが大きいのではないでしょうか・・?

それらは、表面上は同じであり、また美点でもあるのかもしれませんが、その中身は大きく異なると考えます・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。

昨2016年に
熊本、山陰東部、福島周辺において生じた一連の地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念します。」