2020年4月4日土曜日

20200404 「物忌み」や「精進潔斎」の意味?【11年ぶりのラーメン二郎から】

つい先日、ほぼ11年ぶりにラーメン二郎を食べました。それ以前で最後にラーメン二郎を食べたのは鹿児島に移り住む直前の2009年春であり、また、それまでの首都圏在住期間(2007~2009)は、ほぼ毎週、ラーメン二郎目黒店に通っていました。

つまり、2009年からラーメン二郎を食べなかった理由は、当初は、鹿児島在住によって食べることが出来なかったからであると云えますが、その後の首都圏在住期間においても何故だか食べることなく過ごしました・・。

このことをヒトに説明する際は「2009年に兄が亡くなってからラーメン二郎を禁じた」と云っていました。たしかに兄の死は自身にとって大きな出来事であり今なおその死を完全には理解できていないと云えます・・。加えて翌2010年には鹿児島にて指導教員が退職されることになり、この時はさすがに「人生詰んだ・・。」と思い、原付の運転時に、特に灰や埃が舞っているわけでもないのに、わけもなく涙が出てくるような日が続きました・・(苦笑)。この時期につきましては、これまでに何度かブログ記事として書きましたが、こうした出来事によるショックで内面に何らかの「変化」が生じたのではないかと思われます・・。

とはいうものの、これに対して「変化」というコトバは必ずしも精確ではないように思われ、さきのラーメン二郎に関しては「そうした好みを抑えるようになった」といった表現の方が、より適切であると思われます。人は信じたくないような悪い出来事が続きますと、非合理的ではあるのでしょうが、ある種の反省もしくは内向防御の姿勢として、それまでの好みや嗜好を意図的に変化させるといった性質があるように思われ、また、これもその一つであり、くわえて、我が国古来の風習である「物忌み」や「精進潔斎」などにも、そうしたメカニズムが深く関与しているのではないかとも思われます。(遠く、3世紀の我が国の様子を描いた魏志倭人伝の「持衰」にも、こうしたメカニズムがあり、あるいは、我が国における(マツリゴトを司る)神官全般の淵源には、そのようなものがあるのかもしれません・・。)

ともあれ、その様な自身としては、いくらか重い背景を持ちつつ、11年ぶりに再び食べたラーメン二郎目黒店の味は格別であり、それは言語を以て的確に表現することは困難であると云へます・・(笑)。そしてまた、こうした言語表現が困難なほどの、大きな情動・感覚への衝撃は、思いのほかに重要であり、時には、そうした経験を持つように努めないと、我々の感情や感覚といったものは、徐々に酸化し、サビで覆われ、本来持つ表面の光沢によって外界を映し、それに対して反応することが困難になるといった性質があるのではないかとも思われます。

また、その意味で、逆説的に、好みや嗜好を意図的に変化させることにも意味があるのかもしれません。さらに、あまり実用的・実利的とは云い難い、映画や音楽や劇や絵画そして文学といった芸術全般の持つ大きな意味は、こうした作用を人の精神に生じさせるといったところにあるのではないかと思われます。

未だ現在、我が国を含め、世界中で困難な状況が続いていますが、この外出を控える期間において、「物忌み」や「精進潔斎」などのように、これまでの好みや嗜好を抑え、そして変えてみるのもまた、一つの面白い自己に対する実験になるのではないかとも思われますが、さて、如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。




日本福祉大学

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