日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」
pp.179‐181より抜粋
ISBN-10 : 482224556X
ISBN-13 : 978-4822245566
現在の医療不信のベースにあるのは医療と患者の間のコミュニケーション不全にある、と申し上げました。そこから考えると、改革すべき重要な病院の機能があります。それは病院の広報システムです。
現在、日本の病院の広報システムもあまりにお粗末です。医療事故がおき、テレビで記者会見が報道されますが、病院側は事実を隠蔽しようとするクセが抜けず、切羽詰まると今度は土下座。広報戦略としては、最悪のやり方をどこの病院もとっている、としかいえません。どんな情報をどう開示するのか、どうすれば病院のブランドを落とさず、患者や世間の信頼をかちとれるのか、それを考え、情報発信を実行できる広報専門の担当者が必要です。もちろん、最終的にはこうした広報戦略を束ねるのは病院の経営者である院長や理事長です。
企業の場合、広報は社長直属になっており、先進的な企業の社長は自ら広報マンであることを自覚しています。それと同じような病院経営者の自覚とシステム作りが病院においても急務です。
アメリカでは、医療事故があると、すぐに弁護士が飛んできます。夜中であろうが、経営者や関係スタッフが集まり、それぞれがやるべき仕事を分担します。取材を受ける人間を決めます。「対外的にどこまで話すべきか」「どういう観点で話すか」も議論します。同時に、院内委員会を調べ、事故について調査し、報告書をすぐにまとめます。それをもとに外部評価委員を集めて会議を開き、質問を受けます。
東海大学で医療事故が起きたとき、私はアメリカの大学病院で学んだ広報体制をとってみました。でもこのような方法は日本の病院のあいだになかなか広まっていません。
人の失敗から学ぶというのはとても大切です。ゆえに医療の安全についての講座や講義を医者や大学医学部の学生たちに対して行う必要があります。医療というのは100%確実ということがありません。だから「事故はある」という前提で、ふだんから備えておくべきなのです。病院でおきた過去のヒヤリハット事例を集めるとか、専門家を読んで話を聞く。無論、普段はもちろんいざというときの患者さんの家族との対応も欠かせません。患者さんの信頼を得るためには、何かあったときではなく、ふだんから情報発信をすることが大切です。
医療事故は、いつだって起こりえる。ゼロにする努力を怠ってはいけませんが、ゼロになることはありえない、と考えるべきです。そういう教育をしながら、制度的なミスがどこにあるかという話を考え、分析し、改善し、透明性を保つ、広報する。病院側が意識と体制を変え、こうした対応がとれるようになれば、医療と社会の関係も改善し、医療不信を解消する方向に持っていくことは可能なはずです。
2026年4月15日水曜日
20260414 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」 pp.4-6より抜粋
ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」
pp.4-6より抜粋
ISBN-10 : 4478116393
ISBN-13 : 978-4478116395
政治は国民大衆の鏡であるという。敗戦の廃墟の中から立ち上がり、未曾有の経済復興を遂げ、わずか30年足らずで世界のトップクラスの経済大国になった国民のエネルギーとは、経済万能主義、金権絶対主義のエネルギーであった。当然のこととしてエントロピーを増し、それが社会構造の末端にまで及んだ。そして日本を破局に向けて邁進させるようなメカニズムが生れたのである。問題の政界を取り巻く腐敗も、官僚と財界と自民党のどろどろした癒着も、さらに視点をかえていえば、公害によってすっかり変色した自然も、アラブの資源ナショナリズムによって起こった石油危機も、現在の社会構造とそれによって生じるメカニズムの「ひこばえ」である。一本の糸をたぐっていけば、行き着くところは同じ根である。
では、一体、このメカニズムとは何か、この解明が本書の主要なテーマであるが、要約して結論をいえば次のようになる。すなわち、高度経済成長にもとづく「最も空想的な人間の夢想すら上回る」社会変動にもかかわらず、日本人の行動様式は、構造的には戦前におけるそれとは変わっていない。つまり、structurally isomorohic である、ということだ。そのためにこれらの間の矛盾から生じる構造的アノミー(アノミーは「無規範」もしくは「無規制」と訳される。詳しくは後出第五章参照)によってこのような致命的なメカニズムが生じると考えられる。
さらにここで十分に認識しておくべきことは、社会的現実を科学的に分析し、この分析にもとづいてこれを合目的的に制御するという社会科学的な態度と能力とが日本人には決定的に欠如していることである。この「精神」の欠如は、現在にだけ特有のものではない。戦前も戦後も、あるいはいかなる社会変動を経験しても全く変わっていないのである。このような態度を続ける限り、いかなる危機も救い難いものであるといわざるをえない。この点を克服してこそ、政治的、経済的、社会的危機は外部のものではなく内部のものとなり、所与のものとして位置づけられる性質のものではなく、われわれの克服可能な課題となる。この課題を制御対象とみなし、社会科学的に分析し、有効な制御を施すとき、いかなる危機もその超克の下に解決されるであろう。「危機」とは、有機状態のするどい亀裂である。それは極限にまで狂暴性を発揮する恐怖の状態、少なくともそこまでにいたる予兆である。原始時代の人間が天災にうろたえたように、われわれがいま、この「危機」の野放し状態を許すとしたら、われわれ日本人は滅亡するしかあるまい。だが、われわれは、実はこの恐ろしさに少しも気づいていない。あの第二次世界大戦においてわれわれを襲ったそれと同じタイプの大破局が再び襲ってくる可能性がないと、だれが断言できるだろう。世の中が一見太平安泰、物資的多さのムードに満ちているとき、このことに気づくのは容易ではない。精神の弛緩は、満たされたままの現状を所与のごとき感で蔽い続ける。
ISBN-10 : 4478116393
ISBN-13 : 978-4478116395
政治は国民大衆の鏡であるという。敗戦の廃墟の中から立ち上がり、未曾有の経済復興を遂げ、わずか30年足らずで世界のトップクラスの経済大国になった国民のエネルギーとは、経済万能主義、金権絶対主義のエネルギーであった。当然のこととしてエントロピーを増し、それが社会構造の末端にまで及んだ。そして日本を破局に向けて邁進させるようなメカニズムが生れたのである。問題の政界を取り巻く腐敗も、官僚と財界と自民党のどろどろした癒着も、さらに視点をかえていえば、公害によってすっかり変色した自然も、アラブの資源ナショナリズムによって起こった石油危機も、現在の社会構造とそれによって生じるメカニズムの「ひこばえ」である。一本の糸をたぐっていけば、行き着くところは同じ根である。
では、一体、このメカニズムとは何か、この解明が本書の主要なテーマであるが、要約して結論をいえば次のようになる。すなわち、高度経済成長にもとづく「最も空想的な人間の夢想すら上回る」社会変動にもかかわらず、日本人の行動様式は、構造的には戦前におけるそれとは変わっていない。つまり、structurally isomorohic である、ということだ。そのためにこれらの間の矛盾から生じる構造的アノミー(アノミーは「無規範」もしくは「無規制」と訳される。詳しくは後出第五章参照)によってこのような致命的なメカニズムが生じると考えられる。
さらにここで十分に認識しておくべきことは、社会的現実を科学的に分析し、この分析にもとづいてこれを合目的的に制御するという社会科学的な態度と能力とが日本人には決定的に欠如していることである。この「精神」の欠如は、現在にだけ特有のものではない。戦前も戦後も、あるいはいかなる社会変動を経験しても全く変わっていないのである。このような態度を続ける限り、いかなる危機も救い難いものであるといわざるをえない。この点を克服してこそ、政治的、経済的、社会的危機は外部のものではなく内部のものとなり、所与のものとして位置づけられる性質のものではなく、われわれの克服可能な課題となる。この課題を制御対象とみなし、社会科学的に分析し、有効な制御を施すとき、いかなる危機もその超克の下に解決されるであろう。「危機」とは、有機状態のするどい亀裂である。それは極限にまで狂暴性を発揮する恐怖の状態、少なくともそこまでにいたる予兆である。原始時代の人間が天災にうろたえたように、われわれがいま、この「危機」の野放し状態を許すとしたら、われわれ日本人は滅亡するしかあるまい。だが、われわれは、実はこの恐ろしさに少しも気づいていない。あの第二次世界大戦においてわれわれを襲ったそれと同じタイプの大破局が再び襲ってくる可能性がないと、だれが断言できるだろう。世の中が一見太平安泰、物資的多さのムードに満ちているとき、このことに気づくのは容易ではない。精神の弛緩は、満たされたままの現状を所与のごとき感で蔽い続ける。
登録:
コメント (Atom)