しかしながら、そもそも何故、これらに滋養強壮効果があるのかと考えてみますと、そこには、薬学や栄養学といった、いわゆる理系学問的な知見を超えた、自然界における摂理や、東アジア地域に連綿と受け継がれてきた民俗文化の古層に通底する、ある種の観念のようなものが見えて来るのではないかと思われるのです。
まず、ローヤルゼリーについて考えてみますと、一つの巣を形成する蜜蜂の社会において、すべてのメスの幼虫は、遺伝子的には同一であると云えます。しかしながら、その中で選ばれた一匹のメスの幼虫だけが、多くの「働き蜂」からローヤルゼリーを捧げられ、やがて女王蜂となるのです。このローヤルゼリーとは、働き蜂が花粉や蜜を摂取し、代謝・再構成したうえで、頭部にある腺から分泌する、女王蜂となるための特別な物質であると云えます。そして、これを摂取し続けたメスの幼虫だけが、通常は数週間で終わるはずの寿命を劇的に延伸させ、毎日数千個の卵を産み続ける「女王蜂」へと変容を遂げるのです。
この変容とは『一つの生命体の集団が、その存続をはかる中で、働き蜂たちが自らの生命を削り、分泌されたエネルギーの結晶とも云えるローヤルゼリーにより為される』とも云えるのではないでしょうか。
そしてまた、これと類似した様相は、植物界においても認められます。朝鮮人参は、その成育過程において、土壌中の養分を、収奪と表現しても差し支えないほど徹底的に吸収し蓄積します。また朝鮮人参は、山深い日陰といった、一般的には植物の生育にとって好ましくないとされる過酷な環境において、十数年という長い歳月をかけて、きわめて緩慢に成長します。そして、その過程において厳しい環境ストレスから守るための「防御成分」が、次第に蓄積・濃縮されていくのだと云えます。
ここで、両者に共通して重要であるのは、こうした人体にとって薬効となる成分とは、「最適化された快適な環境」においては、むしろ生じ難いという点です。ローヤルゼリーが、群れの存続や維持といった強い「緊張」の中で分泌されるのと同様に、朝鮮人参も、仮に栽培環境を最適化すれば、収量そのものは増加するのかもしれませんが、その薬効は著しく減弱してしまう可能性が高いと云えます。
そうしたことから、「単に生存すること」と、「ある特有の力(薬効)を宿すこと」とは、しばしば反比例の関係にあるのではないか、とも思われるのです。これを換言しますと、集団存続の危機、あるいは環境との緊張関係といった深刻な摩擦の中においてこそ、こうした「特有の凝縮された力」は生じるのではないでしょうか。
そしてまた、この「環境との緊張関係が特有の力を生む」という構造は、我々の精神活動、ことに才能や創造性の成立過程にも対応するのではないかと思われます。
我々の能力には、社会生活を円滑に営むための「一次的な能力」と、環境との摩擦や違和感の中から成立する「二次的な能力」が存在すると云えます。読み書きや計算、社会適応力などが前者に属するとすれば、深い洞察や表現力、創造性といったものは、後者に位置づけられるでしょう。
そして、これは私見に過ぎませんが、後者に属する能力とは、多くの場合、整備された快適な環境において十分に育まれることは少なく、むしろ、容易には適応し難い困難な状況や、長い試行錯誤を強いられる時間の中で、自らの精神が押し潰されぬよう抵抗しつつ、内側に「意味」を蓄積していくような過程を経て、成立することが多いのではないでしょうか。
こうした様相を踏まえて芸術について考えてみますと、芸術が扱うものとは、必ずしも明晰な理論ではなく、我々の内部に保存された「生の緊張の様相」そのものであると考えられます。それは、葛藤や執念といった混沌とした要素であり、それらがさまざまな形式の芸術作品として顕現することで、作成者である個人を超え、普遍的な力として他者に作用するのではないでしょうか。その意味で、芸術作品もまた、ローヤルゼリーや朝鮮人参と同様、周囲のさまざまな摩擦を引き受けた時にこそ、その真の力を獲得し、発揮するのだと思われるのです。
あるいは、この「快適ではなく、摩擦や緊張のある環境が力を凝縮させる」という考え方は、我が国の西日本の一部地域において見られた犬神信仰の背景とも、通底する要素を有しているのではないかとも考えさせられます。犬神信仰とは、牡犬を首だけ地上に出した状態で地中に埋め、何も与えず、極限の飢えという苛烈な緊張状態を人為的に作り出し、その呪力を最大化できると信じられていた呪術の様式です。これは、(犬の)生命を快適さから強制的に引き剥がし、限界にまで追い込むことで、超常的な霊力の獲得を試みるものであったと考えられます。
また、こうした呪術は、大陸由来の「蠱毒」に見られるような、閉鎖空間における生存競争によって負のエネルギーを濃縮させる観念と、南方から黒潮に乗って伝来したとされる精霊信仰とが、我が国の文化風土の中で融合した結果である可能性も指摘されています。おそらく古人は、過酷な環境こそが真に「効く」力を生成させる、という、現代の感覚からすれば残酷で峻厳な認識を、自然環境の観察を通じて身体感覚として獲得しており、そこから先述の犬神信仰のような観念も伝えられていったのではないかと思われます。
そしてまた、このような文脈において「伝統」とは、単に保存された情報の集積ではありません。それは、過去から現在、そして未来へと受け渡されていく「緊張の記憶」そのものであるのではないでしょうか。その意味で、伝統芸能や職人の技術が、厳しい規律や「型」という不自由さを要請するのは、そうした摩擦の生じる環境においてのみ、凝縮された力が生成されることを、経験的に知っていたからであるようにも思われます。
最適化され、容易に獲得された知識は、往々にして早々と消費され、忘れ去られてしまいます。しかし、緊張を伴いながら継承された知識や知恵は、長く、深く、人の心に作用し続けるように思われますが、さて、実際のところは、どうなのでしょうか。
そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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