本日の首都圏は幾分風が強く、また気温も特に日が沈んだ後は寒く感じました。
さて、昨日投稿したブログ記事の主題であった「我が国に移入された異文化由来の事物が、我が国にて定着する過程において、大きくその原型から変質していく」ということは、宗教といった極めて観念的なものであるほど、それが明瞭に認識されるのかもしれません・・。
そして、そのように考えてみますと16世紀に我が国にもたらされたキリスト教とは、一時的にその信徒数が数十万人に達したとのことですが、それが幾つかに渡る覇権者達による弾圧、迫害により、幾度かの叛乱を経て17世紀前半あたりまでには、ほぼいなくなっていたとのことです・・。
また、この時代を描いた小説として遠藤周作著「沈黙」が挙げられますが、この小説の最終部に近いところで、棄教したかつての神父の独白する内容が大変興味深く、また、それは以前にブログ記事にて記しましたが、その内容とは「日本にはキリスト教であ何であれ、それが齎されたオリジナルのカタチにて受容、定着することはない。そうしたもの全てをこの国の土地、空気、精神風土が溶かしていき、何か全く別のものにしてしまうのだ・・。」というものです。
これはおそらく我が国だけに当て嵌まるような現象ではないと考えますが、一方、我が国における、さきに述べたような特質、傾向とは、おそらく相対的に見てかなり強いのではないかと思われます・・。
そして、こうした特質、傾向を有していたが故に明治維新という突貫工事による近代化も、どうにか行うことが出来たのではないかと思います・・(これはたしかに一つの優秀さではあると思いますが・・)。
しかし、突貫工事とは、あくまでも突貫工事であり、歴史規模での経時的、自然発生的な要素などをあまり考慮する余裕?がなかったのではないかとも思われのです・・。
とはいえ、こうしたことは明治期から既に認識されており、夏目漱石の思想の主要な核の一つとして、さきに述べたようなことを基調とした諦念に近いものがあったのではないかと考えます・・。
それに加え、その弟子である芥川龍之介が徐徐に社会全般の軍事色が強くなりつつあり、また四年後に満州事変を控えた昭和二年に、かねてより抱いていた厭世的な思想により、自らの命を絶ったという夏目漱石から芥川龍之介に至るまでの一連の系譜とは、多少、単純化過剰の気味はありますが、明治以降の我が国における一つの文学および社会思想の系譜とも見ることが出来るのではないでしょうか・・?
とはいえ、こうした明治以降のどちらかという陰鬱な思想の系譜が、多くの犠牲者を出した太平洋戦争の敗戦によってリセットされることはないものと考えます・・。
それは現在もなお、我々が忘れようと、嗤おうと、いつまでも我々の社会の背後に存在しているのではないかと思われるのです・・それを明晰に認識するまで・・。
そして、ここまで記していて、不図思い起こしたのは偶然にも夏目漱石の短編集「夢十夜」の「第三夜」です。
興味のある方は是非お読みください。
あるいは朗読の動画もあるようです・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大地震により被災された地域、昨今の山陰東部の大地震により同じく被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興に加え、先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧を祈念しております。