これは当ブログに比較的多い、何かについて考え・意見を述べたような記事においては、特にその傾向が強く、また同時に、それは当ブログのみならず、刊行されている書籍大半に対しても当て嵌まるのと考えます。
そうしますと「では、どのような記事が新たな指摘・意見を述べている可能性があるのか?」と思うところであり、それに対して、これまでブログ記事を作成していて思うことは「これまでに何度かあった、パッと閃くように、ある意見が脳裏に現れ、それを表現、文章化することが出来たと思われる記事は、いくらか、そうした可能性があるのではないか。」といった感覚的な返答になります。
このパッと閃くように考え・意見が脳裏に現れることは意識による操作、制御可能なものではなく、まさしく「所構わず」であり、また同時に、人によってもその現れ方が異なると思われることから、普遍的な(万人に共通する)意味での効率化は困難であるように思われます。
とはいえ、そのさらに基層にあるものに関しては、ある程度共通して「意識が何かに集中、向かっている時」であると思われ、その中で意識が緩んだ際に「パッと閃く」ようにして考え、意見が浮かんでくるといったメカニズムがあるように思われます。
このようにして得られた考え、意見は、その背景が、さきに述べたように「意識が何かに集中、向かっている時期」であることが多く、この意識のフィルターを経て現れたものであることから、何と云いますか、意識上にあるものに対し、自由な解釈が為され、抽象度が高いものと云えます。
この抽象度が高いということは、異言しますと「新たな考え、意見」に結節し易い状態といえ、こうした言説の状態・様相から、他の何らかの具体的な事象が思い起こされることは、それはそれで一つの共通性、通底する何かを見出したことになり、さらに、その過程を文章化しますと、それはそれで価値があり、あるいは新たな考え・意見ということになるのかもしれません。
また、確証はありませんが、ここで述べている「靫と矢屏風に共通する破邪あるいは境界性の強調といった呪術的な意味合いが、古墳時代から近世まで継続されてきたのではないか。」という考えは、これまで読んだ書籍になく、また、人から意見として聞いたこともありませんでしたので、新たな考え・意見である可能性があり、且つ、歴史を考える上で、そこまで荒唐無稽な意見でもなく、あるいは実存した(する)価値観、観念を示したものとして検討の余地があると思われますので、今後、機会があれば、さらに関連する書籍などを読み、深めてみたいと思います。
さて、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」は、その後350頁を越え普仏戦争、パリ・コミューンの頃を描いていますが、当著作のように、舞台となる時代背景に入り込み、価値観等を含めて、その当時の人々になり切り、物語を進めていくスタイルは簡単なようでありながら、かなり難しいのではないかと思われます。こうした特徴は同著者による「薔薇の名前」も同様であり、またロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」もまた、そうした名作であると考えます。
そこから、果たして現代の我が国に、これら著作に匹敵するような(シェークスピアに対する木下順二のような意味でも)作品はあるのだろうかと考えてみますと、あるいは、丁度こうした史実の再現性と登場人物のリアリティー、同時代性を共存させるような世界の構築といった作業は、我が国の場合、マンガ・アニメといった即視覚の世界に集約化されていってしまったのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
九州看護福祉大学
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祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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conrad19762013@gmail.com
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