2026年6月10日水曜日

20260610 筑摩書房刊 ちくま新書 宮台真司・奥野克己 著「宮台式人類学ー前提を遡る思考ー」 pp.42-44より抜粋

筑摩書房刊 ちくま新書 宮台真司・奥野克己 著「宮台式人類学ー前提を遡る思考ー」
pp.42-44より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480077359
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480077356

宮台 ええ。ヴェーバーの系列から外れますが、戦間期にプラグマティズムというアメリカの思想潮流が復活します。初期ギリシアに関連するので触れます。ニーチェの40年前にアメリカ超越哲学の鼻祖とされるラルフ・ワルド・エマソンが「力の受け渡し」の思想を展開、ニーチェに大きな影響を与えます。エマソンは「内なる光」と表現しますが、知識ならぬ動機付けの伝達のことで、宮台語で言えば、意味より強度の伝達(感染)が大切だとしたのです。
 牧師エマソンは、宗教の説教も学校の教育も、知識より動機付けの、認識より関心の、 真実より力の、伝達が大切だとし、哲学的・神学的な物言いをやめて日記を書きます。それを受けた戦間期のデューイは『経験と教育』で、動機付けに役立つ体験の配列が教育だとします。1990年代のローティは、壇上から真実らしきことを語って人から力を奪うのが昨今のリベラルだとし、「エマソン日記」のごとく私的な体験に照準した語り口を重 視します。 どんな語り口かというと、アイロニーです。コメディ研究の定説に従えば、アイロニー は、全体を部分に、超越を内在に、聖を俗に対応付けで脱臼する(ここで笑いを誘う)営みです。
ローティはこれを自己脱臼の意味で使います。真実らしき語りをした後「知らんけど」「たまたま聴いた 」「たまたま聴いただけや」と偶然性を持ち出し、自己を脱主体化する営みです。 かくて、偶然を持ち出し、アイロニー化することで、マウンティングされたという体験を回避して連帯する。初期作『偶然性・アイロニー・連帯』(1989年)を一言でまとめた骨子です。 
 関連して、言語を方向づける言外の働きに注目したのが、アムネスティ・レクチャーズ のひとつ「人権について」(1993年)。学者は専ら「人権とは何か」を論じるがクダラナイ。人に適用されるのが人権だが、誰が人かを支える生活形式をスルーしている。1964年の公民権法まで女も黒人も一人前の人と見做されなかった。女も黒人も人だと見做 せるようになるには、幼少期から異カテゴリーに属する子らと混ざり合って仲間になる遊 びが必要だと。 
 だから多様性でも、法的権利重視のサラダボウル(ゾーニング)より、成育環境や生活形式重視のメルティングポッド(フュージョン)を賞揚します。かくして、育ち上がりの 過程でどんな言語ゲームが自明になったのかが重要だとし、自らの哲学的源泉としてプラグマティストら以外にニーチェとハイデガーとヴィトゲンシュタインを挙げたのです。そして育ち上がりの環境の劣化を補うのが、文芸作品を通じた感情教育 sentimental educationだとします。感情 sentimentという言葉は、哺乳類や鳥類にも見られる情動 emotionと区別したもの。後述しますが、感情は自己防衛に、情動は生体防衛に、関係します。
 メルティングポッドの生活体験も、そんな生活を描く文芸の享受体験も、言語の使用を支える言外の前提ー宮台語の「言語の言語以前的前提」ーを築く感情教育です。感情教育が不完全な人々ー宮台語の「育ちが悪い人々」ーがリベラルを担う時、製造業から知財業への産業構造改革を背景に、差別解消のアイデンティティ・ポリティクスに淫す る劣化左翼から、見放された製造業労働者が、「俺が見てやる」と言う独裁者を誕生させ ると予測します。
 プラグマティストのローティを挟むと思想史が見易くなります。プラグマティストを一言で言えば「言語の言語以前的前提」に敏感な人。「言語の言語以前的前提」に鈍感な「育ちの悪い人」は。民主政の民主政以前的前提(ルソー)にも、市場の市場以前的前提(スミス)にも鈍感化し、良さげな「名目」に釣られ、市場経済と行政官僚制を通した、富裕層の集金システムに巻き取られます。詳しくは後述しますが、それを見通すには、今まで話した思想史の教養が必要なのです。

20260609 株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻 pp.144-147より抜粋

株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻
pp.144-147より抜粋
ISBN-10 : 4480084878
ISBN-13 : 978-4480084873

 日本仏教は、九世紀前半に、真言僧空海の著作において、その知的水準の(しかし必ずしも宗教的独創性の、ではない)絶頂に達した。しかしそのシナ語の著作の読者は限られ、その内容に土着思想の反映をみること甚だ少ない。空海の宗教活動(鎮護国家、祈雨、総じて真言宗寺院と宮廷権力とのむすびつき)は仏教の「日本化」の一時期を画し、空海の哲学思想は、仏教の「日本化」の拒否、その彼岸性の徹底、土着世界観の克服という点で、画期的であった。
 時代の知識人が大衆と共有したであろうところの土着世界観は、九世紀の仏教受容とどう係りあっていたか。その係りあいを実に見事に語っているのは、薬師寺の僧景戒の作った『日本霊異記』(九世紀初)である。作者の伝記は全く不明。文はいわゆる「変体漢文」である。すなわち訓読を前提とした漢文で、そのために語順が日本語に従いシナ語に従わぬところがある(たとえば「狐為妻令生子縁第二」と書き、「狐を妻として子を生ましむる縁第二」と読む。原文をシナ語として読めないことはあきらかである)。内容は、『日本霊異記』の正式の表題『日本国現報善悪霊異記』が示すとおり、また編者景戒の序文がいうとおり、中国での先例に倣い、日本国での因果応報(現報善悪)の不思議な話(霊異)を、上・中・下三巻にあつめて記したものである。話の源は、地方の伝承説話を含むと共に、また中国の文献、殊に序文が明示している『冥報記』(唐・唐臨の撰、七世紀中葉)と「金剛般若経集験記」(唐の孟献忠の撰、七一八)である(後者は話を多く前者に採る)。ただし「日本霊異記」の一一六話すのなかで、確かに「冥報記」に由来すると思われるのは九例にすぎない。中国種はおよそ全体の一割ということになる。
 景戒は『日本霊異記』を誰のために編んだか。「変体漢文」を読み得る人口は少なかったにちがいないから、大衆の読者を期待したはずはない。しかし僧侶の自家用としては、話と仏教との関係が「因果応報」に限られていて、単純にすぎる。仏教哲学の核心にふれた話はどこにもなく、話の内容は大衆教化の方便としか考えられない。したがっておそらく、僧侶の大衆向け説法の、参考資料、または素材として編まれたのだろうと思う。景戒自身が喋った話の備忘録が原型であったかもしれない。直接の読者は僧侶、しかし内容は僧侶のためではなく大衆的な聴衆のためのものであった、ということができるとすれば、『日本霊異記』は編者のみならず、その聴衆の好みやものの考え方をある程度まで反映していたろうと想像される。
 話の短いものは、原文一〇〇字に足りず、長くても数十ページにわたることはない。話のすじ立ては簡単なものが多い。内容は直接に僧侶や経典の功徳に係り、悪業の結果の不幸を語るものなどもあるが、またほとんど因果応報に関せず、ただ最後の数行に仏教的解釈を施したものも少なくない。たとえば二人の力の強い女の話(中巻、第四)。力の強い女が、三野の国にいて、往還に商人を襲い、盗みを業としていた。もう一人の小柄だが、力の強い女が、力くらべに出かけて、相手方が打とうとして起ち上ったとき、「二つの手を持ちへ、熊葛の鞭以て一遍打つ。打つ鞭に肉着く。亦一つの鞭を取りて一遍打つ。打つ鞭に肉着く。十段の鞭打つに随ひて皆肉着く」。そこで最初の女が降参し、それ以後、人の物を盗らなくなったので、土地の人々はよろこんだ。ーそういう話があって、その後に、「夫れ力人は、もち継ぎて世に絶え不。誠に知る、先の世に大力の因を殖ゑて、今此の力を得たることを」という解釈がある。すなわち話の内容と解釈との関係は、密接でない。おそらく力女の話が、地方民間の伝承としてあり、話そのものは仏教と全く関係がなかったのであろう。景戒はその話を聞き、牽強附会の解釈を加えて、仏教説話にしたてたにちがいない。『日本霊異記』に実にしばしばあらわれる話の内容と仏教的解釈との著しいくいちがいは、地方民間の伝承の多くが仏教と何の関係もなかったことを、示している。そこには多くの珍しい話(奇事)があった。そして珍しい話の因果論的説明はなかった。民衆が信じていたのは、力女の現在であって、「大力の因」の「先の世」ではあるまい。しかもそれだけではない。
 景戒自身の筆が活気を帯び、叙述に迫力が加わるのは、解釈よりも、話のすじにおいてであり、話のすじよりもその細部の描写においてである。解釈は、いつの時代にも力人がいるのは、因果の理による、ということである。話のすじは、特定の時代に二人の力女がいて一方が他方に勝ったということである。(この話のすじは、「いつの時代にも力人がいる」ことの例証としては、甚だ不十分である)。話の細部は、打ちおろす鞭に相手の肉が着いて来るという具体的で感覚的な光景である(その細部は話のすじをあきらかにするために全く必要でない)。『日本霊異記』の独特の魅力は、解釈でも、話のすじでもなく、話の細部の簡潔で、的確で、生々しい描写による。今景戒自身が、意識的には解釈を重んじていたとして、ー現に彼自身の序文はそういっているー、いわば無意識的に、話の細部の描写において、その著作が光彩を放つことに到ったのは、なぜだろうか。可能な説明の一つは、彼が『日本霊異記』を書き下すまえに、同じ様な話を聴衆に語って聞かせていたからであり、どういう語り口が聴衆の好みに合うかを心得ていたから、ということである。しかし彼自身のなかに、あらかじめ抽象的観念を操作すること(仏教哲学)や、彼岸思想に深入りすること(仏教の超越性)よりも、現世の感覚的世界の細部に対する関心(土着世界観の特質)がなかったとすれば、これほど鮮かに聴衆の要求に応えることはできなかったろう。すなわち聴衆との直接の接触があったとして、そのことが、『日本霊異記』の作者を作ったのではなく、作者のなかに潜在した大衆的世界を、いわば当人の意に反しても、顕在化させたのである。