pp.144-147より抜粋
ISBN-10 : 4480084878
ISBN-13 : 978-4480084873
日本仏教は、九世紀前半に、真言僧空海の著作において、その知的水準の(しかし必ずしも宗教的独創性の、ではない)絶頂に達した。しかしそのシナ語の著作の読者は限られ、その内容に土着思想の反映をみること甚だ少ない。空海の宗教活動(鎮護国家、祈雨、総じて真言宗寺院と宮廷権力とのむすびつき)は仏教の「日本化」の一時期を画し、空海の哲学思想は、仏教の「日本化」の拒否、その彼岸性の徹底、土着世界観の克服という点で、画期的であった。
時代の知識人が大衆と共有したであろうところの土着世界観は、九世紀の仏教受容とどう係りあっていたか。その係りあいを実に見事に語っているのは、薬師寺の僧景戒の作った『日本霊異記』(九世紀初)である。作者の伝記は全く不明。文はいわゆる「変体漢文」である。すなわち訓読を前提とした漢文で、そのために語順が日本語に従いシナ語に従わぬところがある(たとえば「狐為妻令生子縁第二」と書き、「狐を妻として子を生ましむる縁第二」と読む。原文をシナ語として読めないことはあきらかである)。内容は、『日本霊異記』の正式の表題『日本国現報善悪霊異記』が示すとおり、また編者景戒の序文がいうとおり、中国での先例に倣い、日本国での因果応報(現報善悪)の不思議な話(霊異)を、上・中・下三巻にあつめて記したものである。話の源は、地方の伝承説話を含むと共に、また中国の文献、殊に序文が明示している『冥報記』(唐・唐臨の撰、七世紀中葉)と「金剛般若経集験記」(唐の孟献忠の撰、七一八)である(後者は話を多く前者に採る)。ただし「日本霊異記」の一一六話すのなかで、確かに「冥報記」に由来すると思われるのは九例にすぎない。中国種はおよそ全体の一割ということになる。
景戒は『日本霊異記』を誰のために編んだか。「変体漢文」を読み得る人口は少なかったにちがいないから、大衆の読者を期待したはずはない。しかし僧侶の自家用としては、話と仏教との関係が「因果応報」に限られていて、単純にすぎる。仏教哲学の核心にふれた話はどこにもなく、話の内容は大衆教化の方便としか考えられない。したがっておそらく、僧侶の大衆向け説法の、参考資料、または素材として編まれたのだろうと思う。景戒自身が喋った話の備忘録が原型であったかもしれない。直接の読者は僧侶、しかし内容は僧侶のためではなく大衆的な聴衆のためのものであった、ということができるとすれば、『日本霊異記』は編者のみならず、その聴衆の好みやものの考え方をある程度まで反映していたろうと想像される。
話の短いものは、原文一〇〇字に足りず、長くても数十ページにわたることはない。話のすじ立ては簡単なものが多い。内容は直接に僧侶や経典の功徳に係り、悪業の結果の不幸を語るものなどもあるが、またほとんど因果応報に関せず、ただ最後の数行に仏教的解釈を施したものも少なくない。たとえば二人の力の強い女の話(中巻、第四)。力の強い女が、三野の国にいて、往還に商人を襲い、盗みを業としていた。もう一人の小柄だが、力の強い女が、力くらべに出かけて、相手方が打とうとして起ち上ったとき、「二つの手を持ちへ、熊葛の鞭以て一遍打つ。打つ鞭に肉着く。亦一つの鞭を取りて一遍打つ。打つ鞭に肉着く。十段の鞭打つに随ひて皆肉着く」。そこで最初の女が降参し、それ以後、人の物を盗らなくなったので、土地の人々はよろこんだ。ーそういう話があって、その後に、「夫れ力人は、もち継ぎて世に絶え不。誠に知る、先の世に大力の因を殖ゑて、今此の力を得たることを」という解釈がある。すなわち話の内容と解釈との関係は、密接でない。おそらく力女の話が、地方民間の伝承としてあり、話そのものは仏教と全く関係がなかったのであろう。景戒はその話を聞き、牽強附会の解釈を加えて、仏教説話にしたてたにちがいない。『日本霊異記』に実にしばしばあらわれる話の内容と仏教的解釈との著しいくいちがいは、地方民間の伝承の多くが仏教と何の関係もなかったことを、示している。そこには多くの珍しい話(奇事)があった。そして珍しい話の因果論的説明はなかった。民衆が信じていたのは、力女の現在であって、「大力の因」の「先の世」ではあるまい。しかもそれだけではない。
景戒自身の筆が活気を帯び、叙述に迫力が加わるのは、解釈よりも、話のすじにおいてであり、話のすじよりもその細部の描写においてである。解釈は、いつの時代にも力人がいるのは、因果の理による、ということである。話のすじは、特定の時代に二人の力女がいて一方が他方に勝ったということである。(この話のすじは、「いつの時代にも力人がいる」ことの例証としては、甚だ不十分である)。話の細部は、打ちおろす鞭に相手の肉が着いて来るという具体的で感覚的な光景である(その細部は話のすじをあきらかにするために全く必要でない)。『日本霊異記』の独特の魅力は、解釈でも、話のすじでもなく、話の細部の簡潔で、的確で、生々しい描写による。今景戒自身が、意識的には解釈を重んじていたとして、ー現に彼自身の序文はそういっているー、いわば無意識的に、話の細部の描写において、その著作が光彩を放つことに到ったのは、なぜだろうか。可能な説明の一つは、彼が『日本霊異記』を書き下すまえに、同じ様な話を聴衆に語って聞かせていたからであり、どういう語り口が聴衆の好みに合うかを心得ていたから、ということである。しかし彼自身のなかに、あらかじめ抽象的観念を操作すること(仏教哲学)や、彼岸思想に深入りすること(仏教の超越性)よりも、現世の感覚的世界の細部に対する関心(土着世界観の特質)がなかったとすれば、これほど鮮かに聴衆の要求に応えることはできなかったろう。すなわち聴衆との直接の接触があったとして、そのことが、『日本霊異記』の作者を作ったのではなく、作者のなかに潜在した大衆的世界を、いわば当人の意に反しても、顕在化させたのである。
話の短いものは、原文一〇〇字に足りず、長くても数十ページにわたることはない。話のすじ立ては簡単なものが多い。内容は直接に僧侶や経典の功徳に係り、悪業の結果の不幸を語るものなどもあるが、またほとんど因果応報に関せず、ただ最後の数行に仏教的解釈を施したものも少なくない。たとえば二人の力の強い女の話(中巻、第四)。力の強い女が、三野の国にいて、往還に商人を襲い、盗みを業としていた。もう一人の小柄だが、力の強い女が、力くらべに出かけて、相手方が打とうとして起ち上ったとき、「二つの手を持ちへ、熊葛の鞭以て一遍打つ。打つ鞭に肉着く。亦一つの鞭を取りて一遍打つ。打つ鞭に肉着く。十段の鞭打つに随ひて皆肉着く」。そこで最初の女が降参し、それ以後、人の物を盗らなくなったので、土地の人々はよろこんだ。ーそういう話があって、その後に、「夫れ力人は、もち継ぎて世に絶え不。誠に知る、先の世に大力の因を殖ゑて、今此の力を得たることを」という解釈がある。すなわち話の内容と解釈との関係は、密接でない。おそらく力女の話が、地方民間の伝承としてあり、話そのものは仏教と全く関係がなかったのであろう。景戒はその話を聞き、牽強附会の解釈を加えて、仏教説話にしたてたにちがいない。『日本霊異記』に実にしばしばあらわれる話の内容と仏教的解釈との著しいくいちがいは、地方民間の伝承の多くが仏教と何の関係もなかったことを、示している。そこには多くの珍しい話(奇事)があった。そして珍しい話の因果論的説明はなかった。民衆が信じていたのは、力女の現在であって、「大力の因」の「先の世」ではあるまい。しかもそれだけではない。
景戒自身の筆が活気を帯び、叙述に迫力が加わるのは、解釈よりも、話のすじにおいてであり、話のすじよりもその細部の描写においてである。解釈は、いつの時代にも力人がいるのは、因果の理による、ということである。話のすじは、特定の時代に二人の力女がいて一方が他方に勝ったということである。(この話のすじは、「いつの時代にも力人がいる」ことの例証としては、甚だ不十分である)。話の細部は、打ちおろす鞭に相手の肉が着いて来るという具体的で感覚的な光景である(その細部は話のすじをあきらかにするために全く必要でない)。『日本霊異記』の独特の魅力は、解釈でも、話のすじでもなく、話の細部の簡潔で、的確で、生々しい描写による。今景戒自身が、意識的には解釈を重んじていたとして、ー現に彼自身の序文はそういっているー、いわば無意識的に、話の細部の描写において、その著作が光彩を放つことに到ったのは、なぜだろうか。可能な説明の一つは、彼が『日本霊異記』を書き下すまえに、同じ様な話を聴衆に語って聞かせていたからであり、どういう語り口が聴衆の好みに合うかを心得ていたから、ということである。しかし彼自身のなかに、あらかじめ抽象的観念を操作すること(仏教哲学)や、彼岸思想に深入りすること(仏教の超越性)よりも、現世の感覚的世界の細部に対する関心(土着世界観の特質)がなかったとすれば、これほど鮮かに聴衆の要求に応えることはできなかったろう。すなわち聴衆との直接の接触があったとして、そのことが、『日本霊異記』の作者を作ったのではなく、作者のなかに潜在した大衆的世界を、いわば当人の意に反しても、顕在化させたのである。
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