2024年1月20日土曜日

20240120 歯科材料を基軸とした雑文(試作文章)

「天然歯に色調が最も近いセラミックスは何か?」と考えてみますと、硬質で半透明な陶磁器が先ず思い起こされるのではないかと思われます。陶磁器は英語にしますと「china」と表記されます。これは産地の名前が、そのまま物の名称になったものであり、我が国の「japan」であれば漆器を指し、そしてまた、我が国においても、古くは火縄銃のことを「種子島」と呼称していましたので、こうした名称付与の仕方には世界的に共通するものがあるようにも思われます。

さて、この陶磁器の「china」は、中国においては既に7世紀頃に作られていました。その背景には、技術の発展と同様、高温を長時間保持可能な熱源としての石炭が豊富であるという自然環境もあったと云えます。

こうして、中国で作成された陶磁器はシルクロードを経てヨーロッパにもたらされ、彼の地において、度々模倣が試みられましたが、それらは悉く失敗に終わりました。やがて時代はくだり、18世紀初頭になり、ドイツの錬金術師であるヨハン・ベトガーが繰り返しの実験により、各種鉱物と粘土の混合割合を編み出し、その複製に遂に成功しました。これが、所謂マイセン磁器の誕生の大まかな経緯です。

その後、フランス・英国においても、技術の伝播や独自の実験成果を踏まえてセーブル磁器、ウェッジウッド磁器、そしてスポード磁器などが続々と誕生しました。そこから、18世紀は西欧での陶磁器生産のはじまりの時代とも云えます。

そしてまた、この18世紀は近代歯科医療のはじまりの時代でもあるとも云えるのです。では、これらの関連(陶磁器の生産と近代歯科医療)を述べますと、まず、この時代は大航海時代以降、西欧諸国が世界各地へ進出し、さまざまな植物や、それらの加工品が安定して供給されるようになってきた時代でもあったことを認識する必要があります。

そうして西欧に齎されたもので代表的なものの一つが砂糖です。砂糖は、東南アジアあるいはインドが原産とされるサトウキビを主な原材料として作られます。そして、これが西欧諸国で広く普及するようになりますと、それに伴い、虫歯もまた多く、人々の間に見られるようになってきました。

現在では、西欧の国々は、虫歯予防をはじめ歯科医療全般について先進的とされていますが、当時はまだそうではありませんでした。つまり、砂糖と虫歯との因果関係については知られていませんでした。そうした事情から、虫歯の原因である歯を抜くことが増え、やがて、それを専門とする職業も社会において徐々に一般的なものになっていきました。

その職業は「歯抜き師」と呼ばれ、これは18世紀以前より存在し、17世紀初頭刊行の「ドン・キホーテ」作中にも登場します。 ともあれ、新大陸から齎された砂糖の普及によって虫歯が増加した18世紀の西欧では「歯抜き師」もまた一般的な職業となり、さらにそこから進化をして、歯を抜くことだけでなく口の中全般を扱う「歯の治療者」と呼ばれる職業も登場して、これが現在の歯科医師の直接的な起源であると考えられています。

とはいえ、歯を抜く以外の口の中の治療も行った「歯の治療者」も、現在のような歯科医学の知識が一般的ではなかった時代であったことから、そこで施される 治療も必ずしも適切なものではありませんでした。

それよりも現代の歯科医療に対する「歯の治療者」の大きな貢献は、いわゆる、入れ歯などの歯科補綴装置についてであったと云えます。そして、それと関連して、さきに述べた「西欧での磁器生産」が意味を持ってくるのです。

約言しますと、西欧諸国による新大陸の発見、そしてサトウキビから精製される砂糖の需要から、カリブ諸島を主とした大規模なサトウキビ栽培が始まり、生産された砂糖が西欧社会にもたらされて一般化しますと、それに伴って同地域での虫歯が多くなり、そして、それまでの歯科医療にも変化が生じ、この変化に、同じ18世紀に錬金術師によって編み出された中国由来の磁器の作成法が関係してくるといった流れになります。

ちなみに、前述の「ドン・キホーテ」作中に歯に関する面白い箴言があります。 ‘‘Every toooth in a man’s head is more valuable than a diamond.’’ 「頭の中にある全ての歯は、ダイアモンドよりも価値がある。」 Miguel de Cervantes, Don Quixote (1605)

そして、この ‘‘Every toooth in a man’s head is more valuable than a diamond.’’ 「頭の中にある全ての歯は、ダイアモンドよりも価値がある。」文中の「head」は和訳しますと「頭、頭部、首、脳、目、耳、鼻、顎を含む体の部位」となり、その中にはもちろん「口」も含まれます。そうしますと、原文にある「Every toooth」(全ての歯)は、口の中にある歯を意味することになり、それはそれで意味は通じるのですが 文脈を変えて読んでみますと、さまざまな知識や情報を咀嚼し理解するための「悟性」の能力を「歯」にたとえた文章であるとも読み取れます。そしてこの場合、著者は後者の意味合いで書かれたものと思われますが、いずれにしても、同じ言葉、文章であっても、複数の意味合いが読み取れることは、我々の生活のなかでもしばしばあることで、冒頭付近で挙げた陶磁器の「china」漆器の「japan」そして火縄銃の「種子島」なども、そうしたものであると云えます。

そしてまた、18世紀頃の西欧での砂糖の普及と、それに伴う虫歯の増加から生じる歯科医療の変化に関連させてみますと、 この時代に、それまでの虫歯を抜く「歯抜き師」による、いわば原初的な歯科治療であったものから変化をして、抜歯後の外観や機能の改善、修復を行う「歯の治療者」が職業として広く社会に認知されるようになりました。

「歯の治療者」とそれまでの「歯抜き師」との大きな違いは、その背景にある、口を含む人体の構造や、さまざまな材料についての知識の広さと深さであったと云えます。

つまり、かねてよりの歯を抜くことを業とする職人であった「歯抜き師」と比べて、18世紀頃から一般的となった「歯の治療者」は、さきに述べた「錬金術師」からの系譜に連なるものであり、そしてまた、18世紀に錬金術師であるヨハン・ベトガーがドイツ東部の都市マイセンにて、初めて西欧での陶磁器の製造に成功したことは、その後の歯科医療にも少なからぬ影響を及ぼしたと云うことになります。

現在においても高級陶磁器などで有名な英国のウェッジウッド社の設立も18世紀半ばであり、さきに述べたようにマイセンの陶磁器製造技術の伝播があったと思われますが、ウェッジウッド社で大変興味深いことは、当時、陶磁器の製造技術を用いて人工の歯(陶歯)を製造していたことです。

この陶歯を用いた入れ歯は、当時の技術水準においては大変に優れたものであり、陶磁器と同様、白く艶やかな人工歯が並んだ入れ歯は多くの人々を惹き付けたと思われます。とはいえ、この当時の入れ歯は、現在の陰圧を利用して口腔粘膜に吸着させるものではなく、上下の入れ歯がバネで繋がり、口に入れても、食いしばらなければ、バネの力で口から飛び出してしまうようなものであったとのことです。

アメリカ合衆国の初代大統領であるジョージ・ワシントンは現在、同国1ドル紙幣に印刷され、その描かれた表情を見ますと、頬が若干膨らみ気味であり、口が真一文字に結ばれていますが、これは、さきのバネが仕込まれた入れ歯を着けていたために食いしばっているため、こうした表情になっているというのが、現在では一般的な見解とされています。

18世紀西欧で製造が始まった陶歯を用いた入れ歯は、前述のような構造の問題もありましたが、それでも当時の水準としては先端技術の粋を集めたものであり、現在でいえば、口の中の状態をスキャナーを用いて3Dデータにて記録して、そのデータに基づき、入れ歯の設計をコンピュータ上で行い、その設計データに基づいてCAMのマシニング加工により作成された入れ歯にも比定することが出来ると云えます。

また、西欧においては陶磁器作成技術の確立による白く艶やかな陶歯の製造が可能になる以前は、カバやセイウチや象の牙や牛の骨などから入れ歯に用いる人工歯が作られ、さらには生死を問わずヒトから採取した歯も用いられていました。

そのため、こうしたヒトの歯は戦争の後になると多く出回り、19世紀に入ってからも、ワーテルローの戦いの後に大量のヒトの歯が市場に流通したとのことです。

現代の衛生観念からしますと、これらはきわめて不衛生なものであったといえますが、我が国においても、歯ではありませんが、亡くなったヒトの毛髪を抜いて鬘の材料とする話は、平安時代末期に成立した「今昔物語集」そして、それをベースとした書かれた芥川龍之介による短編「羅生門」などによって知られています。

ともあれ、これらの経緯によって18世紀に陶磁器製造技術を用いた陶材による人工歯が西欧で製造されるようになりました。他方、我が国では、おそらくは火山活動が活発であることからか古くから土器や陶器の製造が盛んであり、また、明治以降の近代化が為されて以降は、積極的に西欧の技術を模倣する段階において陶材による人工歯が製造されるようになりました。

そして、その拠点となったのは、やはり、古来より陶器の製造が盛んであった京都や名古屋などの地域であり、そこでは今なお、こうした企業が存続しています。

ちなみに「18世紀西欧での陶磁器製造技術の確立により、陶材で作成した人工歯を入れ歯に用いるようになった。」とさきに述べましたが、18世紀当時の入れ歯を作成する技術は、現存する当時の入れ歯や資料などから考えてみますと、西欧と我が国では、我が国の技術の方が優れていたのではないかとも思われるのです。

繰り返しになりますが、18世紀の後半においても、欧米諸国の入れ歯は、お口の中でのおさまりや機能性の良さはあまり考慮されていなかったと考えられ、当時の入れ歯は、咀嚼という歯の本来の機能よりも、キレイに歯が並んだ口許の方が重視されていたのではないかとも思われます。

他方、我が国での入れ歯の歴史を遡ってみますと、現存する我が国最古の入れ歯は、西暦1538(天文7)年に76歳で亡くなられた紀伊国(現在の和歌山県)の尼僧であり、仏姫とも呼ばれた中岡テイという女性が用いていたものであり、その材料は柘植(つげ)が用いられており、作り方としては、熱して軟化した蜜蠟に松脂などを混ぜたものを口に入れて型取りをしてから取り出し、そこで得られた口の中の様子(歯型)を柘植の小塊に、木彫りの要領で3次元的な写生を行い概形を作り、それを口に入れて、余分なところや、強く当たって痛いところを徐々に削り取り、そして口の中にピッタリと収まる入れ歯を作っていました。

仏姫は16世紀前半に亡くなっていますので、この我が国最古の柘植の木製入れ歯は15世紀末期か16世紀初頭に作成されたものであると思われますが、その背景には、室町時代末期、足利幕府による統治が綻び、戦国の世に向かおうとしている中で、それまで寺社からの依頼で彫像などを作成していた職人達が、寺社からの仕事の減少により、現世に合った職業を探す必要性があったという事情があると考えられています。つまり、少し大げさに表現しますと、我が国古来の木製入れ歯は、鎌倉時代初期の慶派の仏師等の手による東大寺南大門の金剛力士(仁王)像とも、技術の系譜として連なっているものであるとも云えるのです。

しかしながら、この優れた木製入れ歯を作成する古来からの技術は、近代以降、西洋の歯科医学が我が国に導入されるにつれて徐々に下火となり、そして20世紀初頭の明治末期の都市部においては、概ね西洋的な歯科医療に替わっていたと考えられています。

そして、こうした技術の変化をも含む、この時代での社会全体の西洋化のことを「文明開化」と云いますが、その影には、さきの木製入れ歯の作成にあるような、古くから脈々と伝えられてきた技術の衰亡が少なからずあったことは、記憶に留めておいても良いではないかと考えます。

とはいえ、また一方で、現在でも我が国の歯科技工の技術水準は世界においても優れたものとされていることは広く知られており、我が国の細部にわたる技術へのこだわりはマンガやアニメのみならず、歯科技工の世界においても良い意味で息づいていると云えます。そしてまた、その淵源まで遡ってみますと、さきに挙げた13世紀初期、独特の写実性を三次元的に彫像として表現した慶派の仏師達がいるのではないかとも思われるのです。

ともあれ、つきなみではありますが、結論として、西欧的な白く半透明で艶やかで磁器のような人工歯を用いた入れ歯も、我が国の古くからの木彫技術を受け継いだ固有の入れ歯作成技術にも、それぞれ素晴らしいと云いことになります。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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