早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」1暁のZ作戦 pp.312‐313より抜粋
ISBN-10 : 4150504342
ISBN-13 : 978-4150504342
責められてしかるべきはただ一つーそれは「時勢」だった。第一次世界大戦後のヨーロッパで起こった社会・経済的な混乱、共産主義とファシズムという二つの巨大な革命的イデオロギーがなかったなら、日本もアメリカも永久に戦争の縁に立つようなことはなかったことだろう。この二つの支配的な力は、ときには前後に重なって、ときには左右に並んで拮抗する力となりながら、ついに11月26日の悲劇を招いたのである。アメリカは、中国のためだけに戦争を起こすようなことはなかったはずだ。アメリカが戦争にすべてを賭ける気になったのは、日本がヒトラーやムッソリーニと手を組んで、全世界を支配するのではないかという恐れからだった。つきつめてみると、悲劇の源はアングロ・サクソンによって相手にされないのを恐れた日本が、ヒトラーと結んでしまったことである。こんな同盟は、名目以上の何ものでもなかった。
相互の誤解、言葉の違い、翻訳の誤りといったものが、日本的な日和見主義、下剋上、非合理性、名誉心、プライド、恐怖、そしてアメリカの人種偏見、東洋に対する不信と無知、硬直化した態度、独善、面目、国家的な自負と不安などといったものによって増幅され、戦う必要のない戦争が、いままさに開始されようとしていた。
「国家というものは、なぜ、こうも激しくいがみ合うのだろう」というヘンデルの問いに対して、以上にあげたことがらは、おそらくその主要な解答になることだろう。ともあれアメリカは、来るべき数十年に禍根を残す重大な誤りを犯してしまったわけである。もしハルが、日本の提案に対して宥和的な回答を出していたなら、日本人は(当時の閣僚のうちの生存者の証言によれば)アメリカとなんらかの合意に達することができたか、少なくとも数週間は外交交渉に費やすことを余儀なくされていたことだろう。それだけの時間の経過があれば、日本は天候の都合もあって開戦の「最終期限」を1942年の春まで延期しなければならなかったはずだ。そのころには、ソ連がドイツの攻勢に耐え抜くことは明瞭だったし、日本は敗色濃厚なドイツ・イタリアと組んで、のるかそるかの戦争をはじめる愚を避け、そのためにはどんな妥協案にも屈していたことだろう。たとえ日米間の合意が達成されなくても、アメリカはフィリピンをもっと多くの爆撃機や増強部隊で強化することはできたわけだ。真珠湾の惨事も避けられたはずである。12月7日の惨劇を招いた、ほとんど信じることもできないほどの偶然の連続は、おそらく起りえなかったのではないだろうか。