2025年12月30日火曜日

20251229 ベートーベン:交響曲第9番の思想的射程と現代的意義について

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによる交響曲第9番ニ短調、作品125は、音楽史において独特の地位を占める作品であり、その最大の特徴は、終楽章に声楽を導入した点にあります。器楽を基盤として発展してきた交響曲の形式に、声楽を組み込むという試みは、当時の交響曲の様式からは逸脱するものでした。そして、その独自の構造ゆえに、本交響曲は音楽史における一つの転換点として位置づけられていると云えます。

本交響曲の構想は1818年頃から始まり、実際の執筆は1822年末から1824年初頭にかけて行われました。先述の終楽章にある声楽の歌詞には、フリードリッヒ・フォン・シラーが1785年に著した頌歌「歓喜に寄す」が採用されています。この詩を音楽化することは、ベートーヴェンにとって長年の願いであり、それが最後の交響曲において結実しました。

1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われた初演では、ミヒャエル・ウムラウフが実質的な指揮を執り、聴力を喪失していたベートーヴェンはテンポを指示する役割で舞台に立ちました。終演後、聴衆の反応を認識できなかったベートーヴェンに対し、独唱者が客席の方へ向き直るよう促したことで、彼が初めて大喝采を認識したという記録が残されています。

また、本交響曲の背景には、当時の政治状況が深く関与しています。シラーが「歓喜に寄す」を執筆したのはフランス革命直前の啓蒙主義的な時代(1785年)でしたが、本交響曲が初演された1824年は、ナポレオン失脚後のウィーン体制下、宰相メッテルニヒによる保守反動的な政治体制が欧州を覆っていた時代でした。

こうした背景において、本交響曲は純粋な祝祭音楽とは異なる思想的性格を持ちます。終楽章冒頭において、先行する楽章の回想がバリトンの独唱によって否定される構成は、それまでの器楽的文脈を一度遮断し、新たな方向性を模索する転換点として機能しています。これは、既存の社会秩序や価値体系が限界に達した地点から、普遍的な共同性を再構築しようとする試みであるとも解釈出来ます。

また、当交響曲の作品構造は、内的苦悩から人類的な歓喜への移行を表現しています。第一楽章の不安定な導入、第二楽章の鬱勃とした律動、第三楽章の瞑想を経て、第四楽章において初めて「歓喜」が言葉として提示されます。

このプロセスは、歓喜が最初から与えられたものではなく、分裂や葛藤を通過した後にのみ到達し得るものであることを示しています。つまり、ここで描かれているのは、楽観的な調和ではなく、厳しい現実を前提とした上での生の肯定であると云えます。

後世、ニーチェがその処女作『悲劇の誕生』において本交響曲を論じたことは、第九の思想的解釈を深める一助となりました。ニーチェは同著の第1節において、ベートーヴェンの「歓喜に寄す」を、個の境界が崩壊し万物が根源的な一体感へと回帰する「ディオニュソス的陶酔」の象徴として引き合に出しています。彼にとって当交響曲の終楽章は、苦悩や混沌を否定するのではなく、それらを包含した上で生を全肯定する力を具現するものでした。構築された形式の中で、情念と理性、個と全体が均衡を保つその姿は、きわめて高度な精神的営為であると云えます。

そして、この視座は現在の分断され、不安定化した世界情勢においても有効な示唆を与えてくれます。国家間の対立や価値観の相違などが顕在化している現在、当交響曲が提示する「歓喜」は、既に完成された調和を謳歌するものではなく、むしろ、世界が分断され、不安定化している地点から、それでもなお共存の可能性を構想し得るかという問いとして機能するのではないかと考えます。

さらに、当交響曲が初演から200年以上経た現在も世界各地で演奏され続ける理由は、当交響曲が安定した世界の祝祭音楽的なものではなく、不安定な世界においてこそ参照されるべき思想的課題を我々人類に提示し続けているからであると考えます。救いが保証され得ない厳しい状況から、いかにして我々は歓喜を見出し得るのか。その問いは、今もなお現代社会に対する解決が困難な問題(アポリア)として提示され続けていると云えるのではないでしょうか?

Beethoven: The Ideological Scope and Contemporary Significance of Symphony No. 9

Ludwig van Beethoven’s Symphony No. 9 in D minor, Op. 125 occupies a unique place in the history of music. Its most striking feature is the introduction of vocal music in the final movement. To incorporate voices into a form that had developed as purely instrumental was a clear departure from the conventions of the symphony at the time. For this reason, the Ninth Symphony is widely regarded as a turning point in the history of Western music.

Beethoven began to conceive the work around 1818, and he composed it between late 1822 and early 1824. The text sung in the final movement is drawn from Friedrich von Schiller’s 1785 ode “An die Freude” (“Ode to Joy”). Setting this poem to music had been one of Beethoven’s long-held ambitions, and it was in his final symphony that this aspiration was finally realized.

The premiere took place on May 7, 1824, at the Kärntnertor Theater in Vienna. Michael Umlauf effectively conducted the performance, while Beethoven—by then profoundly deaf—stood on stage giving tempo indications. When the music ended, Beethoven was unable to perceive the audience’s reaction. According to contemporary accounts, one of the soloists turned him toward the audience so that he could see the overwhelming applause.

The political background of the work is also significant. Schiller wrote “Ode to Joy” in the intellectual climate of the Enlightenment, shortly before the French Revolution. By contrast, the symphony was premiered in 1824 during the post-Napoleonic era, when Europe was dominated by the conservative order enforced under the leadership of Metternich.

In this context, the Ninth Symphony cannot be understood as simple celebratory music. At the opening of the final movement, motifs from the preceding movements are recalled and then rejected by a baritone soloist. This gesture interrupts the established instrumental narrative and marks a decisive break, opening the way toward a new direction. It can be interpreted as an attempt to reconstruct a form of universal human community at a moment when existing social orders and value systems had reached their limits.

The overall structure of the symphony traces a movement from inner struggle toward a vision of human joy. The uneasy opening of the first movement, the surging vitality of the second, and the meditative character of the third all precede the final movement, in which “joy” is articulated for the first time through words. Joy is not presented as something given from the outset, but as something that can be reached only after passing through division and conflict.

What is affirmed here is therefore not an easy or optimistic harmony, but a form of affirmation grounded in harsh reality. Joy emerges not through the denial of suffering, but through its inclusion.

The later reception of the work was deepened by Friedrich Nietzsche, who discussed the Ninth Symphony in his first book, The Birth of Tragedy. Nietzsche refers to “Ode to Joy” as an expression of Dionysian ecstasy, in which the boundaries of the individual dissolve and all beings return to a fundamental unity. For Nietzsche, the final movement does not negate suffering or chaos, but gives form to a force that affirms life by embracing them. Within a carefully constructed musical form, passion and reason, the individual and the whole, are held in tension and balance. This represents an exceptionally high level of spiritual achievement.

This perspective remains relevant in today’s divided and unstable world. At a time when conflicts between states and clashes of values are increasingly visible, the “joy” presented in the Ninth Symphony does not celebrate a harmony already achieved. Rather, it functions as a question: whether it is still possible to imagine coexistence from a point of fragmentation and instability.

The fact that this symphony continues to be performed worldwide more than two centuries after its premiere suggests that it is not music for a stable and settled world. Instead, it persistently confronts humanity with a set of intellectual and ethical challenges that become most urgent precisely in times of uncertainty. From conditions in which no redemption is guaranteed, how are we to find joy? This question continues to confront modern society as an unresolved aporia.

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2025年12月16日火曜日

20251215 師匠の講演前夜での予演および駄弁りと、当ブログの備忘録的性質について

 昨日投稿の記事は、これまでブログ記事作成を休止していた反動によるものであるのか、比較的一気呵成に作成することが出来たと云えます。また、ブログ休止中であっても、記事のネタになりそうな現実の出来事はそれなりにありますので、それらについても忘れないように、何処かに書き記しておく必要があると思われます。しかし現在、ブログを休止していますと、当ブログ副題で述べた通りの「主に面白いと思った記述、考えたことを記します。自身の備忘録的な目的もあります。」という一文が、実際にそのままの意味であったことに、改めて気が付かされます。

 つまり、さきのような現実の出来事を、ある程度抽象化して文章にすること自体が、その出来事を忘れないための手段であったことに、今さらながら思い至るのです。

 さて、ここまで文章を作成していて思い出された記憶は、去る12月6日(土)に関与させて頂いた学会に関するものです。こちらの学会は比較的新しい歯科医学分野の学会であり、その学術大会は、今回で第11回目を迎えます。そして、この学術大会では、以前より、歯科理工学分野の師匠を教育講演講師としてお呼び頂いていますが、今回も師匠は新たにネタを仕込み、スライドを作成され、講演前日の夕方には会場近くのホテルに入られていました。
 
 そしてその日、学術大会の用務を終えた私と、診療を終えた都内で開業されている門下の先生(私の兄弟子にあたります)を呼び出し、宿泊先のホテルで、作成したスライドを予演のように我々に聞かせるのです。その後、我々の意見を聞き、それが議論を通じて妥当であると判断されますと、スライドに加筆修正をしたり、画像データを差し替えたりされます。そうした様子を見ていますと、師匠は既に70歳をとうに過ぎているにもかかわらず、他者からの見解を度々求め、ご自身の作成スライドに躊躇なく手を加えることが出来ることに毎回のように感心させられます。

 実際、そのことを師匠に尋ねてみますと、概ね次のように返答されました。

「最近はだいぶ普及してきた云うてもやな、まだまだジルコニアは分かってへんことも多いんや。それでな、一番アカンのは、よう分からンままに、科学的な根拠もない憶測みたいなンが、業界やら学会やらに、割と広う出回ってしもてることや…。
せやからな、この学会で教育講演やらせてもらえるンは、ワシにとってはホンマに有難い機会なんや。
それでや、お前らみたいに気ぃ使わんでエエ連中に、いっぺん作ってきたスライドの内容を聞かせて、その反応を見てな、これはイケる、これはアカン、云うてもろて、それをまたスライドに落とし込む。まあ、そういう作業がな、ワシにとっては結構大事なンや。」

さらに、体力や学会などでの立ち振る舞いについては、次のようにも述べられていました。

「ワシもな、前に比べたら、体力は確実に落ちてきとる。せやけどな、まだ60分や90分くらいの講義や講演やったらイケる。ただな、元の体力が落ちとる分、余計なとこで消耗したくないンや。

学会のパーティ云うたら、エライ先生もようけ来てはるやろ。それに、よう知らん先生にも、それなりに気ぃ使わなアカン。

そんなンするくらいやったらやな、お前らみたいに、気ぃ使わんでエエ連中相手に、いろいろ喋っとる方が、よっぽど楽やし、その分、講演の方にも気持ちがちゃんと向くんや。」

この師匠のスタンスは以前と変わらないものであると云えますが、学会発表であれ、講義や招待講演や教育講演であれ、自らの知見に基づき、科学的に妥当と考えられる見解を、出来るだけ分り易く伝えようとする、その一貫した行為態度には、私自身も多少なりとも学ぶところがあったのではないかとも思われます。あるいは、それが少しでも根付いたからこそ、当ブログは、なんとか10年以上継続することが出来たのではないかとも思われます。

ちなみにこの時、最近刊行された歯科専門雑誌に掲載された師匠の執筆記事について、「お前、読めえ!」と云われ、続いて同席していた先輩からも「俺の記事も読めえ!」と云われました。そこで私は、「分かりました。次の休みに水道橋のシエン社に行って、立ち読みして、面白そうでしたら購入します」と返事をさせて頂きました。そして、去る11日(木)の休日に御茶ノ水駅で下車し、駿河台を下って靖国通りに出て、神保町の古本屋街沿いを九段下方面へ少し歩き、神保町交差点で右折して白山通り沿いに水道橋方面へ進み、JR水道橋駅の高架を過ぎて後楽園方面への交差点を渡る手前で左折すると、マクドナルドやココイチを過ぎた辺りの左手に、歯科系書籍の専門店として界隈では知られているシエン社があります。

そこで、他の歯科系雑誌や書籍をしばし立ち読みした後、件の雑誌を手に取り読んでみますと、やはり面白いと思われましたので、購入させて頂きました。また、購入時に領収書の作成をお願いしたところ、そこからシエン社さまの相談役の方と多少話が盛り上がってしまいましたが、ともあれ、師匠から勧められた書籍は購入し、その後拝読させて頂きました。内容は、師匠が常々述べられている世界規模での歯科医療の様相や、その推移が、材料学あるいは工学的見地から述べられており、特に業界に関与される方々は、興味深く読むことが出来るのものと考えます。

また、ここまで文章を作成していて、さらに思い出されたことがあります。それは、過日、国際関係論や公衆衛生、医療政策分野などに造詣が深い別の先生から、電話口にて自著を勧めて頂いたことです。後日、こちらの著作も購入して拝読させて頂きましたが、これもまた大変興味深い内容が述べられており、いずれ改めて引用記事を作成させて頂く予定です。

このように、ブログ記事のネタとなりそうな現実の出来事は、それなりに生じています。しかし、いざそれらを記述しようとしますと、どうも、この文章のように、何やらゴタゴタした文章になってしまうようです…(苦笑)。後日、改めて加筆修正を行うことになると思われますが、とりあえず、今回はこの辺で区切らせて頂きます。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2025年12月15日月曜日

20251214 2400記事への到達後に思ったこと:1万時間の法則から

去る11月にブログ総投稿記事数が目標としていた2400記事に到達し、そこから自作文章での新たなブログ記事はあまり作成しておらず、また、引用記事はいくつか作成しましたが、それらは10記事もありません。他方、文章を作成する機会はコンスタントにあるため作成していますが、当ブログが目標に到達して一旦休止となったためであるのか、その文章作成も以前ほど身が入らなくなってきた感じが少しあります。しかし、それは恒常的な変化ではなく、またしばらく休止期間を設けることにより、以前よりも、より充実して上達した文章作成が出来るようになるのではないかと思われます。この休止期間の中にあっても、人工知能に頼らずに、時々はこうして文章を作成することは、それなりに重要であると思われるため、こうして新たな記事作成を試みています。また、作成を始めてから、ここに至るまで比較的スムーズに出来たことは、自分としては安心を感じますが、一方で、さらに投稿の頻度を上げた方が良いのではないかと危惧する部分もあります。とはいえ、新規での記事作成を行わないことによって生じる、こびり付くような不快感は、過日の2400記事到達により、ありません。そして、このことが到達前後で最も大きく変わったことであると思われます。

また、そのように考えてみますと、当ブログはもう終えて閉じるべきであるのかとも思われるところですが、それと同時に2500記事程度までは、そこまで大きく苦労をすることなく到達出来るようにも思われるのです。それ故、休息期間は今しばらく継続して、具体的には来年の3月末頃までは基本的に休止し、その間も時々は文章の作成自体を忘れないように、このように新規での作成を心掛けたいと考えています。

そういえば、このブログ記事作成の休止期間に、どうしたわけか「1万時間の法則」という言葉を耳にする機会が何度かありました。そこで、その意味をネット検索で調べてみますと、これは単純に「時間を積み重ねれば熟達する」という意味ではないことが分かりました。むしろ、意味のある練習を長期にわたり継続することで技能や思考が一定の水準に達する、という趣旨での経験則であり、「1万時間」という数字も多分に象徴的な値に過ぎません。それよりも、その本質は、長期的な継続を通してしか得られない変化があるという点にあり、これは多くの領域に通底する考え方であるように思われました。

また、当ブログについて考えてみますと、その価値は論文のように投稿先雑誌毎の評価指標により数値化されるわけでもなく、スポーツのように点数や審査員による判断があるわけでもありません。そのため、特定の記事やブログ全体の意味を、どのように位置づければよいのか分からず、曖昧な不安を覚えることもあります。その点で、この「1万時間の法則」は、明確な指標を持たない営みの価値を測るための、ひとつの座標軸になるのではないかと思われました。

とはいえ、文章表現の熟達は「書けば書くほど上達する」といった直線的なものではなく、むしろ長く継続するほどに、自らの未熟さや無知に気付いてしまうといった側面があります。さらに、ある程度継続しますと、ブログ記事の作成といった行為自体の意味を問い直したくなる時期も訪れます。やがて継続の理由も、技術向上や成果の可視化といった外的指標では測定され得ず、むしろ「文章の作成を通して思考が組み換えられ、世界の見え方がわずかに変わっていく」内的な効果に重点が移っていくのではないかと思われるのです。

近現代史や国際関係論や考古学、古代史あるいは民俗学といった分野に触れるたびに、それらは思考の層となり、徐々にこれまでとは異なった景色へと導いてくれます。そして、文章の作成とは、単に知識を扱う技術ではなく、世界を認知する方法そのものを再構築する営みであると云えるのかもしれません。その過程で、これまで所与・自明であった前提や価値観が次第に揺さぶられ、やがて自らの思考そのものが、いつの間にか変化していることに気付かされます…。

長期的に取り組むほど、継続は「上達のため」だけではなく「対象への理解を深めるため」に行われるようになります。文章化することは、対象の構造を理解するための方法であり、思考を透明化する媒体でもあると云えます。文章化することにより曖昧であった概念が言語としての輪郭を持ち、推敲を通じ、さらに明晰化されます。そして、こうした循環を何度も反復することで、意識の奥に沈んでいた思考が徐々に結晶化していくのではないかと考えます。

そして、この視座から「1万時間」を見直してみますと、それは単に熟達の到達点を示す数字ではなく、「ある程度の継続期間が思考をどのように変化させるか」を示す象徴とも見えてきます。長期にわたる継続的活動は、自覚され得る成長を直線的に保証するものではありませんが、同時にそれは、さまざまな質の時間を含み込みつつ、緩徐的に認知の構造を変化させます。それ故、成長を実感できない時期も、不意に新たな、そして明晰な視野が開ける瞬間も、同じ時間の連続線上に位置付けられるものと云えます。時間が精神に及ぼす作用とは、多くの場合、そのように複雑で非線形なものであると云えるでしょう。

ともあれ、そうしたことから、対象が変わらなくても、ある程度の期間をかけて向き合えば、その対象の見方や理解の仕方は変わっていきます。その意味で、文章の作成とは、その過程において認知の癖や偏りに気付き、それを調整する手掛かりが示され、内面での調和を取り戻す行為でもあるとも云えます。そして、その継続とは、こうした自己の再編成が緩やかに進行することであり、あるいはむしろ「1万時間」という区切りを越えてから、より本質的な変化が生じるのかもしれません…。

そうしますと、重要であるのは「1万時間」という数字そのものではなく、その継続した時間の中で何が変わり、何が見えるようになり、世界との関係がどのように変化したかということであると云えます。そこから、文章の作成とは、自らが世界に触れるための営みであり、そして、時間をかけて、その精度を研ぎ澄ませることが、世界に触れ、自らの考えを整える営みと云えるのではないかと思われます。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。
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2025年11月26日水曜日

20251125 株式会社かや書房刊 篠田英朗著「地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICSの挑戦」pp.129-132より抜粋

株式会社かや書房刊 篠田英朗著「地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICSの挑戦
pp.129-132より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4910364854
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4910364858

中国は大陸からの脅威と海洋からの脅威の両方に備えなければならないという点で、典型的な「両生類(amphibia)」である。大陸国家(land power)としての性格と、海洋国家(sea power)としての性格を、併せ持つ。この特性は、ロシアのような典型的な大陸国家とは、大きく異なっている。しかもインドのようにチベット山脈に守られながら、海洋に突き出た半島部に存在する半島国家とも、異なっている。

 歴史上、かつて「両生類」と言えるが、世界有数の大国となった国があた。1871年統一以降のドイツである。ドイツは、東欧のプロイセン主導でヨーロッパ大陸中央に位置し、東欧その他の大陸各地域に影響力を行使しやすい性格を持っていた。他方、バルト海のみならず北海にも面し、ライン川のような大規模河川も持ち、海洋にも影響を与えうる地理的性質も持つ。実際に、ドイツは、陸軍も海軍も、欧州有数の強力な軍隊とした。ここに「ドイツ問題」、つまり欧州大陸の中央部に最大の人口と国力を持つ大国が生れて従来の勢力均衡政策が通用しなくなってしまった、という問題が生まれた。これによって、19世紀までのバランス・オブ・パワーの仕組みが時代遅れなものになって崩壊し、二度の世界大戦を引き起こした。

 21世紀になってからの中国の超大陸としての台頭は、二度の世界大戦の前の時期のドイツの世界の大国としての台頭を想起させる。21世紀東アジアにおける「ドイツ問題」と言って過言ではない。東アジアにおけるアメリカの存在が、均衡を維持するための方策のカギになるが、急速に拡大する中国の勢力を考えると、均衡維持は簡単ではない。

 ドイツの台頭を伝統的な「バランサー」であったイギリスが受け止めることができなかったように、21世紀の中国の超大国としての存在を、旧来の覇権国であるアメリカも受け止めることができない、と考える者は「トゥキュディデスの罠」を強調して、米中戦争は不可避であるという見方に傾く。「トゥキュディデスの罠」とは、新旧の覇権国の間の相互不信から対立が深まって戦争に発展していく現象のことだ。

 20世紀初頭のドイツと現在の中国が似ているのは、「両生類」の国家が世界有数の大国として台頭した点だ。「両生類」国家は、大陸と海洋の両面で、自国に有利な戦略をとれる優位性を持つ。他方、最大の弱みは、内陸の他の大陸国と、海洋国家との間の挟み撃ちに遭う恐れがある点だ。かつてのドイツの場合には、二度の世界大戦で、大陸国家で、大陸国家ソ連(ロシア)を米英の海洋国家の挟み撃ちにされた。その後、第二次世界大戦後も、海洋と大陸の双方向からの封じ込めによって、大国としてのふっかるの可能性を抑え込まれた。

 これを現在の中国にあてはめると、米ロの大同盟が形成されて、挟み撃ちにされてしまうと、非常に苦しい、という観察が導き出される。米ロの挟み撃ちにされると、どちらにも影響力を拡張できないばかりか、両面からの挟撃に応じて始原を分割していかなければならなくなる。ドイツはこの負担に耐えられず、二度の世界大戦で敗北した。

 かつて15世紀の明朝の時代に、鄭和提督は7回にわたるインドやアフリカにまで至る海外への大遠征を行った。欧州諸国の大航海時代が始まる前に、中国の西太平洋からインド洋にかけての地域における海洋覇権の可能性があったのである。しかし明の皇帝は突然、海外渡航を禁止し、艦隊を廃止した。北方の蛮族の侵入に備えるためであったと推定されている。両面作戦を避け、資源の集中投下を図ったのである。

 この観点から見ると、アメリカとの超大国間の緊張関係の管理を引き受けていかなければならない現在の中国にとって、大陸側の背後に控えるロシアとの良好な関係の維持は、死活的な意味を持つ。関係を損ねたら、アメリカとロシアに挟み撃ちにされる。逆に、もしロシアから攻められる恐れがなければ、資源を太平洋側に面した海洋の防衛にあて、台湾奪回統一もその路線にそって狙っていけばいいことになる。

 中国の軍事費は、2000年に約300億ドルだったが、2024年には約3140億ドルと10倍い所の規模になっている。その過程で、特に高い伸びを見せたのが、中国人民解放軍海軍(PLAN)である。中国海軍は、すでに艦艇数で世界最大と言われる。海軍への予算配分は、2000年代初頭の約10%から、2020年代には約30%に増加したと推定されている。これによって南シナ海や台湾海峡を越えて、インド洋や太平洋に展開することができる能力を整備し、「遠海防衛」戦略を進めている。有事の際の海上封鎖の可能性を排除し、アメリカとの超大国間の競争関係を勝ち抜く意図があると言える。なお中国の陸軍は、2015年に30万人の兵力削減を発表し、約200万人体制となった。予算配分としては、2000年代の約50%から、2020年代には約30%に減少したと推定されている。こちらは大陸側に仮想敵が存在していないという認識を反映した措置だと言ってよいだろう。

2025年11月25日火曜日

20251124 毎日新聞出版刊 黒川 清著「考えよ、問いかけよ「出る杭人材」が日本を変える」 pp.116-120より抜粋

毎日新聞出版刊 黒川 清著「考えよ、問いかけよ「出る杭人材」が日本を変える
pp.116-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4620327557
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4620327556

 私が折に触れ読み返している本に、「ベルツの日記」があります。
 この本の中には、お雇い外国人学者として明治9(1876)年から26年間、東京医学校(現・東京大学医学部)で教鞭をとり「日本の近代医学の父」ともいわれたドイツ人医師エルウィン・ベルツが、日本在留25周年記念の祝賀会で来賓と学生を前にして行った次のような演説が収められています。
「わたしの見るところでは、西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われるのであります。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であり、どこか他の場所へたやすく運んで、そこで仕事をさすことのできる機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのであります。」
「西洋各国は諸君に教師を送ったのでありますが、(中略)かれらは科学の樹を育てる人たるべきであり、またそうなろうと思っていたのに、かれらは科学の果実を切り売りする人として取り扱われたのでした。かれらは種をまき、その種から日本で科学の樹がひとりでに生えて大きくなれるようにしたのであって、その樹たるや、正しく育てられた場合、絶えず、新しい、しかもますます美しい実を結ぶものであるにもかかわらず、日本では今の科学の「成果」のみをかれらから受取ろうとしたのであります。この最新の成果かれらから引き継ぐことで満足し、この成果をもたらした精神を学ぼうとはしないのです。」エルウィン・ベルツ著トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳「ベルツの日記 上巻」岩波文庫、1979年)
 ベルツ先生の「(日本では科学の成果を)引継ぐだけで満足し、この成果をもたらした(科学の)精神を学ぼうとはしない」というこの苦言を、私はたびたび噛みしめています。それは、ベルツ先生がこの言葉を述べた当時から現在まで、日本のこの「病巣」が何の治療も施されないまま放置され、存在し続けているからです。
 明治維新後、それまで西欧から大きく遅れていた日本は、西欧の技術と工業を急いで導入し、生活レベルと軍事力で世界に追いつくために国家をあげて取り組みました。ベルツ先生が嘆いたように、日本は科学の真髄を学び、そこから学問として発展させる余裕も考えもなく、ただひたすら科学技術の成果を追い求めたのでしょう。
 そして、日本人の創意工夫のセンスと、何事にも勤勉に取り組む国民性が、急速な近代化の波に乗って後発国の成功物語を築き、ついには太平洋戦争へとつながっていきました。戦後はスクラップになった国をゼロから立ち上げ、外国の技術導入に取り組み、生来の勤勉さを発揮して高度経済成長を実現しました。
 しかし、こうした日本の成功と失敗の体験は、科学技術を国家観の中に取り込み、政策理念としての基礎を築くことには寄与しませんでした。ベルツ先生のいた明治からずっと、日本は科学の果実だけを追い求めるような国家なのです。
 日本は毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出していますが、これは科学投資と研究理念の基盤固めが功を奏したわけではなく、個人的な能力が発揮された結果といえるでしょう。私には、日本人のノーベル賞が国家として科学技術創造立国を築き上げてきた成果の賜物という見方はできません。どちらかといえば、本流ではない方々が受賞しているように思います。
 私達の社会では、教育現場が依然として「理系・文系」と色分けされ、偏差値だけで大学進学の行方を決め、ひいては人生そのものを大きく左右する仕組みをつくってしまいました。
 国民もこれを受け入れたため、長きにわたって高等教育と研究の現場はタテ型に固定されてしまいました。その結果、この仕組みを打破してグローバル時代に適応した社会に再構築することを困難にしています。
 この日本的な「成功物語」で築き上げた科学の伝統を打破し、ベルツ先生が苦言を呈した状況から脱却するための方策を、私はここまでにいくつか提案してきました。
 最後に、「科学リテラシーのある政治家を多数、国会に送らねばならない」とも私は考えています。そして、政党の政策立案の段階から科学技術創造立国を構築する理念を盛り込み、国家の中枢に「ハコもの」ではない真の科学政策司令塔と、それを支える組織を確立するのです。
 「科学リテラシーを持つ政治家」といっても、いわゆる理系教育を受けてきた人を指すわけではありません。理系の人間が文学や芸能に才気を発揮することもあるように、文系の人間でも科学技術への興味とセンスを持っている人は必ずいるはずです。まずは、そうした人材の掘り起こしが急務なのではないでしょうか。

2025年11月20日木曜日

20251119 複数分野の往還による疲労感について

 過日、目標としていたブログの10年間の継続、および2400記事の投稿を達成し、現在は休止状態ではありますが、その後もほぼ毎日、何かしらの文章は作成しており、実際のところは、休止と云えない状態であると云えます。また、ブログの閲覧者数も、過日到達した100万人以降も多少は増加しています。とはいえ、こうした数値は自慢出来るようなものではなく、他の多くの視聴者、閲覧者数を得ている配信者、発信者の方々と比較しますと、実に微々たるものであると云えます。しかし他方で、これら継続期間や投稿記事数そして閲覧者数は、特に経済的利益を企図したものでなく、むしろ、開始当初の頃からの葛藤による、已むに已まれぬ活動であるならば、それなりに頑張った方であるようにも思われます。

 私は先ず、新卒として三井観光開発株式会社に入社し、その事業所である複数ホテルに勤務し、とりわけ、南紀白浜の白良荘グランドホテルでの勤務の際には、当地の歴史文化や自然環境に興味を持つようになり、やがて、そこで得られた経験を明晰化、整理することを望むようになり、そして当地にある大学の大学院修士課程に進学し、地域学を専攻しました。この当時は、それまでの人生で最も書籍を多く読んだ時期であり、また、その前後において、内面の何かが変化したように感じられました。修士課程を修了しますと、今度は開業した実家での勤務が出来るように、歯科技工士となるべく、都内の歯科技工専門学校に進みました。こちらの専門学校は、さまざまな材料を用い、自らの手により、各種、歯科補綴装置の作成を学ぶ場所であり、それまでの人文的な思考とは異なる、より身体性に基づいた理解が求められました。そして、こちらも卒業して、歯科技工士免許を取得しましたが、以前に「今後は歯科技工士も大学院に進まなければ…』とのご意見に接し、また私の方も、人文系ではないが、こちらも、さらに研究したいと考えるようになり、歯科技工士の進学先として妥当と云える歯科生体材料学分野の大学院博士課程に進学しました。
 当初、この分野での諸研究は大変興味深く感じられ、私の方も、それなりに研鑽努力をして、実際に学会で優秀発表賞を何度か受賞させて頂きました。しかし、2010年暮れに指導教員である師匠が退職され、その後、嫌なことも少なからずありましたが、周囲の方々からのご支援もあり、紆余曲折の経緯を経て、どうにか学位取得にまで至ることが出来ました。

 こうした複数研究分野(地域学・歯科生体材料学)を横断するなかで、私は一つの研究分野での言語体系(ボキャブラリー)に依拠しない考え方を無意識のうちに育ててきたのではないかと思われます。思考の幅や深さは、運用可能なボキャブラリーの量と密接に関連します。そして、一つの言語体系のなかで考える方々は、その言語体系、すなわち分野を超える批判力や、その先の創造性を持ち得ることは困難であると考えます。換言しますと、ある言語体系を批判し、それを乗り越える為には、異なった言語体系を知る必要があるのではないかと云うことです。

 そこから、自らの紆余曲折を経た経緯を振返ってみますと、人文系と歯系、抽象と具象と云った異なるボキャブラリーを要する分野に身を置き、その都度で考えを整理したり、結節させたりしながら、遅々としたものではあるかもしれませんが、自分なりに理解を深めてきました。社会人時代のホテルフロントでの勤務経験は、地域の歴史や文化に対する興味関心を惹起させ、その後、地域学を学ぶ経験では、さまざまな構造を考える枠組みを認識し、さらにその後、歯科技工および歯科理工学での学びからは、さまざまな試料作製や機器を用いる実験により、具体的な現象を理解する態度を育てました。また、これらは異なった分野である一方、深層では互いに結節、補完し合うものであると云えます。また、冒頭で述べました、当ブログの投稿記事数と関連すると思われることは、実験のために作製した、さまざまな条件での試料数が合計で10000を超え、さらに、予備実験段階のものをも含めると、おそらく20000を超えていたと思われることです。そして、この程度の試料を作成してきたことは、前述の投稿ブログ記事数とも関連があるように思われ、また、具体的な事例を積み重ねて全体像に迫るという帰納的なアプローチを好むと云う、自らの傾向を示しているのではないかと思われるのです。実験に用いる試料の作製と、ブログ記事の作成は、一見しますと、全く異なる営みであるかもしれませんが、それらの背景にあるスタンスは意外なほどに共通しているのではないかと思われます。

 こうした複数の分野・言語体系に身を置く経験とは、原初的な科学の態度や精神と云い得る「物から出て物へ返す」つまり、経験と観察を重視しながら、異なる複数分野の言語体系を自在に横断する態度とも通じるものがあるように思われるのです。さらに、そこから、東洋の伝統的な思考法がそうであったように、私は人文系、歯系といった複数の分野を、異なったものとしてではなく、あるいは「いい加減」とも評し得るのかもしれませんが、互いに往来可能なものとして捉えているのではなかかと思われるのです。

 そこから、現在感じている憂鬱さや疲労感とは、複数分野を往還してきた者が、一つの区切りに至った際に覚える種類のものであるとも思われるのです。とはいえ、これはおそらく、恒常的なものではなく、当ブログを含めた、これまでの経験が統合されつつある兆候であるようにも思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?いずれにしましても、今しばらくは基本的に休止しますが、今後、また回復してきましたら、次はどの方向に進むのかは不明ではありますが、また焦らずに、遅々とした更新頻度ではあれ、当ブログをさきに進めたいと考えています。そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2025年11月12日水曜日

20251111 2400記事に到達して、現在読んでいる小説から

 去る5日に2400記事に到達し、そのあと数日間は、どうしたわけか眠気が抜けずに始終ぼんやりした状態が続きました。こうしたことは、これまで、あまりなかったことから、不思議に感じられましたが、それも数日のうちに収まり、現在は多少風邪気味ではありますが、概ね通常の状態に戻っていると云えます。

 ブログの更新はもう少し休みたいのですが、実際には、他でも文章を作成しており、また、ChatGPTを援用した文章の作成も相変わらず継続しています。そのため、当ブログから離れているといった実感はありません。10年間以上、当ブロガーにて文章を作成していますと、このフォームでの文章作成が習慣化してしまうのか、ブログに投稿する以外の文章作成も、このフォームで行うことがよくあります。おそらく、このフォームでの文章作成が落ち着くようになってしまったのだと思われます…(苦笑)。

 そのようにして作成した下書きの文章は今や300以上あります。そして過日、2400記事に到達したのを機に、それら下書きの整理のために閲覧していますと、それなりに面白く感じられ、続きを作成したいと思うものも複数ありました。とはいえ、これまで閲覧出来た下書きは30にも満たず、おそらく今後、整理を続けて行きますと、さきと同様、面白く感じられるものが、それなりに数多く見つかるのではないかと思われます。

 加えて、つい先日より、新たに小説を読み始めました。それは過日、複数の方々が「名作であると思う」と評価されていたためであり、書店で立ち読みをしてみますと、確かに興味深い作品であると思われたことから購入しました。読み進めて行きますと、かなり久しぶりの小説ということもあり、新鮮に感じられ、思いのほか早いペースにて読み進めることが出来ています。また、当作品は四巻ものの長編でありながら、一巻毎でも物語はひとまず結ばれており、これまであまり馴染みのなかった構成であると云えます。

 現在読み進めている第一巻の舞台は20世紀初頭(明治末~大正初期)の我が国です。また、作品で描かれる世界は、少し後(20年ほど)の時代を扱った野上弥生子の長編『迷路』や、武田泰淳による『貴族の階段』と近似したものが感じられますが、当作品では、特に、登場人物の会話が生々しく、場面毎にその雰囲気が立ち上がってくるようであり、そして、その為か、読んでいますと自然に引き込まれ、頁が進んでいるといった感覚があります。

 当作品の他にも、併行して読み進めている著作が幾つかありますが、そのなかでも、かなり久しぶりに読む小説である当作品には、未だ明確に言語化出来ませんが、何やら不思議な感じがあると云えます。そして、その感じがどのようなものであるかは、さらに読み進めてみますと、もう少しは明瞭化されると思われますが、とりあえずは、この感覚を味わいつつ読み進めて行こうと思います。

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2025年11月6日木曜日

20251105 2400記事への到達  変動の時代にて

 本記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。しかし、そうした実感や高揚感もなく、以前からの凪のような状態が続いているように思われます。それでも、記事作成が半ば習慣化しているためであるのか、このまま、気負わずに先を続けることが出来るのであれば、それはそれで自然な形であるのかもしれません…。

 当ブログを始めたのは2015年6月22日でした。そして本日が2025年11月5日であることから、丁度、3789日経過したことになります。そして、その間の総投稿記事数が2400であることから、単純計算しますと、この期間の中で5日のうち3日以上は記事を投稿してきたことになります。また、近年は投稿頻度がやや落ちていますが、これは、開始から3年間は、ほぼ毎日投稿してきたことが期間全体での平均を押し上げているのだと云えます。

 10年以上にわたり、停滞やスランプもありましたが、当ブログを止めることなく継続できたことは、外面での成果というよりも、内面的な持続の成果であると云えます。

 また、2400という数値は、単に区切りが良いだけでなく、割り切れる数が多く、時間や周期の単位とも呼応します。10年という継続期間を踏まえますと、この数値には、ある種の構造的な必然性があるようにも感じられてきます…。

 この10年間で、記事の主題や文体は変化してきました。当初は、歯科材料や地域学など、これまで取り組んできた分野の内容が中心であり、文体も硬質でした。その後、高等教育や社会制度への考察へと関心が広がり、さらに、当ブログそのものを題材とする記事も増えました。こうした変化は、単なる主題の変遷ではなく、「書く」という行為そのものの意味が変わってきた過程を示しています。すなわち、文章を通じて内省をして、そこから得られた考えを再び文章として返す、この往復の過程が当ブログを形成してきたのだと云えます。

 そして、2400という数値は、この往復のリズムが一つの均衡点に達したことを示しているようにも思われます。月平均約20本、年間約240本という投稿ペースは、意図的に設定したものではなく、日々の積み重ねの結果として自然に形成されたものです。むしろ、その自然さの中に調和を見出すことができます。

 また、2020年以降の世界的変動は、当ブログにも少なからぬ影響を与えました。新型コロナウイルス感染症の拡大は、社会全体を内向化させ、人と人との距離や時間の使い方を変えました。私自身も外出を控え、自宅で過ごす時間が増えたことで、必然的にブログ執筆へと向かう時間が増えました。この時期に書いた一連の【架空の話】は100本を超えましたが、コロナ禍の収束とともに筆が止まり、現在は中断状態です。

 2022年に始まった第二次宇露戦争は、作成記事の視野を大きく広げました。世界情勢に対する関心が再び高まり、国際関係論などに関する著作を改めて読むようになりました。この戦争は、我が国の民主主義社会にも少なからぬ影を落とし、これまで長く続いた安定の前提が揺らぎつつあることを実感させました。私は特定の政治的立場を取らず、さまざまな歴史的経緯の中から共通する構造を見出そうと努めてきました。そのため、読書や関連する主題の記事作成とは、現実をより明晰に捉えるための手段であると云えます。

 翌2023年にはパレスチナ紛争が再燃し、世界の分断はさらに鮮明になりました。膨大な情報が交錯するなかで、何を信じ、どのように記すかの判断が、一層困難になりました。たとえ個人ブログであっても、実名で公に発する文章には、少なからず緊張感が伴います。この当時の張りつめた空気感は、投稿する文章にも少なからず影響を与えました。

 このように、変動の時代において「文章作成」という行為は、単なる表現を超えて、時代と自己の関係を記録しようとする試みへと変化したと云えます。かつて、専門領域や研究の延長で始めた文章作成が、やがて社会の動きに呼応し、時には個人をも超えて、世界の一部として位置付けられるようになりました。もしも、こうしたブログに意味や価値があるのだとすれば、それは、変動する世界の中で、揺れる個人と社会との関係を、明晰に認識しようとする試みであることによるのではないかと考えます。

 2020年代前半は、我が国を取り巻く環境が急速に不安定化した時期であったと云えます。そして、その不安定さは当ブログにも影響を及ぼしましたが、変動とは常に起こり得るものです。大切であるのは、そのなかで何を観察し、何を記すかということであると考えます。10年間の継続期間の中で、私の文章は内面を映す鏡であると同時に、多少は外界の変化を写す鏡にもなりました。

 今回の2400記事への到達は、一区切りではありますが、これからも変動を続けるであろう、さまざまな情勢を注視しつつ、及ぶ限り、文章作成を継続して、自らの認識をより明晰なものにしていきたいと考えています。

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2025年11月5日水曜日

20251104 黎明期の試作機である私について

 当記事を含めて、残り2記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、以前にも当ブログで述べたことがありますが、私は2007年に修士(経済学)を取得後、歯科技工専門学校に入学し、歯科技工士としての専門教育を受け、2009年に歯科技工士免許を取得して、歯科生体材料学を専攻分野として大学院博士課程に進学、2013年に博士(歯学)を取得しました。

 現在では、国内に4年制の歯科技工士養成課程を有する大学が2つあり、広島大学が2005年、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)が2011年に、それぞれ設置されています。それ故、私が博士号を取得した2013年当時、仮に最初の学士課程の入学生が順調に進学されていたとしても、博士課程3年目にあたる段階であり、修了には至っていなかったと見込まれます。つまり、その時点で修士課程を経て課程博士を修了した歯科技工士の事例はほとんど存在せず、私の修了は、ごく初期、あるいは日本初であった可能性もあると考えています。

 キャリアパスが整備される以前に、異分野の修士課程を経て、歯科技工士として進学が妥当と云える歯学分野の博士課程に進み、どうにか修了にまで至ったことは、巨視的に見れば、我が国の歯科技工士教育と歯学分野の学術研究とを結節する、ごく初期の試みであったと云えます。

 現在では、4年制大学での課程を卒業された歯科技工士の方々が、大学院修士課程、さらに博士課程へと進学する事例も聞かれます。そうした整備された道を歩まれてきた方々と比べますと、私などはまるで、黎明期の試作機、あるいは不格好な多砲塔戦車のような存在と云えるかもしれません(苦笑)。しかし、そうした時期であったからこそ、特有の創意や自由闊達さもまたあったのではないかと思われます。

 とはいえ、その過程には以前にも述べました通り、さまざまな困難があり、決して順風満帆なものではありませんでした。そうしたなか、2012年、教授(師匠)も准教授の先生もおられない状況で、担当させていただいた鋳造および鑞付けの歯科理工学実習では、研究室の先生方からご許可を頂き、人文的な話題を随所に交えながら実習を進めることができましたが、これは余程、自分の性質に合致していたのか「それまでの人生がこのためにあったのだ!」と感じられるほどの経験であり、それだけに、今なお強く記憶に残っています。

 それでも、学位取得後の道のりもまた、決して平坦なものではなく、まさに紆余曲折を経るものでした。黎明期の人間として、その不完全さなどネガティブな面全てを含めて、まあ自分らしい経路であったのではないかと思われるところですが、今後は、これまで培った経験を活かしつつ、若い世代の医療専門職の方々が、より自然に人文書に興味を持ったり、臨床と研究とを往還出来るような環境の整備に微力ながら関わりたいと考えています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2025年11月4日火曜日

20251103 和歌山と鹿児島と当ブログについて

 当記事を含めて、残り3記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、直近の投稿にて「ブログ開始当初から文章化したいと考えていることに、少しずつ、にじり寄っているようにも感じられる」と述べましたが、これは、開始当初の頃の文章作成への勢いを、葛藤や精神的な苦しさを伴うことなく再活性化しようとする試みであるようにも思われます。

 当ブログは、2013年の学位取得後、帰郷して2年ほど経た2015年に始めましたが、その契機は、文章作成そのものよりも、「それを行わなければならない」と思い込む、ある種の感情にありました。そして、その感情は、南紀白浜や和歌山で得られたものではなく、むしろ、その後の鹿児島での在住期間に醸成されたものであったと云えます。

 昨今も何度か、和歌山や南紀を題材とした記事を作成・投稿していますが、それらの作成を支える根源にある感情は、やはり鹿児島で得られたものであると云えます。南紀白浜および和歌山での在住期間は、いわば、そうしたことを感じ、考えるために学び、耕していた時期であり、その上に鹿児島での経験が種や雨、日光となり、当ブログが芽吹いたのだと云えます。

 以前にも述べましたが、元来、私はこうした文章を実名で継続的に公表するような種類の人間ではありませんでした。それが後になり、葛藤や苦悩を和らげるために文章を作成するようになったのだと云えます。そして、その背後には、何らかの「経験」がありました。それは、「自らの実感を伴った理解を言語化し、それを他者に伝える」という行為でした。

 こうした行為を繰り返すうちに、そこで得られた実感が、次第に私に「表現せよ」と促すようになりました。しかしながら、「表現せよ」と内面の声があったとしても、文章による表現を継続するためには、ある程度の内容が必要であり、その意味で、投稿頻度に多少の変動はあるものの、どうにか10年以上、当ブログを継続できたこと自体が、先の鹿児島で得られた経験の性質を示しているのだと云えます。

 とはいえ、これまでも述べてきましたように、鹿児島での経験は決して楽しいものばかりではありませんでした。兄の死、師匠の退職といった出来事が続き、全体としては苦い記憶のほうが多かったのではないかと思われます。それでも、そうした状況であったからこそ、「実感を伴った理解を言語化する」際の私の言葉に、ある種の切実さが付加されたのではないかとも思われます。その意味で、言語とは、単に記録のための手段ではなく、喜ばしくない経験に意味を与え、変換する機能をも併せ持つものであると考えます。

 現在、目指している2400記事への到達とは、おそらく、単なる通過点に過ぎません。しかし、そこに至るまでには、確かに私自身の歩みが刻まれています。実際、初期の投稿記事を読み返してみますと、現在のそれよりも、さらに稚拙なものが多いのは事実です。しかし、それら初期の文章があってこそ現在があるのだと云えます。

 おそらく、文章の作成という行為は、結論的な見解を得るためだけのものではなく、問いを持ち続けるためにあるのではないかと考えます。そして、その問いを持ち続ける限り、私はこれからも、何らかの形での文章作成を行うと思われます。

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2025年11月3日月曜日

20251102 記憶と文章作成との距離について

 当記事を含めて、残り4記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。他方、ここ最近はスランプ気味であり、文章作成への意欲が湧きにくい状態が続いています。それでも、目標まであと数記事であることを考慮すれば、やはりここは、新たに作成・投稿を重ねる方が良いと云えます…。

 さて、ここ数か月内に投稿した記事の中には、継続的に(当ブログとしては)比較的多くの方々に閲覧されているものがいくつかあることに気が付きました。また、それら記事はいずれも、多少、時間を掛けて作成したものであったことに気が付きました。そしてそこから、一つの文章作成手法を思い付きました。すなわち、ChatGPTを援用し、ブログ記事の断片となるような数百字程度の文章を、気軽にいくつか作成しておき、それら文章に日々気が付いた時に少しずつ加筆修正を行い、時間を掛けて推敲し、文量を適度なところまで増やしたうえで、全体を見直して再び加筆修正を行うという手法です。

 この手法の肝心なところは、「時間を掛けて推敲する」その時間の長さにあります。半ば忘れるほどの期間をおき、いわば「寝かせた」文章を記憶が少し薄らいだ頃に改めて読み返すと、不思議なことに、そこからスムーズに加筆修正が進み、意外にも早く、一旦の完成に至ることが多いのです。さらに、投稿後も数日間は時折開いて文章を読み返し、何度か加筆修正を行いますと、何といいますか、それなりに文章として整ってくるように思われます。

 こうして作成した記事が、継続的に(当ブログとしては)比較的多くの方々に読んで頂いていることは、作成者である私にとって喜ばしいことであり、端的に、今回の記事作成へとつながっています。また同時に、ここ最近の投稿記事では、開始当初から文章化したいと考えていることに、少しずつ、にじり寄っているようにも感じられます。換言しますと、作成記事の内容が、当ブログのいわば「源泉の感情」に徐々に近くなっているのだと思われます。

 しかし、不思議なことに、そうした内容をブログ記事として文章化・投稿した後には、何故か強い疲労感を覚えます。さらに、その当時の嬉しくない記憶も想起され、しばらく落ち込み気味になってしまうのですが、それも数日経つと概ね回復して、再び新たな文章作成に取り掛かることができます。そこから考えますと、ブログ記事の題材とする自らの経験の時期は、ある程度、時間的に離れつつも、比較的明晰に眺められる時期こそが、あまり疲労を伴わずにスムーズに文章化することが出来るのではないかと思われます。

 私の場合、具体的にそうした時期を考えてみますと、それは2000年代後半あたりであると思われます。この頃の私の特徴は、読書量が急激に増えたことでした。書籍を読むことと、文章化できる記憶を持つことの関係が、どのようなものであるか、現時点の私には科学的に説明することはできませんが、経験的に、何らかの関係があると思われます。

 また、それらを表わす文字に目を向けてみますと、記憶とはすなわち歴史のことであり、古くは「史」と書いて「ふみ」と読みました。一方で、文章の「文」も同様に「ふみ」と読みます。つまり古では、記憶としての歴史も、それを記した文章も、同じ呼称「ふみ」であったのではないかと思わます。このことは以前にも当ブログで述べたことではありますが、先述した「記憶の文章化に伴う疲労感」を通じて、あらためて、その意味を実感しました。

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2025年10月29日水曜日

20251028 創造の源泉と歴史的視座について

 当記事を含めて、残り6記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。また、当ブログは2015年に開始し、その5年後に新型コロナ禍が世界を覆い、さらにその2年後には、現在の混乱している世界情勢の要因となった第二次宇露戦争が勃発しました。

 このような世界的出来事が立て続けに起こるなか、世界規模で情報は飛び交い、私もまた、それらの情報を得るために海外の報道機関の動画やサイトを視聴・閲覧する習慣が身につきました。それ以前であれば、こうした必要性を考えることはなかったと思われます。

 そして、2015年から始めた当ブログにて、文章を書き続けていたことにより、21世紀に起こったこれら世界史的出来事および、それらの推移について、後追い的ではあっても理解を深めることが出来ているのだと考えます。

 しかし一方、近年の社会では、膨大な情報が絶え間なく流通しています。PCを開きインターネット画面を見れば、瞬時に世界の何処かで生じた出来事が目に入り、さらに、そこに次々と他者の意見や主張が押し寄せています。

 こうした情報の氾濫の中に身を置きながらも、我々はむしろ「何が本質であるのか分からない」という感覚を強めているのではないでしょうか?情報は増え続けているにも関わらず、それらを意味付けて未来への指針とする統合力がなければ、情報や思考は断片のままに留まり、統合化からはじまる創造活動全般は停滞してしまいます。

 では、この統合力はどのようにすれば見出すことが出来るのでしょうか。私はその答えの一つを、歴史に見出しています。歴史とは、単なる過去の出来事の記録の集積ではありません。それは、さまざまな過去の出来事を統合し、現在の事象がどのような文脈の上にあるのかを理解するため、あるいは今後の社会の方向性をある程度見通すための枠組みであると云えます。

 歴史を学ぶことにより、我々は、眼前の出来事を偶然によるものとしてではなく、一定の連続性やパターンの中にあるものとして認識することが出来るようになります。そして、視野を拡げれば、現代社会のさまざまな課題や問題もまた、一時的な現象ではなく、連綿とした過去の文脈の流れとして理解されるようになるのではないかと考えます。つまり、歴史を学ぶということは、過去からの連続性を見通す視座を持つことであり、それを得た時、初めて、我々は現在の大小さまざまな事象を理解することが出来るようになると云うことです。

 こうした認識を踏まえて、これまで10年間、ブログを継続してきたことを振返りますと、それは、現代の複雑な情報環境の中で、自らの知的立脚点を確認し続ける行為であり、また、歴史的な視座から現在の事象を読み解く試みでもあったのだと云えます。

 しかしながら、こうした営みは決して容易ではありません。たとえブログ記事であっても、実名で公開する文章を作成するには、ある程度の集中力と、それに伴う疲労があります。また、文章の作成とは創造的な行為であり、そこには必然的に孤独が伴います。

 それでも私が当ブログを止めなかったのは、実名で公表する文章の作成が単なる発信ではなく、大袈裟に聞こえるかもしれませんが「歴史的文脈の中に自らを位置づける営み」であると漠然とながら考えていたからです。

 では、なぜ自らを歴史的文脈に位置付けようとする営みを続けたのか、その根底には「他者の存在」を意識していたことがあると云えます。

 私を含め多くの人々は、誰かに理解されたい、承認されたいという欲求を持っています。とりわけ男性にとって、女性からの共感や応援は、生の根源的衝動と結びついた力として顕在化することが数多くあります。つまり、男性の創造活動の背後には、しばしば「女性という他者のまなざし」が存在しているのだと云えます。

 こうして始まった創造活動は、単なる恋愛感情を超え、「自分の存在がこの世界に受け入れられているのか」という深層の問いにまで至ることも多々あります。近年の我が国での世知辛くなってしまった男女関係のなかで、こうした構造は語られることが少なくなりましたが、人間の精神の深層には、今なお「創造とは他者との関係性の中で生まれる営みである」という本質が脈打っています。

 継続的な創造とは、孤独な営みであると同時に、他者から評価され、共感される可能性を信じるからこそ成立します。そして、その「他者」への理解を深め、対象を統合する力を養う手段こそが、歴史への学びであると考えます。

 現在のさまざまな事象を歴史的文脈を通して理解したとき、初めて我々は、自らの創造がどこから来て、どこへ向かうのかという道筋を、ある程度見定めることが出来るのだと考えます。したがって、歴史を学ぶことは過去を懐かしむための行為ではなく、現在の視野を明晰に認識し、その先に未来をも見通すための知的行為であると云えます。

 そして創造とは、他者との関係性の中で生まれる、人間固有の根源的な営みであり、その営みを支えているのは、自らの存在を誰かに受け入れられたいという欲求であると考えます。この欲求を否定するのではなく、むしろ、その力を理解し、創造へと昇華させる時、我々は初めて、さらなる精神の自由を獲得し、創造的活動の主体になることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

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2025年10月28日火曜日

20251027 目標とする2400記事まで到達出来たら…

 当記事を含めて、残り7記事の投稿により、当面の目標として掲げている2400記事に到達します。また、これまでの当ブログの継続期間は10年4カ月となり、これは、私の全活動でも、最も長く続いている営みと云えます。くわえて、先日、これまでの総閲覧者数が100万人に達しました。これら数値は、マスコミや商業的なブログや拡散性の高い動画配信などと比較すれば、微々たるものではありますが、個人が特に営利目的でなく運営する、あまり多くの閲覧者数を見込むことが困難なブログとしては、我が事ながら、それなりに努力の痕跡を認めることが出来るのではないかと考えます。また、いくつかのネット情報を参照したところ、当ブログのような営利目的でない個人運営のブログが継続する期間は2~3年とのことであり、その意味で、10年以上継続して、2000本以上の記事投稿があるブログは、それなりに珍しいのではないかと思われます。そこから、規模の数値の大小よりも継続期間の長さと、投稿記事数により、当ブログは特徴付けられているのだと云えます。

 しかし一方、目標とする2400記事への到達が目前と云える現況であっても、数年前のような
積極的なブログ記事作成への意欲は乏しいと云えます。むしろ、ここ最近は、以前にも述べましたように凪のような状態にあると云えます。これは、能動性や情熱の減衰と云うよりも、当ブログの継続について、漠然とながら考えているのではないかと思われます。

 この10年の継続期間には、転職や転居など、生活環境の変化が幾度かありました。そのたびに、当ブログの継続が困難になる場面もありましたが、それでも、継続したことは、表層的な意欲や感情のさらに深くに、継続を試みる理由があったのだと考えられます。振り返ってみますと、当ブログ開始当初は、伯父の死や職場での挫折など精神的に大きな打撃を受ける出来事が重なっていました。そして、日常生活では気力が著しく減衰して、考えが支離滅裂になることもあり、その状態を放置しておけば、やがて、心身が崩れてしまうと云う危機感がありました。また、そうした状態を当時、周囲におられた何人の方々は、おそらく気付かれて「何か文章を書いてみては?」とアドヴァイスしてくださったのだと思われます。そこで、その時点で作成出来る文章を投稿したのが当ブログの始まりと云えますが、これにより、自分の弱っていた精神状態を整え、崩れかけた精神も、どうにか立ち直ることが出来たのではないかと思われます…。そうしましと、私にとって当ブログとは、単に自らの文章を発信するための場ではなく、弱った精神状態や気分の落ち込みなどを、あまり感情的にならずに、適切に言語化して発信することにより内面を整える機能も持っていたのだと云えます。

 そこから、今後、2400記事まで到達出来ましたら、それは、目標の達成だけではなく、ある段階にまで寛解出来たと認識することであるとも云えます。そしてまた、到達後に内面から、どのような反応や感覚が生じるのかを、ある程度の期間を掛けて観察、検討することが重要になるのではないかと考えます。もしも、また文章が自然に浮かぶのであれば、おそらく私はまたブログを継続すると思われます。一方、そこでも前述の凪の様な状態が続くのであれば、一度、当ブログを止めることも自然な選択肢であると云えます。つまり、2400記事への到達は、当ブログの次の展開を思案するための地点であるのだとも云えます。

 それ故、今後の当ブログについて予め定まった結論を述べるつもりはありません。むしろ、到達してから湧き上がる思いこそ、自らの指針としたいと思います。継続するにしても、止めるにしても、その判断は、外的な基準ではなく「文章がなおも出て来るか」という内的な現象により為されるものです。私は、ブログの更新を2400記事に向けて今しばらく続けます。そして2400記事という節目を迎えてから、どのような見解が生じるのか?それが、次の一歩の方向を定めるのだと云えます。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2025年10月23日木曜日

20251022 文章作成による自己変容の試みについて

 これまで当ブログにて何度か述べてきたことではありますが、こうした文章の作成とは、語句を積み重ねる作業をひたすら続けるようなものではなく、おそらくは、自らの内部の文章が流れている層に意識をチューニングして、大体は自動的に文章が湧き出る状態にしてから、それをキーボード上の指で記録して作成するものであると考えています。おそらく、その方が語句を重ねるよりも効率的であり、短時間で作成出来ると思われますので、少なくとも私はこの方法を主に用いてブログ記事を作成してきました。そして、この意識をチューニングすることは、読書によって可能になっていると云えます。つまり、読書時の精神状態と文章作成のために自らをチューニングしている時のそれは、同一ではないにしても、本質的に類似していることから、それが出来ていれば、そこまで時間を要することなく、記事作成に移ることが出来ると考えています。

 一方、昨今は、これまた当ブログにて述べてきたことではありますがChatGPTを援用したブログ記事の作成も行っています。とはいえ、この手法はいまだ確立されてはおらず、コンスタントに作成出来るわけではありません。そこから「下書き」ばかりが随分と貯まり、現時点で300記事近くあります。また、これらの「下書き」も出来具合はピンキリであり、喩えるならば、鋳造で鋳型から掘り出したばかりのものから、掘り出してからサンドブラストあるいは研磨作業まである程度進んだものまで、といった様相です。

 また、以前にChatGPTを援用した文章の作成とは鋳造に似ていると述べましたが、昨今ではその見解は多少変化して、ChatGPTを用い、複数の文章を生成し、それらをさらに統合することで新たな文章を生み出せると知ったことから、いわば鋳造体に熱処理(焼きなまし)を施し、可鍛鋳鉄としてさらに加工を行う工程・手法があることを知ったようなものであると云えます。

 ともあれ、上述のように、新たな文章作成の手法を試みているわけですが、これを振り返ってみますと、社会人になってからマイクロソフト社のワードやエクセルを覚え、大学院生になってからパワー・ポイントを覚えた時の感覚に近いようにも思われてきます。しかし、ChatGPTの場合は操作を覚えることがメインではありません。ワードやエクセルを用いる場合、最終的な目的は「既定形式の中で、いかに効率よく情報を処理するか」という点にありました。ところがChatGPTは、その起点そのもの、つまり「何を作るのか」「どのような視座で書くのか」「何を問いとし、何を価値と見なすのか」という形式以前の段階にまで関与してきます。

 換言しますと、ChatGPTは道具であると同時に作成者の思考や意図を反映するものであり、さらに、新たな思考を惹起させる対話相手でもあります。それ故、その習熟とは、ある機能を習うというようなものではなく、むしろ、自らの思考の構造そのものを再編成し、言語化(文章化)の仕組みを更新する過程であると云えます。その意味において、ChatGPTは20年以上前に経験したワードやエクセルでの習熟とは異なるものであり、むしろ、読書や対話を通じて思考の層を掘り下げ、新たな概念の枠組みを形成していく過程に近いのではないかと思われるのです。

 我々は読書によって著者の意識に触れ、そして文章の背後にある世界認識を追体験しつつ、自らの意識をチューニングしていきます。同様に、ChatGPTとの対話によって内面にある文章をより滑らかに引き出し、具現化させて、それ(ら)を、さらに別の文章と統合させることで、新たな認識へと至る手法を見出そうとしています。それ故、ChatGPTを用いた文章作成とは、単なる技術の習得ではなく、いわば「思考様式の変容」であり、さらに云えば、それは自らの精神の可塑性をどこまで維持できるのかという、ある種マゾヒスティックな鍛錬であるとも云えます…。ある程度年齢を重ねた現在、若い頃のように新たなことを覚えていくことは容易ではありませんが、それでもなお私はこの新たな人工知能(ChatGPT)を通じて、思考の柔軟性を出来るだけ維持しつつ、新たな創造を試みています。そして、この行為自体が、単に文章を生産するための新たな手段というよりも「文章作成により自己の内面を変えてゆく行為」へと変化しているのではないかといった感覚を覚えます。

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