2025年10月29日水曜日

20251028 創造の源泉と歴史的視座について

 当記事を含めて、残り6記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。また、当ブログは2015年に開始し、その5年後に新型コロナ禍が世界を覆い、さらにその2年後には、現在の混乱している世界情勢の要因となった第二次宇露戦争が勃発しました。

 このような世界的出来事が立て続けに起こるなか、世界規模で情報は飛び交い、私もまた、それらの情報を得るために海外の報道機関の動画やサイトを視聴・閲覧する習慣が身につきました。それ以前であれば、こうした必要性を考えることはなかったと思われます。

 そして、2015年から始めた当ブログにて、文章を書き続けていたことにより、21世紀に起こったこれら世界史的出来事および、それらの推移について、後追い的ではあっても理解を深めることが出来ているのだと考えます。

 しかし一方、近年の社会では、膨大な情報が絶え間なく流通しています。PCを開きインターネット画面を見れば、瞬時に世界の何処かで生じた出来事が目に入り、さらに、そこに次々と他者の意見や主張が押し寄せています。

 こうした情報の氾濫の中に身を置きながらも、我々はむしろ「何が本質であるのか分からない」という感覚を強めているのではないでしょうか?情報は増え続けているにも関わらず、それらを意味付けて未来への指針とする統合力がなければ、情報や思考は断片のままに留まり、統合化からはじまる創造活動全般は停滞してしまいます。

 では、この統合力はどのようにすれば見出すことが出来るのでしょうか。私はその答えの一つを、歴史に見出しています。歴史とは、単なる過去の出来事の記録の集積ではありません。それは、さまざまな過去の出来事を統合し、現在の事象がどのような文脈の上にあるのかを理解するため、あるいは今後の社会の方向性をある程度見通すための枠組みであると云えます。

 歴史を学ぶことにより、我々は、眼前の出来事を偶然によるものとしてではなく、一定の連続性やパターンの中にあるものとして認識することが出来るようになります。そして、視野を拡げれば、現代社会のさまざまな課題や問題もまた、一時的な現象ではなく、連綿とした過去の文脈の流れとして理解されるようになるのではないかと考えます。つまり、歴史を学ぶということは、過去からの連続性を見通す視座を持つことであり、それを得た時、初めて、我々は現在の大小さまざまな事象を理解することが出来るようになると云うことです。

 こうした認識を踏まえて、これまで10年間、ブログを継続してきたことを振返りますと、それは、現代の複雑な情報環境の中で、自らの知的立脚点を確認し続ける行為であり、また、歴史的な視座から現在の事象を読み解く試みでもあったのだと云えます。

 しかしながら、こうした営みは決して容易ではありません。たとえブログ記事であっても、実名で公開する文章を作成するには、ある程度の集中力と、それに伴う疲労があります。また、文章の作成とは創造的な行為であり、そこには必然的に孤独が伴います。

 それでも私が当ブログを止めなかったのは、実名で公表する文章の作成が単なる発信ではなく、大袈裟に聞こえるかもしれませんが「歴史的文脈の中に自らを位置づける営み」であると漠然とながら考えていたからです。

 では、なぜ自らを歴史的文脈に位置付けようとする営みを続けたのか、その根底には「他者の存在」を意識していたことがあると云えます。

 私を含め多くの人々は、誰かに理解されたい、承認されたいという欲求を持っています。とりわけ男性にとって、女性からの共感や応援は、生の根源的衝動と結びついた力として顕在化することが数多くあります。つまり、男性の創造活動の背後には、しばしば「女性という他者のまなざし」が存在しているのだと云えます。

 こうして始まった創造活動は、単なる恋愛感情を超え、「自分の存在がこの世界に受け入れられているのか」という深層の問いにまで至ることも多々あります。近年の我が国での世知辛くなってしまった男女関係のなかで、こうした構造は語られることが少なくなりましたが、人間の精神の深層には、今なお「創造とは他者との関係性の中で生まれる営みである」という本質が脈打っています。

 継続的な創造とは、孤独な営みであると同時に、他者から評価され、共感される可能性を信じるからこそ成立します。そして、その「他者」への理解を深め、対象を統合する力を養う手段こそが、歴史への学びであると考えます。

 現在のさまざまな事象を歴史的文脈を通して理解したとき、初めて我々は、自らの創造がどこから来て、どこへ向かうのかという道筋を、ある程度見定めることが出来るのだと考えます。したがって、歴史を学ぶことは過去を懐かしむための行為ではなく、現在の視野を明晰に認識し、その先に未来をも見通すための知的行為であると云えます。

 そして創造とは、他者との関係性の中で生まれる、人間固有の根源的な営みであり、その営みを支えているのは、自らの存在を誰かに受け入れられたいという欲求であると考えます。この欲求を否定するのではなく、むしろ、その力を理解し、創造へと昇華させる時、我々は初めて、さらなる精神の自由を獲得し、創造的活動の主体になることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
一般社団法人大学支援機構

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ISBN978-4-263-46420-5

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