2026年1月20日火曜日

20260120 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.127-130より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.127-130より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450 

マーク・ザッカ―バーグがオンラインで人類を統一することを夢見ているのに対して、オフラインの世界で最近起こっている出来事は、「文明の衝突」という見方に新しい命を吹き込んでいるように見える。多くの有識者や政治家や一般市民は、シリアの内戦やイスラミックステート(イスラム国)の台頭、ブレグジット騒動、EUの不安定な状態はみな、「西洋文明」と「イスラム文明」の衝突に起因すると信じている。西洋がイスラム諸国に民主主義と人権を押しつけようとしたため、イスラム教の暴力的な反発を招き、イスラム教徒の移民の波とイスラム教徒によるテロ攻撃が相まって、ヨーロッパの有権者は多文化の夢を捨て、外国人を嫌って地元のアイデンティティを優先する道を選んだというわけだ。

 文明の衝突という見方によれば、人類はこれまでずっとさまざまな文明に分かれて暮らしてきており、異なる文明に属する人々は、相容れない世界観を持っているという。これらの相容れない世界観のせいで、文明間の争いは避けられない。自然界では冷酷な自然選択の法則に従ってさまざまな種が生存競争を繰り広げるのとちょうど同じで、文明は歴史を通して衝突を繰り返し、適者のみが生き延びてきたのだ。自由主義の政治家であれ、空想にふける技術者であれ、この厳然たる事実を見過ごす人は、重大な過ちを犯している。

 「文明の衝突」という見方には、広範に及ぶ政治的意味合いがある。この見方を支持する人は、以下のように主張する。「西洋」と「イスラム世界」との折り合いをつけようとする試みはすべて失敗に終わる運命にある。イスラム諸国はけっして西洋の価値観を採用しないし、西洋諸国はイスラム教徒の少数派をけっしてうまく受け容れることはできない。したがって、アメリカはシリアやイラクからの移民を入国させるべきではないし、EUは異文化の共存という誤った考え方を捨て、平然と西洋のアイデンティティを掲げるべきだ。長期的には、たった一つの文明だけが自然選択の情け容赦ないテストを生き延びるのであり、ブリュッセル〔訳注 EUの本部の所在地〕の官僚たちが西洋をイスラム教の危険から救うのを拒否したら、イギリスやデンマークは、独自にそうしたほうがいい。

 この見解は広く支持されているものの、誤解を招きやすい。イスラム原理主義は現に過激な難問を突きつけてくるかもしれないが、イスラム原理主義が挑んでいる「文明」は、西洋独特の現象ではなく、グローバルな文明だ。だからこそ、イスラミックステートに対抗してイランとアメリカが手を結んだのだ。そして、イスラム原理主義者たちでさえ、中世の幻想にあれほど浸っているにもかかわらず、七世紀のアラビアよりも現代のグローバルな文化にはるかにしっかりと根差している。彼らは、中世の農民や商人の恐れや希望にではなく、現代の疎外された若者の恐れや希望にうまくつけ込んだり応じたりしている。パンカジ・ミシュラとクリストファー・デ・ベレイグが説得力を持って主張しているとおり、過激なイスラム原理主義者たちはムハンマドだけではなくマルクスやフーコーにも大きな影響を受けており、彼らはウマイヤ朝やアッバース朝の支配者ばかりでなく、十九世紀ヨーロッパの無政府主義者の遺産も受け継いでいる。したがって、イスラミックステートでさえも、どこかの謎めいた異質の系統の分枝というよりもむしろ、私たち全員が共有するグローバルな文化の、正道を逸脱した枝と見るほうが正確だ。

 さらに重要なのだが、「文明の衝突」という見方を支えるために、歴史と生物学の類似性を想定するのは間違っている。小さな部族かた巨大な文明まで、人間の集団は根本的に動物の種とは違うし、歴史上の争いは自然選択の過程とはおおいに異なる。動物の種は何千世代にもわたって存続する客観的なアイデンティティを持っている。あなたがチンパンジーかゴリラかは、あなたの信念ではなく遺伝子次第であり、異なる遺伝子が異なる行動を左右する。チンパンジーはオスとメスが混ざった集団で暮らす。彼らはオスとメスの両方から支持者を集めて連合を確立することで権力を競う。それとは対照的に、ゴリラの場合には一頭の支配的なオスが複数のメスから成るハーレムを形成し、自分の地位に挑みかねない他の大人のオスはみなたいてい追い払う。チンパンジーはゴリラのもののような社会体制は採用できないし、ゴリラはチンパンジーのようには自らを組織できない。そして、私たちの知るかぎりでは、チンパンジーとゴリラのそれぞれ特徴的な社会制度は、過去数十年どころか、何十万年にもわたってまったく変わっていない。

 ところが、人間の場合はまるで違う。たしかに人間の集団も明確な社会制度を持ちうるが、それらは遺伝的に決まるわけではなく、数世紀以上存続することはめったにない。たとえば、二〇世紀のドイツ人を考えてほしい。一〇〇年にも満たぬ間に、ドイツ人は自らを六つの非常に異なる制度に組織した。ホーエンツォレルン帝国、ワイマール共和国、第三帝国、ドイツ民主共和国(共産主義の東ドイツ)、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、そして最後が再統一された民主主義のドイツだ。もちろんドイツ人は同じ言語とビールとブラートブルスト〔訳注 ドイツの国民的なソーセージ〕を愛する気持ちを持ち続けた。だが、ドイツ国民を他のあらゆる国民と区別し、ヴィルヘルム二世の時代からアンゲラ・メルケルの時代まで変わらなかったドイツ人ならではの本質など、あるだろうか?そして仮にあなたが何か思いついたとして、それは一〇〇〇年前、あるいは五〇〇〇年前にもあっただろうか?