2022年6月15日水曜日

20220615 株式会社講談社刊 講談社学術文庫 大林太良著 「神話の系譜―日本神話の源流をさぐる」

株式会社講談社刊 大林太良著 「神話の系譜―日本神話の源流をさぐる」
pp.114‐116より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061589571
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061589575

「古事記」や「日本書紀」によれば、天皇家の遠祖は高天原の主神で太陽の女神であるアマテラスであったし、その孫のニニギが筑紫の日向の高千穂峰に天降り、それ以来、子孫がこの国土の支配者となった。ここに見られる考えは、王権ないし天皇の神聖性の根源が天にあるという考えである。

ところがその一方では、これほど強調されてはいないが、海に王権の根源があるという考えも、記紀神話には見られる。つまり、アマテラス自身も筑紫の日向橘の小門でイザナキがみそぎをしたときに生まれたのであったし、また、天神の子孫(ヒコホホデミとウガヤフキアエズ)が海神の娘トヨタマビメやタマヨリヒメと結婚し、ヒコホホデミとウガヤアエフキアエズの子)が初代の天皇神武になったと記されているのである。

 王権の海との関連は、神話ばかりでなく、儀礼にも見られる。つまり八十嶋祭であって、文献上は850年から1232年までの400年近くの間に22回記録されているが、その起源はもっと古いものらしく、岡田精司によると、おそらく5世紀までさかのぼると思われる。この八十嶋は即位儀礼の一環をなすもので、イザナキ、イザナミの国生み神話と密接な関連をもち、難波津において《大八洲》を新たに即位した天皇に付着させ、国土の支配者としての神聖性を付与するものだったのである。

 ところで、王権の根源が天にあるという考え方と、海にあるという考え方は両方とも朝鮮にも存在する。

 まず第一の考えに関しては、喜田貞吉、三品彰英、岡正雄らの諸氏が指摘したように、日本の天孫降臨神話は朝鮮古代の諸王朝の始祖神話と密接な関係をもっている。つまり、日本神話ではニニギが筑紫の日向の高千穂のソホリの峰、あるいはクシフルの峰に天降ったように、古朝鮮の檀君神話では、天神の子桓雄が太伯山の山頂の神檀樹の下に天降ったし、また駕洛国の開国神話では、同国王の始祖首露は聖峰亀旨に天降った。

 このように支配者が山上に降臨するという点で日本と朝鮮の神話は類似しているばかりでない。そのほかにも、たとえば桓雄の場合、日本のニニギが天からもたらした三種の神器に相当する三種の宝器を持参しているし、また、ニニギにつき従った五伴緒に相当する三職能神が彼に従って天降っている。 またさらに、日本の天孫ニニギがマトコオフフスマに包まれた嬰児の形で天降ったよう
に、朝鮮でも駕洛国の始祖王首露、新羅の初代王赫居世、金氏の始祖閼智なども嬰児の姿で天降り、首露と赫居世は最初の統治者になったと伝えられている。しかも首露の場合、この天降りった神人は海浜の乙女と結婚したことになっており、ちょうそニニギが天降って後、笠沙の御前でコノハナサクヤビメと結婚したのと対応している。

20220614 株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻 pp.76-78より抜粋

株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻
pp.76-78より抜粋
ISBN-10 : 4480084878
ISBN-13 : 978-4480084873

地方信仰の内容は、先祖が空から山頂に降って来た、ということであったにちがいない。第三のタチハヤヲの場合には、天孫降臨との関係が切れている。天から降って松の木に居た神が、その方へ向いて大小便をする近所の人々に祟る。そこで祭をして、近所迷惑だから山の方へ行ってくれと頼むと、納得して山上へ移った、という。この話は、祭(ここでは中央から専門家が来て祭をしたことにしている)の機能の一つが、祟りの統御にあったということを、示しているだろう。またこの種の神は、おそらく無数に居たであろうことを、その多くが天から降ったとされていたであろうことも、想像させるのである。あるいは祖先神として、あるいは祟りの神として、雨の如く、霰の如く、国中に降ってきた神々の多くは、降臨を天孫一本にしぼった「記」・「紀」の体系に組み込まれることで、ほろび、忘れ去られたのであろう。その体系以前を、「風土記」の記述は辛うじて窺わせるのである。

 神々と係らぬ世俗的な伝説や民話は、「常陸国風土記」に多いが、「出雲国風土記」や「播磨国風土記」にも出ていて、その多くは地名の由来を説明するという形式で語られている。そこには儒・仏の影響がほとんどない。わずかに「播磨国風土記逸文」の浦嶋の話は、話の全体に蓬莱山という神仙思想の影響がみられる。しかし後述するように浦嶋の話は、話の全体が大陸に由来すると思われるから、一般に神仙思想の影響を誇張して考えることはできない。

「常陸国風土記」には、「くず」を征伐する話がある。そのなかでも、那賀の国造の祖というタケカシマノミコトが、城砦に拠って抵抗する「くず」を、七日七晩の歌舞によって誘い出し、出て来たところへ騎兵を放って、みな殺しにするという話は、大化改新以後権力の集中へ向かった王権のイデオロギーを反映しているだろう。「記」・「紀」においても、伝説的王は、手強い相手を、だまし討ちにすることに長けていた。しかしこのような征伐の話は、むしろ例外であって、「風土記」の伝説と民話の世界は、しばしば人間化した神を登場させながら、その神とさえも係りのない人間と身近な動物との小さな紛争や和解の話にみちている。

動物は、蛇、白鳥、鹿、兎、鮫などである。人間の女の生んだ蛇が長じて雷になったり(「常陸」、那賀郡)、白鳥が少女になったり(「常陸」、香島郡)、天女が白鳥になったりする(「近江」逸文。「帝王編年記」所引)。鹿(「豊後」、速水郡)や兎(「塵袋」第10所引の「因幡記」は、人間の言葉を喋る。羽衣を盗られた天女が人間になって地上に住み得ること(上記白鳥となった八人の天女のうちの一人)はいうまでもない。そのなかでも鮫に娘を食われた父親が、怒り、歎いて、神々に祈ると、1000匹以上の鮫が一匹の鮫をかもんで岸まで連れて来た、という話は、典型的である。

父親がその鮫を殺して割くと、娘の脛が出てくる(「出雲」、意宇郡)。神々の助けがなければ、父親は娘を食った鮫を発見して捉えることができなかったはずだろう。神々の介入は、他の多くの場合と同じように、話のすじの必要である。しかし話の迫力は、父親の怒りと歎きにあり、話の強い印象は、割かれた鮫の腹から出てきた女の脛である。親子の情と、感覚的な細部。「今昔物語」(本朝世俗篇)の徹底した現実主義が、まだここにあるわけではない。しかしそれは全く別の世界の話ではない。主人公の行動的な性格、状況の実際的な判断、全く人間的な感情、鮮明な感覚、-そしてその他の何ものも排除されているか、二次的な添物にすぎない世界が、すでに「風土記」のなかにはあった。