2021年10月16日土曜日

20211016 10月14・15日投稿の2引用記事の投稿経緯について・・

おかげさまで、去る13日投稿分の「既投稿記事をいくつかまとめたもの⑩」も、その後比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。さて、当記事を投稿の後、床に就き、翌朝、目が覚めて、まだ少しボンヤリとしている時に、おぼろげながら「昨日の記事に書いた白良浜で紀州鉈を手にした職人の方々を見て驚いたのと類似した感覚は、司馬遼太郎による、どこかの短文にもあったと思うが・・。」といった意見が浮かんできました。

この意見は、もちろん私自身のものではありますが、同時に、私の中の第三者のような何かからの意見のようでもあり、少なくとも、ここで文章を作成している主体としての私は、そうした意見は持っていなかったと云えます(大岡昇平の「俘虜記」の冒頭近くにそうした記述がありました。)。ともあれ、この意見をしばし検証してみますと「かなり以前に購入した司馬遼太郎による中公文庫版「歴史の中の日本」の中に終戦直後の頃、山伏のことを見てビックリしている占領軍のことが書いてあったような・・。」といったことがさらに明瞭に思い出され、さらに、それはブログ記事の題材にもなり得ると考えて、後刻、その著作を思い出せるようにと、卓上のメモ紙に「歴史の中の日本」、司馬遼太郎と走り書きをしておきました。そうして身支度も終えて家を出たわけですが、帰宅後にPC前に置かれた、このメモ紙を見て「ああ、そうだった。今日はこの文章を引用して記事にするのだ。」と思い出し、当著作の置いてある場所を思い出し、そして、取り出してから記事作成に取り掛かったわけですが、こうした経緯があることもまた、それはそれで記事題材になり得ることから、私にとっては、面白いと同時に貴重なものであるとも云えます・・(笑)。

さて、そしてその翌日もまた書籍(ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」)からの引用記事でしたが、もともと、この日、10月15日は、記事作成をしないでおこうと考えていましたが、不図、就寝前に観ていた動画ニュースにて、はじめて「ハイブリッド戦争」というコトバが使われていることに気が付き、この未だ比較的珍しいと云えるコトバの説明が、さきの著作内にあったことが思い出され、当著作はすぐに思い出せる場所に置いてあったことから、頁を開いて、該当記述部を見つけ、既に時刻も遅かったことから、すぐに引用記事として作成・投稿しました。

こうした経緯もまた、微細ながらも世相の推移を示すものであり興味深いものと云えます。そして、ここ2日間の投稿記事の経緯について述べ、そこから、書籍からの引用も大事であるとは思われましたが、他方で、一連の当ブログに関しては、やはり、自分の文章で作成した記事を主軸とした方が良いと思われることから、ここに、そのことを述べた記事を作成することにしました・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。











20211015 筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」 pp.60-62より抜粋

筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」
pp.60-62より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480073957
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480073952

ところで、「ハイブリッド戦争」という言葉は、ウクライナ危機に際して発明されたものではない。この言葉を最初に用いたのは米海兵隊のジェームズ・マティス中将(のちにトランプ政権下で国防長官を務めたことで知られる)と米海兵隊退役大佐のフランク・ホフマンであった。

米海軍の機関紙「プロシーディングス」に掲載された2005年の論文「将来戦ーハイブリッド戦争の台頭」(Mattis and Hoffman 2005)で両名が主張していることを、筆者なりに簡単にまとめてみよう。

 両名が第一の前提とするのは、戦争の相手は独自の創造性を持った人間なのだという点である。したがって、米国が通常型の軍事力で今後とも世界最強の地位を維持するのだとしても、米国の敵が「我々のルールでプレイしなければならないということはない」。むしろ、米国の敵は在来型軍事力の劣勢を挽回するために、テロやゲリラ戦といった多様な手法を駆使して小さな戦術的成功を積み重ね、そのために、テロやゲリラ戦といった多様な手法を駆使して小さな戦術的成功を積み重ね、その効果をメディアや情報戦によって増幅するといった「非在来型」の方法に訴えてくる可能性が高い。

また、こうした事態は単独で発生するとは限らず、国家間戦争と同時に発生したり、その最中にサイバー攻撃に対処したりしなければならなくなるかもしれない、と両名は述べる。つまり、ここでマティスとホフマンが指摘している将来戦争の形ーハイブリッド戦争ーとは、古典的な戦争概念に当てはまらない方法を含めた、多様な主体と手法を混合(ハイブリッド)したものということになろう。

 当時、マティスとホフマンの念頭にあったのは、イラクやアフガニスタンでの対テロ戦争や、いわゆる「ならずもの国家」との戦争が複合的な様相を呈するような事態であったと思われる。両名の論文が発表された後、米陸軍の野外教範3-0C・1「作戦」には「ハイブリッド脅威」という概念が初めて盛り込まれたが、これは「非集権的でありながら我が方に対して結束し、従来は国民国家が独占していた能力を有する正規、非正規、テロリスト及び犯罪グループの組み合わせ」と定義されており、多様な非国家主体の連合体が想定されていたことがわかる。

 いずれにしても、2014年にロシアがウクライナに対して行った介入が「ハイブリッド戦争」として理解されたのは、その前提となる文脈が西側の軍事思想家たちの間に存在していたためであった。つまり、次世代の戦争は主体と手段の混合を特徴とするに違いないという議論が、ロシアの軍事力行使が持つ様々な側面の中から、そのハイブリッド性を特に際立たせる効果をもたらしたのである。